「レオナルド・ダ・ヴィンチ 未完成の天才」やっと観ました。

レオナルド・ダ・ヴィンチ・・・
「モナ・リザ」や「最後の晩餐」だけでなく、数々の研究や発明、人体解剖まで行った天才です。
しかし彼が完成させた作品は、わずか10点にすぎません。。。
生まれたのは1452年4月15日、トスカーナ地方のヴィンチ村に生まれます。
ダ・ヴィンチ家は、代々公証人という弁護士のような仕事をしてきた名家で、長男でした。
レオナルドは長男として生まれましたが・・・しかし・・・母は、小作農でした。
父とは身分が違いすぎて、生まれて間もなく母から引きはなされます。
跡取りではなかったので、満足な勉強もさせてもらえませんでした。
その為、多くの時間を野山で過ごすことになりました。
自然が心のよりどころとなったのです。
常識にとらわれない自由な発想の原点は、ここだったのかもしれません。
13歳を過ぎて、フレンツェに出て工房に弟子入りします。
その頃の工房は、教会や貴族の要望に、なんでも応える職人集団でした。
絵画・彫刻・楽器や馬具まで作ったそうです。
当時イタリアは、ルネサンスの真っただ中、その中心がフィレンツェでした。
それまでには無かった肉体的表現・内面的表現が必要になってきました。
ここで、芸術の基礎を学んだのです。
20歳の時に描いた大きな仕事・・・
「受胎告知」(1472〜75年ごろ)です。
![lp2-jyutai[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/lp2-jyutai5B15D-thumbnail2.jpg)
天使が聖母マリアに受胎告知を告げるシーンです。
天使の翼は、それまで金色や虹色で書かれていましたが、リアルに鳥の羽で表現しました。
こうしたリアリティが強く出ているのが、天使の持っている百合の花・・・
天使の持っている百合の花には、「受胎告知」ではおしべは描かないことになっていました。
それは、百合の花が純潔のシンボルだからです。
しかし、レオナルドは敢えて描きました。
「画家は自然を師としなければならない!!
画家は自然を模し自然と相競う」
と。
20代半ば・・・工房を立ち上げますが・・・未完成作品が増えていきます。
どうして未完成なのでしょう???
レオナルドは、常に完璧なもの、絶対的な芸術性にこだわっていました。
芸術家であり、科学者であったかれは、世界を変えるような作品を作りたいという苦悩と戦っていました。
29歳の時・・・修道院から大きな仕事が舞い込みます。
レオナルドを世に知らしめる・・・
しかし、下書きをして投げ出してしまいます。
それがこちら、「東方三博士の礼拝」(1481〜82)
![reonarudo_touhou_sanhakase2[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/reonarudo_touhou_sanhakase25B15D-thumbnail2.jpg)
モノクロで色が塗られていません。
構図・洋式・表現方法ともに革新的な作品でした。
三人の賢者は、星のお告げを受けて、生まれたキリストを祝福しているシーンです。
未完成の原因は・・・2つの掟破りをしたから。
一つは、テーマの逸脱。
背景には戦っているシーンが描かれています。それは、嬰児虐殺の場面です。
当時のユダヤのヘロデ王が、キリストが生まれることで・・・赤ん坊を皆殺しにして回ったことを描いているのです。
スケールの大きな物語にしたかったのです。
もう一つは技術、遠近法です。
これは、ルネサンス期に生まれた技法です。
しかし、まだ確立されていませんでした。
レオナルドの作品では、きっちり描かれていて、画期的なことでした。
設計図のように正確な立体として作られました。
しかし、アイデアを詰め込みすぎて・・・あまりに違うので、教会が受け取らなかったのでは?と言われています。
流行の最先端、ミラノ・・・
レオナルドのいたころのイタリアは戦国時代。
新興勢力のミラノ公領に活路を見出しやってきました。
野心家のルドヴィコ・スフォルツェに自分を売り込んで、仕事をえようとしました。
@私は如何なる要塞や砦を破壊する方法を知っている。
Aこれまでにない大砲や迫撃砲をつくることができる。
芸術家ではなく軍事技師としての能力を9項目アピールしています。
最後に・・・平和時には、絵画や彫刻なども作ることができると、書いていました。
念願かなって、ルドヴィコのもとで働き始めます。
主君の期待に応えるために・・・
多銃身砲・戦闘馬車を開発。運河の開発・・・それは、万物の真理を知りたい・・・という欲求に変わっていきました。
自然の摂理を追及すると、キリスト教とは違った考え方が生まれてきました。
「私の心の中に2つの感情が湧きあがってきた
すさまじく暗い洞窟に対する恐怖
そしてその奥に何が潜んでいるのか見たいと思う憧憬である」
そして、開発したメモ書き・・・手稿は、1/3、5000枚も現存しています。
![01[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/015B15D-thumbnail2.jpg)
興味は、自然から人間の肉体・・・生命の神秘へ・・・
自然界の裏側にある秩序を見出そうとしていました。
それは、キリスト教として弾圧されかねない論理の研究でしたが、真理を求める“自由”を研究していました。
この手稿から、天才であり、アウトサイダーな立場が着きまとっていたことがわかります。
レオナルドの自画像・・・陰鬱で苦悩に満ちています。
素顔のレオナルドはどんな感じ???
