2012年11月16日

龍馬の暗号・最後の手紙に隠された謎

龍馬の暗号・最後の手紙に隠された謎〜幕末最大の英雄を殺したのは誰だ!〜

龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン 歴史ノンフィクション
龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン 歴史ノンフィクション

BSジャパンでやっていました。

題からしてきっと加治将一さんだろうなあと、思って観ました。

演じていたのは「THEナンバー2」でお馴染みだった前川泰之さんです。
そう・・・THEナンバー2に出演していたころは、毎週この男前を楽しみに?見ていましたが、いつの間にかでなくなって、で・・・ナンバー2も終わってしまいました。


だから、THEナンバー2を見るように、懐かしく見ました。黒ハート
でも・・・BGMに「城下町へ行こう」の音楽が使われていました。
歴史っぽいし、局が違うんだし、流石にちょっと工夫を凝らしてほしかったです。バッド(下向き矢印)

龍馬が誰に暗殺されたのか???
それはやっぱり謎のままでした。
っていうか、加治将一さん的には中岡慎太郎です。

最近歳だからか、いつも思うのです。
テレビ番組で「徳川埋蔵金???」とか、「〇△に新たな発見??」とか見ても、本当にそうだったら新聞に載るでしょう?って思う自分がいます。

やはり史実の通りに、色々な人が維新の為に奔走して、自分の使命を全うするために奔走した。
それが事実だと思うんですが、加治将一さんとなると、みんなが忍者で密偵、諜報員で、スパイ、エージェント・・・

・・・かも知れない・・・そう考えれば・・・だったんではないでしょうか???

と、証拠のないままタラレバで話が2時間進んでいきました。
まあ、誰も解らないことなんだから、一理ある!!で良いと思うんですが、相変わらずかなり偏った内容でした。
ほら、社会の先生に言われたでしょう?
「いろんな方向から見なさい」って!!
それは、私が佐幕に偏っているからでしょうか???

でも気になりますね。「龍馬の暗号」の表紙に載っている”フリーメイソン”ってあせあせ(飛び散る汗)
一体どこまで行くのでしょう???たらーっ(汗)

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幕末 維新の暗号 [単行本] / 加治 将一 (著); 祥伝社 (刊)
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石の扉 フリーメーソンで読み解く歴史
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posted by ちゃーちゃん at 13:49| Comment(2) | テレビ番組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月13日

天下人が恐れた大地震

絶え間なく揺れ続ける日本列島・・・
その揺れは、時に私たちに牙をむいて襲ってきます。

関西では大地震は起きない・・・
根拠のない自信を突き崩した阪神大震災・・・
それ以降、幾度となく直下型地震に見舞われています。

阪神大震災以降、活動期にないっているとのことですが、これとよく似た時代・・・それが、豊臣秀吉の時代でした。

この世にもはや怖いものがなかった太閤秀吉。
しかし、想定外の大地震が秀吉を脅かします。

東日本大震災以来、巨大地震や津波に対する不安が高まっています。
特に注目されているのが、90年〜100年に1回引き起こす南海トラフ地震です。

国の最新の想定では、最大で死者32万人と言われています。
おまけに、直下型地震はなかなかいつ起こるのかもわかりません。

歴史的に見ても、南海トラフのような地震の前には、何回も直下型地震が起こっていることがわかっています。


豊臣秀吉もそんな時代の人でした。
秀吉がどんなふうにして城を築いて壊されたのか・・・


img_594181_18681825_0[1].jpg

京都・伏見には・・・1964年に建造された伏見城があります。
秀吉の晩年から、時代に翻弄されてきた伏見城。

初代伏見城は、1596年地震で破壊されました。
二代目伏見城は、現在では明治天皇陵となっています。
つまり、伏見城は3か所あるのです。

地震で壊れた初代お城は、絵にすら残っていません。

最初の天守は、今のお城の1キロ南、小高い丘にあります。
今は、古い団地となっています。
団地周辺に、お城であった痕跡すらありません。


伏見=不死身であるということで、「縁起がいい」と、瓦や金具は持って帰られ・・・
発掘しても出てこないのだそうです。

再利用される伏見城。
ところどころに移築された・・・とか、伏見城から持ってきたという言い伝えがあります。

2007年には、宇治市で太閤堤が発見されました。
城とともに秀吉が作らせたかも??と言われています。


直江兼続が4000人で掘り上げたといわれる船入跡。
大坂から船でやってきた外国人に見えるように・・・
この城を整備した目的は・・・第1次朝鮮出兵の講和会議のためでした。
多くのお客を迎える千畳敷も。
秀吉の威信をかけた迎賓館でした。

が・・・
1596年伏見地震、上方大地震が起こりました。
400年前の大地震です。
明からの使者を迎え入れる準備をしていたさなかに・・・

1596年7月13日未明に起こった地震。
5層の天守は大破、城中で亡くなったものは、300人とも500人とも言われています。
秀吉は庭の一角に避難しました。


戦国時代・・・いつ暗殺されるかわからない・・・
秀吉は、女の衣装を着て、自分の身を隠す必要のある程、緊迫した状況。。。
クーデターをおそれ、女官に紛れていたそうです。

