2012年11月19日

山本権八さんです。

来年の大河ドラマ、新島八重の父です。
松重豊さんがやってくれます。

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この八重の父は婿養子、権八は会津藩の上級藩士でした。権八は西洋式砲術(高島砲術)の師範(指南役)です。
しかし、砲術は下級武士が学ぶ科目だったため、山本家もさほど出世が望める家系ではなかったといいます。
考え方が古かったのかなあ・・・

権八の子供は覚馬(長男)と窪田家に嫁いだ長女。二男と二女は夭逝し、三女である八重とその後に三男の三郎が産まれている。(八重は権八が39歳の時の子)

戊辰戦争の際は玄武隊(高齢者武士隊)として参加。
局地戦の一ノ堰の戦いに出陣し、活躍するが、多勢に無勢。
無念の死を遂げます。
享年61歳。

墓は会津若松市門田町にある光明寺に現存しています。

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posted by ちゃーちゃん at 17:47| Comment(0) | 八重の桜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月29日

中野竹子さんです。

中野竹子・・・
白虎隊とともに、悲哀の象徴のような人と思っています。

nakanotakeko[1].jpg

嘉永3年、会津藩勘定役中野平内とこう子夫妻の長女として江戸に生まれます。
妹の優子とともに美人姉妹として有名で、また学問にも通じ薙刀の名手でもありました。

後に「娘子隊」と呼ばれる女性のみで編成された隊の隊長格にあたる女性です。

慶應4年、容保の義姉である照姫が坂下に逃れたという情報から、照姫を守るために、竹子たちは女性のみの隊を結成。その姿は頭に白羽二重の鉢巻、女物の着物に袴を穿き、手には大小の刀に薙刀。髪をばっさりと切り、男性さながらの姿だったといいます。その姿、中性的だったことから少年の白虎隊と間違われたほどだったと言います。

結局照姫は坂下にはおらず、法界寺に宿泊。
その後、家老の萱野権兵衛に出会い、従軍を申し出ますが、権兵衛は・・・
「女にまで戦わせたとあっては、会津藩はそれほどまでに疲弊しているのかと思われる」
と従軍を拒否。

これに対し竹子は、
「軍に加えて頂けないのであれば、この場で自刃します」
と言い、竹子たちの覚悟を見せつけられた権兵衛は、彼女たちを衝鋒隊の隅へ編入しました。
彼女の薙刀には
「もののふの猛きこころにくらぶれば 数にも入らぬわが身ながらも」
という辞世の句を刻んだ短冊がぶら下げられていたと言います。

竹子は涙橋の戦いで、敵の銃弾を眉間に受けて戦死。。。
妹の優子は
「姉の首を敵に渡すわけにはいかない」
と、竹子の介錯をして、その首を持って落ち延びました。

優子たちはこの後、鶴ヶ城に入って、後方支援を担当。
八重は竹子の母であるこう子と鶴ヶ城の中で会話をしていて「なぜ娘子隊に加わらなかったのか?」と聞かれ「自分は鉄砲で戦うつもりだったから」と答えています。

この、「娘子隊」も、本当に悲しい歴史です。たらーっ(汗)

この女性を、黒木メイサさんが演じてくれます。

meisa[1].jpg

「白虎隊」では、岩崎良美さんでした。
一途で純潔なその姿、殉死するシーンは、今思い出しても涙が出てきます。
あの作品を見た人は、私のように、強烈な思い入れがあると思うなあ。。。
だから、メイサさん、大変だと思います。

ちなみに、私は何回も書いていますが、幕末のジャンヌ・ダルクは山本八重子ではなくて、中野竹子の方が似合っていると思うのですが・・・どうでしょうか???

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posted by ちゃーちゃん at 17:26| Comment(0) | 八重の桜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月26日

日向ユキさんです。

日向ユキは、山本八重子の幼馴染です。

”八重の桜”では、剛力彩芽さんがやってくれます。

goriki[1].jpg

今、乗りに乗っていて、ドラマやコマーシャルで観ない日はないですよね。揺れるハート

嘉永4年、会津藩士日向佐衛門・ちか夫妻の二女として、現在の会津若松市に生を受けました。
八重の家の裏にある米代四ノ丁に住んでいた幼なじみで、高木時尾の祖母から一緒に裁縫を習っていました。また、白虎隊の生き残りである飯沼貞吉はいとこにあたります。

そうなのです。だから、きっと、いいおうちのお嬢様だと思うんですが・・・
白虎隊にも出ていたのかしら???

慶応4年、ユキが18歳の時に戊辰戦争が起こります。ユキは籠城しようと鶴ヶ城へと急ぎましたが、城内に入ることができず、敵の弾丸をくぐり抜け市外へと逃れました。
左衛門は大町口郭門の戦いで負傷。ユキの祖母の実家である加須谷邸内の竹やぶで自刃しました。
さらに兄・新太郎も飯寺の戦いで戦死。
戦争が終結すると、ユキは父と兄の遺体を捜し出して、宝町にある浄光寺に埋葬しました。

その後、残った家族と共に斗南藩へ移住します。
そうですね・・・みんな、ごっそり斗南藩へ移住していますね。

苦しい生活を送った後、開拓使の手伝いのため北海道へ渡りました。
明治5年、開拓使官史の内藤兼備と結婚。兼備は旧薩摩藩出身で、戊辰戦争にも従軍していました。
最初は兼備の求婚を拒んだユキですが、周囲の説得や兼備の熱意にうたれ、結婚を決意。
この結婚は「敵味方の確執を超えた結婚の第一号」といわれています。

ユキが語った思い出話を、息子が書きとめたガリ版刷りの「萬年青(おもと)」。
会津女性の健気な生き方を記した貴重な資料として、現在では高く評価されています。


どんな人なんでしょうね。
でも、会津の女性は、本当にかしこい人が多いと思います。黒ハート
来年が楽しみですね。
鬼が笑うかしら???


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posted by ちゃーちゃん at 17:45| Comment(0) | 八重の桜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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