2012年10月23日

城下町へ行こう!「長崎の城下町 後編」

江戸時代は鎖国の時代・・・
その鎖国の時代にあって、いろんな珍しいものが外国からやってきたのが長崎でした。

そして・・・
この長崎にはお城がありません???

城のない城下町です。

長崎県長崎市は、人口44万2730人、面積406.4㎢、特産はカステラ・ちゃんぽん・ビードロです。

西洋からアジアまで、多種多様な文化を吸収した“長崎ちゃんぽん文化”の国です。
そして、長崎にはたくさんの初めてがありました。

13038_main[1].jpg

後編は、坂本龍馬が暗躍し、高杉晋作が大手をふるい、西郷隆盛が闊歩する・・・
幕末の表舞台と裏舞台を紹介してくれました。

長崎は、坂の町と言われています。その名所が、若宮稲荷神社・通称勤王神社です。
幕末には、龍馬をはじめ、勤王の志士たちが参拝したと言われています。

img_8973[1].jpg

“亀山社中”日本初の商社と言われています。
ここを拠点に外国と貿易をし・・・最新式の外国製の武器や軍艦を輸入していました。
龍馬ゆかりの地として人気ですが・・・
ちょっと海から離れています。

imageCATA6M38.jpg

それは・・・
亀山社中が、薩長同盟の為に作られた秘密結社だった???から??

海外貿易は表向きだったというのです。
そして、立地が証明しているとか・・・

・立地条件として、長崎は薩摩と長州の真ん中にあるということ。
・不便に見えるこの地に亀山社中を作ったかというと・・・
 奉行所から少し離れていて安心、おまけに奉行所も見やすい。
 あえて、海から離れた場所にしたのでは?というのです。
近代日本の礎・・・
この場所から、明治維新が始まったと言っても過言ではないのです。


長崎にも中華街があります。
この長崎の中華街が、横浜・神戸のルーツとなりました。
この長崎中華街は、江戸時代に中国貿易をしていた倉庫と使われていた埋め立て地で、中華街発祥の地とされています。
当時の中国貿易は、オランダ貿易の10倍以上とされています。
オランダ貿易は出島、中国貿易は、新地中華街で、年間1万人の中国人が行き来をしました。
ここから伝わったのは、スイカ・茄子・もやし・ビワ・印鑑・そろばん・煎茶・原稿用紙・漢方薬などです。


“長崎わからん文化”
ちゃんぽん・トルコライスが、わからんグルメ。
和(日本)華(中国)蘭(オランダ)文化だというのです。
町の中には、和華蘭があふれています。


興福寺は、1620年に創建された日本最古の唐寺です。
江戸時代に中国商人が参拝するために作られました。

インゲン豆・・・隠元和尚が日本に伝えました。
その影響力は当時絶大で、大スター。
隠元隆g 1654年に明から来日します。
その後、教えを広めるために、江戸までの日本ツアーに臨みます。

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時の四代将軍・家綱は、和尚に京都の山を与えたり、後水尾天皇も足しげく通ったそうです。

隠元和尚の広めた黄檗宗は、禅に浄土信仰などを加えた宗派で、一時4000もあったと言われています。
そして、当時最新式の・・・「明朝体」も伝えました。
それを使って印刷する原稿用紙も伝えたそうです。


そして、当時の唐寺には、もう一つの顔がありました。
それが、密貿易です。
当時、外国人たちは、居留地からの外出は禁止されていました。
そんな中、外出を許されたのが、お参りだったのです。
参拝を装った密談の場となりました。
神聖なはずの寺で、武器等の売買をしていました。
亀山社中とも目と鼻の先でした。


グラバー邸。。。グラバー園です。
長崎の町を一望できる高台に建っています。
イギリス商社の代理人としてやってきて、グラバー商会を設立し、数年で巨万の富を築きました。

9[1].jpg

そんなグラバーにつけられたのが・・・“死の商人”。

武器商人・グラバーは、スペンサー銃・ゲべール銃・エンフィールド銃・アームストロング砲などを、薩摩や長州に大量に売ったとされています。

どうして幕府にはむかっている人たちに???
それは、薩摩と長州が手を結ぶと国が転覆するかもしれない・・・と思っていたのかも???
薩長同盟の真の黒幕だったのかもしれません。

そこで、グラバーが目をつけたのが、亀山社中だったのです。
龍馬を使って着々と討幕へのシナリオをかきあげていたのです。
グラバーは、日本を武士の世の中から、近代西洋の国のようにして、安定した貿易を狙っていたのです。