地震で心配して登城をするという、加藤清正の有名なシーン・・・。
これはないかもしれません。

家康も、地震の後にすぐに家来を連れて登城をするということは、謀反・クーデターと勘違いされかねないと思っていたからです。


秀吉は、辛くも難を逃れたものの・・・
天守は・・・
当時は、下三層に上二層が乗っかっている形だったので、上二層がずり落ちたとなっています。


現存最古の丸岡城。
この建物は、1階と2階の間に通し柱がありません。上は乗せているだけ・・・
これが、昔ながらの作りです。

しかし織田信長は、突然5階建ての安土城を建てました。
しかし、構造はそのままでした。

伏見城の被害の後は・・・
1,611年に建てられた松江城は・・・
2層ごとに通し柱をしています。
地震の揺れに強い構造となり、それが、地方に伝わっていったようです。


地震が来て、耐震基準が変わるのは、今も昔も変わりありません。


向島にある石垣は、地震によって地面の揺り込む・・・
3.6mも沈下したという記述もあります。

同じ場所で下水工事中に、地上から4m下で巨大な石が発見されました。
液状化現象が起きていたことがわかります。
出城はまさに“砂上の楼閣”だったのです。
被害は、巨大な土木工事が起こした人災でした。


この地震の正体は・・・

“活断層”

地震から400年後に見つかりました。
有馬・高槻断層帯・・・
伏見から反対方向は淡路島までありました。
マグニチュードは8に近かったようです。

その痕跡は、今もたくさん残っています。
田んぼに・・・古墳に・・・
伏見地震の被害は、神戸まであったことがわかっています。

そして、割れ残った野島断層が阪神淡路大震災を巻き起こしたのです。

断層から離れたところにもたらす“ディレクティビテイー”(指向性効果)。
断層の破壊によってできる地震。伝わり方にも違いがありました。
その揺れが、伏見城を崩した力となったのです。


今も昔も・・・秀吉の中に、人間の弱さ、浅はかさを感じずにはいられません。

その2年後、秀吉は激動の生涯を終えました。


秀吉の時代から400年・・・
地震と人間との関係は変わりません。
過去のことを勉強して、現代に生かさなければなりません。

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posted by ちゃーちゃん at 09:14| Comment(0) | テレビ番組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月05日

「ライバルたちの光芒」始まりました。

先日BS-TBSで「THEナンバー2」が終わってしまって残念に思っていました。

が、水曜日の10時から始まりました。
「ライバルたちの光芒」

司会は高橋英樹さんです。

記念すべき第1回目は「川中島の合戦・武田信玄VS上杉謙信」でした。

言わずもがなのお二人です。

で、ゲストは


武田信玄方は海道龍一朗さん、

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上杉謙信方は井沢元彦さんでした。

英傑の日本史 上杉越後死闘編
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英傑の日本史 風林火山編
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「◎◎VS△△」となっているので、1時間のうち半分が一人の方(今回なら信玄や謙信)の時間になるので、ちょっと物足りないような気がします。
おまけに、2人の対比ということに重きが置かれるので・・・
そうではない部分が見えないのがちょっと寂しいです。


無かったと言われている一騎打ち・・・
どうしてこの合戦が名勝負として語り継がれるようになったのでしょうか???

それには2人の人間が関わっています・・・

@江戸時代・武田の家臣だった軍学者・小幡景憲。甲州流兵学者です。
甲陽軍鑑を入手し、講義の為に編纂の手を加えました。
歴史的事実ばかりが入っていたかというと疑わしいのです。
江戸時代も60年が過ぎ、武士と言えど、戦場で戦った人間が少なくなってきました。
武士としての美学を学ぶためにこの本を利用したのです。


そして、もう一人が・・・
A宇佐美三木之助。小幡景憲の血筋に当たります。
彼は、甲陽軍鑑をヒントに上杉方の文学を捜索、初代紀州藩主の徳川頼宣のもとに持ち込みます。
頼宣は、次期将軍と思われていましたが、秀忠によって紀州に領地替えとなっていました。
ここ紀州で北越軍記を書いて、対抗し、紀州徳川家の軍師となりました。

遺恨を残した秀忠と頼宣・・・そこにあったのが「甲州流軍学」と「越後流軍学」だったのです。


「岩国本」と「紀州本」では違いがあります。

「岩国本」では見慣れた一騎打ちではなく・・・

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「紀州本」では、信玄と謙信が川の中で戦っているものでした。


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徳川家と紀州家の戦いでもあったのです。


ただ・・・サラリーマン化してきていた時代に、武士とはこういうべきである!!という見本だったのは間違いないようです。


どちらが好きか・・・高橋英樹さんが決めるのですが・・・
でも・・・軍配は挙げる必要があったのかなあ・・・っては思います。
好きな人物は、どう転んでも好きでしょう。黒ハート


「勝者には悲哀を、敗者には美学を」だそうです。黒ハート


来週は「武蔵VS小次郎」です。


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posted by ちゃーちゃん at 14:28| Comment(0) | テレビ番組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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