一日三食となったのは、江戸時代以降のことです。
将兵は、1日5合の玄米を、朝に夕に2合5勺づつ食べていました。
しかし、戦時になると・・・
出陣に臨んでは、味噌と塩を添えた白米をお腹いっぱい食べました。
食事の回数も、1日3回となり、夜食もとります。
「武教全書詳解」には、
「常は、一人分1日5合を以て食の定めとするが、軍陣はこれを倍して1日1升を分量とし、4度に食する心得たるべし。1升を4つにして2合5勺あて朝昼夕三度なり。残り2合5勺は不時の食として貯え置くべし。不意に出撃する時、または夜討ちに出るときは必ず一飯をしたため、勢力を増して出ることを習いとす」
と、記されています。
味噌は、一人につき1日2勺、塩は1勺となっていました。
戦場には、小荷駄に兵糧と鍋を積んで運びました。
兵糧も、腰兵糧も、諸家、戦の規模によって異なりました。
一般的な腰兵糧の中身は、握り飯。夏には腐りやすいので、味噌や塩をまぶしたり、焼きおにぎりにしたりしました。
他に、干飯。これは、動きながらでもポリポリとそのまま食べられます。これに、梅干しの肉をすったものや砂糖をつけ、打違袋という底のない長い筒状の袋に入れて、腰に巻いていました。
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