思惑通り、1868年戊辰戦争が起こりました。

もう一つのシナリオは・・・
イギリスによる植民地化です。

しかし、母国を裏切って、植民地化を防ぐこととなります。
当時、薩長にはイギリス、幕府にはアメリカ・フランスがついていました。
どの国が支配するのか???
植民地争いの前哨戦が幕末の動乱だったのです。
当時ヨーロッパ列強は、アジアで植民地化、その先鋒となったのが、グラバーのような武器商人でした。
ターゲットの国に武器を売り込み、内戦を起こさせ、時の政府を転覆・虐待化したところを植民地化するというものでした。

しかし、グラバーは・・・母国を欺く行為を・・・
日本を近代国家へと導き始めます。

グラバーが心変わりした理由は・・・同世代の志士たちへの共感だったそうです。
日本の未来を思う心に打たれたのです。

後年グラバーは・・・

「自分はどうなっても構はぬ
 木戸さんを逃がそうと思って
 其夜暗闇に乗じて
 木戸さんを
 船に乗せて出して了った」

と・・・日本の未来に欠かせない若者を守ったのです。

また、長州五傑(伊藤博文・井上勝・井上馨・遠藤謹助・山尾庸三)をイギリスに留学させました。

確かなことは、グラバー商会倒産後もイギリスには帰らずに、日本で最期を迎えたということです。

「私は世間からして
 金儲主義だと思はれたかも知れぬけれども、
 単純にそれのみぢゃなかった
 賄賂は一銭も使ったものは無
 立派な武士の根性でやった」

死の商人と呼ばれたグラバー・・・
日本を救った維新の英雄なのかもしれません。


城のない城下町・・・
この町のパワーに歴史上の様々な人が集まってきました。
長崎は、近代日本の礎となる城下町でした。

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2012年10月12日

城下町へ行こう!「長崎の城下町 前編」

江戸時代は鎖国の時代・・・
その鎖国の時代にあって、いろんな珍しいものが外国からやってきたのが長崎でした。

そして・・・
この長崎にはお城がありません???

城のない城下町です。

長崎県長崎市は、人口44万2730人、面積406.4㎢、特産はカステラ・ちゃんぽん・ビードロです。

西洋からアジアまで、多種多様な文化を吸収した“長崎ちゃんぽん文化”の国です。
そして、長崎にはたくさんの初めてがありました。

鎖国時代に唯一外国との交易を許された町だった長崎。
海外貿易で、莫大な富と利権を生む長崎を、三代将軍家光は天下を治めるうえで最も重要な場所と思っていました。

日本の最先端だった長崎・・・


その長崎にはお城がありません。
その代わりにあるのが・・・長崎奉行所です。
この奉行所を中心にして広がったのが、長崎の町なのです。
当時は堀もありました。

22nagasaki424-11[1].jpg

どうしてなかったのか???

1637年長崎、幕府によるキリシタン弾圧の結果、島原の乱が起こりました。
この内戦によって、キリスト教が幕府を揺るがす元凶だと認識した幕府は、海外からの貿易などを厳しく制限しました。

ここから、日本の長い鎖国時代が始まりました。
しかし、海外貿易によって作られる莫大な財源は、天下泰平の切り札になると思っていた家光は、唯一、長崎を窓口として残し、幕府の直接統治にしました。
つまり、将軍が直接治めている町だったのです。


当時の日本の経済を支えていたといわれる長崎。
家光は、江戸から遠隔操作していました。

では、どうして城を建てなかったのでしょうか???
江戸時代、徳川幕府は重要なところは徳川に近い人に治めさせていました。
大名より格下の、奉行に治めさせる・・・
その真意は。。。

貿易が盛んな長崎は、莫大な利益・利権を得ていました。
それは、徳川幕府さえも倒せることが出来るほどでした。
だからこそ、任せるのが危険・・・。

そう考えて、長崎に城を築かせなかったと言われています。

そうして、奉行も1年務めると3代家が繁栄するというほどの収入があったのです。
巨万の富を生む長崎・・・そこを直轄することで、長く続いた江戸幕府なのです。
つまり、江戸の遠隔城下町でした。

そう言えば、時代劇の長崎奉行ってみんな「悪よのう〜〜!!」でしたよね。揺れるハート


長崎の出島・・・
本当は島ではありません。
鎖国時代、日本国で唯一海外との貿易を許された土地で、人工の島です。

この小さな島から「ことはじめ」・・・いろいろなものが伝わりました。

コーヒー・砂糖・キャベツ・トマト・ガラス・陶器・医学・蘭学・・・すべてここを通って日本に伝わりました。


この出島を、幕府は徹底的に“西役所”と“立山役所”で管理。
ゾウやラクダ・・・珍しいものを将軍に届けるのも長崎奉行所の仕事でした。
ガラスなども輸入していましたが、ガラスが割れないように・・・
今なら発泡スチロールやぷちぷちですが、当時はクローバーをクッション代わりにしていたようです。