ヴェロッキオのダヴィデ像・・・
モデルはレオナルドと言われています。
かなりの美男子で、その美貌から、教会から同性愛者の嫌疑を受けています。
しかし、真相はやぶの名赤・・・
手稿の文字は、鏡に映して読むことが出来ます。
それは、書いてある内容を秘密にしておくためという理由と・・・
もう一つ。左利きであることがわかります。
当時、左利きは不吉ということで、矯正されました。
正式な教育を受けなかったレオナルドは左利きのまま・・・それが個性となりました。
レオナルドも、ファッションに五月蝿いモテ男。
「すべてのエレガンスの支配者」と呼ばれていました。
それは、周りに流されない価値観でした。
当時は長いコート・・・でも、レオナルドは短いコートだったとか。。。
ミラノに住んで12年・・・集大成ともいえる作品に挑みます。
サンタ・マリア・デッレ・グラッツイエ教会の壁画「最後の晩餐」(1495〜98)です。
![vin_101[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/vin_1015B15D-thumbnail2.jpg)
4年の歳月をかけて完成させました。
イエスが処刑される前夜・・・弟子たちと食事をするシーンです。
「この中に・・・私を裏切るものがいる・・・」
レオナルドは弟子たちを、人間味あふれた表情に書いています。
「東方三博士」で実現できなかった技法を形にしました。遠近法も。。。。
最後の晩餐には、芸術家・科学者・工学者・神学者・精神分析学者としての・・・
レオナルドの研究と思想がすべて融合しています。
人々の度肝を抜いた「最後の晩餐」
レオナルドの名声が響き渡ります。
しかし、レオナルドの用いた絵具は壁画に適しておらず、大量のカビが発生してしまいます。
カビは、鮮やかな色彩を奪ってしまい、20年後には無残な姿となってしまいました。
「画家は万能でなければならない」
絵をかくということは・・・「終わりなき完成」の道だそうです。
「モナ・リザ」も、未完成です。
フランス・アンボワーズ・・・64歳のレオナルドがたどり着いた終焉の地です。
フランス国王・フランソワ1世が、宮廷芸術家として招きました。
国王に庇護されたレオナルド、ようやく安住の地を手に入れました。
悠々自適に過ごせる境遇・・・
死ぬまで手を入れていた未完成作品・・・
「聖アンナと聖母子」(1502〜16)
![davinci7[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/davinci75B15D-thumbnail2.jpg)
キリストを抱くマリア、そのマリアを見守るアンナ・・・二重の母性が描かれています。
「洗礼者ヨハネ」(1513〜16)
![davinci3[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/davinci35B15D-thumbnail2.jpg)
両性具有のようなヨハネが不敵な笑みをたたえています。
そして、「モナ・リザ」。
![monalisar[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/monalisar5B15D-thumbnail2.jpg)
古くから、モデルは誰なのか・・・論争が絶えませんが・・・
定説では、フィレンツェ商人の妻リザ夫人。
夫の依頼で書かれましたが・・・
レオナルドは、この絵は驚くべき技法で描かれています。
どれだけクローズアップしても、筆の線が見えないのです。
輪郭線はなく、光と影の濃淡だけ・・・
涼しげな眼もとは、写真のようで、スフマートという技法です。
ミクロの点を積み重ねていく、気の遠くなるような技法です。
レオナルドの編み出した技法で、線を描かない・・・筆を使わずに、指を使うのが基本です。
自然界は線ではない、無数の点からなる・・・
いつまでも終わることのない点。
かれは、哲学や科学から学んだことを、絵に込めようとしました。
目に見えない“無限”という概念を描こうとしたのです。
絵画表現の限界を超えて、果てしない世界を表現しようとしたのです。
晩年のレオナルドにとって、完成するということは妥協ということでした。
そんなレオナルドにも、命の限りが来ました。
彼は、どのような思いでその時を迎えたのでしょうか?
1519年5月2日69歳の生涯に幕を閉じました。
「納得のゆく芸術作品を作らずに、神に背き、世の人々を傷つけてきた。」
完ぺきを求め、その先を求め続けた狂気と苦悩の人生でした。
なんだか、知れば知るほど天才です。
天才ゆえの苦悩が、よく解るように説明してくれていました。
再放送、そして、10月から新作品がNHKで放送されるようです。
とっても楽しみです。

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