2012年07月27日

てくてく福井  〜東尋坊〜

御無沙汰しています。

先週1週間は、旦那様が1週間休暇だったので、3泊4日でキャンプに行ってきました。

電話もパソコンもない時間も、家族のおしゃべりで有意義に使うことが出来ましたが・・・
やはり手持無沙汰は否めないようです。失恋

この夏も、福井県に行ってきました。
で、今回は、観光もしてきました。

車でのドライブでしたが、福井のいいところをご紹介します。

まずは・・・東尋坊。

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東尋坊は、新生代新第三紀中新世(約1200〜1300万年前)の火山活動で、形成された安山岩が約50万年前に隆起し日本海の海食によって独特な景観が作り上げられたものです。

東尋坊は、ローソク岩、ライオン岩、舟付岩、千畳敷などの奇岩、奇礁が数多く見られ、北陸地方随一の奇勝とされています。

東尋坊を中心に高さ約25m、距離約2キロにわたって見られる、輝石安山岩の柱状節理や海食断崖などの景観は、規模も大きく特異なことから世界的にも極めて貴重なものとされ、昭和10年(1935)に隣接する越前松島と雄島とあわせ「東尋坊」として国指定天然記念物及び名勝に指定され、平成19年には「東尋坊」として日本の地質百選にも選定されています。

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東尋坊の名称の理由は、昔白山神社の別当だった平泉寺の僧の中に東尋坊を名乗る者がいて、周辺の住民に対し悪行を重ねていたそうです。

東尋坊は怪力の持ち主で、東尋坊が暴れだすと誰も抑えることが出来ず多くの人達は困り果てていました。
そこで、うまい理由で東尋坊を岩壁に誘い出し酒宴を開いて大量の酒を勧めました。

東尋坊が泥酔した隙を突き岩壁から突き落とし、見事目的を果たしましたが、東尋坊は怨霊となり、突き落とした人々を次々と殺し、現在でも命日には激しい風が吹き荒れると伝えられています。

その谷がこちら。

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船越栄一郎さんはいませんでしたが、この谷から突き落とされたら、ほんと、一巻の終わりでしょう。。。あせあせ(飛び散る汗)

夕方に行ったのですが、お店は5時ごろには閉まってしまいます。
夕日を見ながらの絶景が見たかったのですが、店じまいでした。。。たらーっ(汗)


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2012年05月07日

彦根城散策 〜埋木舎〜

こちらは、井伊直弼が若いころに過ごした埋木舎。

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井伊直弼は、11代藩主井伊直中の14男として生まれました。

5歳で母を、17歳で父を失ったので、藩の掟に従って300俵の捨扶持で彦根城佐和口御門前の公館で、32歳までの15年間を暮らすことになりました。

有名なのがこの時に詠んだ歌。

世の中をよそに見つつも埋れ木の
    埋もれておらむ心なき身は

直弼はここで、茶道・和歌・能・国学・書・禅・湖東焼・楽焼・武術・馬術・柔術・弓術など、文武両道の鍛錬をしました。

この時の睡眠時間はわずか4時間だったとか・・・。

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埋木舎は、船橋聖一氏の小説「花の生涯」で、井伊直弼が青春時代を暮らした館として登場し、それは、NHK大河ドラマ第1号となりました。

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明治維新を創った人によって、極悪非道な幕府の親玉のようにされてしまった井伊直弼。
だいたい、日本人は天皇でも将軍でも、トップはあんまり悪くなくってナンバー2が悪役のようなところがありますしね。。。

一番の要因は安政の大獄によって吉田松陰を死罪にしたことでしょうが、もともと井伊直弼も開国論者だったわけで。。。

なんだか、可哀想な気もしますね。。。バッド(下向き矢印)

井伊直弼への暗殺予告も毎度のようにあったそうで、暗殺されるのは解っていたんだろうと思います。
徳川300年の全てを引き受けて、直弼の死によって何もかもを清算させる。。。そんな方法を自らがとったのかもしれません。

譜代の一番にあった井伊家が徳川家の全てを背負って、暗殺される・・・。

それが、幕末・維新という大きな渦に巻き込まれるきっかけとなったのも必然だったのかもしれませんね。

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彦根城散策〜B〜

こちらは有名な「井伊の赤備え」黒ハート

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彦根藩井伊家では、藩主以下家臣に至るまで、甲冑や旗指物を朱色で統一していました。だから「井伊の赤備え」です。

そのルーツは、甲斐の武田。徳川家康は、自分と同じような境遇だった井伊直政を可愛がり、家臣のいなかった直政に武田の遺臣を中心とする117名をつけました。

勇猛で知られた武田家の有力武将・飯富虎昌らの”赤備え”にあやかって、その軍団を赤一色とするよう命じました。

直政は、武田軍団の象徴を名実ともに受け継ぎ、徳川家臣団の中で最強と言われるようになりました。

藩主所用の具足には、巨大な金箔押しの天衝脇立が立てられています。
ちなみに藩士たちは、小ぶりの前立てをつけるように決められていました。

この地は、戦場が近くにあったために、刀剣や武具の製作も盛んに行われていました。

日本の刀・・・
日本刀は、反りのついた湾刀です。これは、平安時代後期にはもう使われています。
”折れず””曲がらず””よく切れる”この言葉には、日本刀の優秀さが表れています。
日本刀は、時代の戦闘形態の変化に合わせて使いやすいように反りや長さが変化しています。

武具も戦国時代の集団戦でも遠くから見えるように、馬印や旗指物は大きくて形の奇抜なものが用いられました。

日本の馬は小型で、ポニーぐらいの大きさでした。

鞍には公用と私用があります。
公的な場では、蝋色塗に定紋を据えたシンプルな鞍を、私的には蒔絵や螺鈿で飾った華やかなものを用いました。

この武具や馬具を作っていた職人さんが、平和な世には仏壇を作るようになりました。
それから、武具で使われた皮をの残りは、当時は御禁制なので。。。薬として食べたのが「近江牛」です。

本当に、文化が根付いていたことが解ります。

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こちらは博物館でやっていた能舞台での能の舞。

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そして、この綺麗な庭は、玄宮楽々園です。

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