つまり、もともと日本になかったのに、緩衝剤だった枯草の間に種が・・・それがクローバー・・・だから、白詰草なのです。


長崎といえは・・・「ビードロ」
ポルトガル語でビードロ。
オランダ語でギヤマン。
英語でグラス。

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つまり、「ビードロ」とは、ガラス製品のことで、私たちがビードロと思っているのは“ポッペン”です。


出島のオランダ商館を通じて伝わった「かうひい」
「蛮人煎飲する豆にて
 其色眞黒に成る程に炒りて
 日本の茶を飲むごとく・・・」
日本に伴天連茶として広まりました。


日本初のプロカメラマン“上野彦馬”。

後藤正二郎
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高杉晋作
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木戸孝允
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伊藤博文
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ほんと、知ってる写真は結構ここで撮ったのが多いですよ。黒ハート
幕末から明治にかけての激動の時代をカメラを通して切り取りました。

上野彦馬のスタジオで取られた一番有名な写真。。。
それがこちら。

vol27_2a[1].jpg

坂本龍馬です。

でも・・・彦馬が撮ったのではなく・・・
撮影したのは別の人。
当時、1万〜2万円しました。
撮影できるのはセレブだったのです。

龍馬はお金がなかったので、彦馬の弟子・・・未熟な弟子の撮影なら無料でした。
龍馬の写真を撮ったのは、彦馬の弟子である井上俊三です。
構図の少し傾いた失敗作でした。
きっと、あとから彦馬は悔しがったことでしょう。失恋

当時の龍馬は、彦馬にも写真を撮ってもらえない無名の存在でした。


「長崎くんち」
江戸時代から続く秋の大祭です。
“龍踊”が有名です。

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中国の物が長崎に伝わり・・・今では中国でも廃れてしまった踊りです。

和洋中、全ての入った長崎くんち。この長崎くんちは1634年、強制的に始まりました。
当時、長崎に住んでいたキリシタンたちをこれ以上増やさないために・・・
諏訪神社への奉納という形で、祭りによる改宗を行おうとしました。

祭りを始めた当時は強制参加。
参加をするとお金を貰えたのだそうです。

今では長崎人の心を掴み、生活に根付いたものとなっています。

長崎にはまだまだ不思議が詰まっているそうなので、後編に続く黒ハート・・・そうです。

龍馬が見た長崎 古写真が語る幕末開港 (朝日選書) [単行本] / 姫野 順一 (著); 朝日新聞出版 (刊)
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posted by ちゃーちゃん at 14:01| Comment(0) | 城下町へ行こう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月05日

城下町へ行こう!「郡上八幡の城下町」

郡上八幡城は・・・山城です。

岐阜県郡上市 人口4万5814人、面積1030.79㎢、特産は郡上鮎、鶏ちゃんです。
町の中心にそびえ立つ白亜の城が郡上八幡城です。

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この城は、郡上藩初代藩主遠藤慶隆によって整備された水の城下町で、城からは郡上八幡の町が一望できます。

魚の形をした城下町です。

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いがわ小径

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たくさんの鯉が泳いでいます。
町の至る所で水を感じることが出来ます。

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そして、この町は、町全体が防災都市と言われています。
その理由は、町にめぐらされた水路。
遠藤慶隆が、民を火事から守るために城下天地の造成事業に力を入れ、町全体に御用用水を建設しました。


宗祇水は、室町時代からこの地にあった湧水で、全国名水100選の1番に選定されています。

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吉田川では鮎が・・・鮎は郡上を代表するブランドです。
鮎は、日本では1000万年以上も前からも食されていたようです。



川には神様がいる・・・これは、白山信仰を起源としています。
古から人々は、農業や生活に不可欠な水を神とあがめ、祀ってきました。
郡上の人々は、白山信仰をもとに川を大切にしてきたのです。


伝統文化・・・郡上踊。
その起源は白山信仰にあり、400年の伝統を持つと言われています。
現在では三十三夜行われる踊りです。
この郡上踊り、誕生したのは江戸時代。
長きにわたった戦乱がようやく終わったころでした。
それまで村々で踊っていた盆踊りを城下に集め、お盆を含む縁日の7日間は身分の隔てなく踊ってよいと自由な踊りを奨励しました。
偏狭の地で暮らしてきた人々にとって、唯一の社交場だったのです。


白山信仰をもとに、山を、川を・・・水とともに生き、水を大切にする人たちがそこにはいました。



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posted by ちゃーちゃん at 15:44| Comment(0) | 城下町へ行こう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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