60年間に200以上の小説を執筆しました。

そして誰もいなくなった
オリエント急行の殺人・・・
しかし、彼女の人生もミステリーでした。
アガサ・クリスティーの作品では・・・名探偵が鮮やかに問題を解決します。
今から80年も前に、今のミステリーを・・・その王道を作った人です。
欧米では、聖書・シェイクスピアに次いで読まれていて・・・世界での発行部数は10億冊・・・109の言語に翻訳されているのです。
ミステリーの女王の誕生は・・・
マスコミ嫌いのアガサ・・・人に書かれるぐらいなら、と自伝を発表しています。
アガサは、薬剤師助手の資格をもっていました。
1917年4月30日、アガサ26歳の頃でした。
この頃に小説を書き始めます。
デビュー作は・・・「スタイルズ荘の怪事件」(1920年)
薬の調合とミステリー小説がつながった偶然でした。
1890年イギリス南部のトーキーで生まれたアガサ、一人で人形遊びをして空想をするのが好きな子でした。
11歳年上の姉の影響を強く受けます。
ある探偵小説を読んだ二人・・・
「私も探偵小説を書きたい!!」
そう姉に言ったのです。
しかし姉は・・・
「あなたには出来っこない!!」と。
1914年第1次世界大戦勃発。
一つ年上の軍人アーチボルト・クリスティーと結婚します。
アガサ自身も陸軍病院で働きます。
前線から運ばれてくる兵士の手当のボランティアをしました。
そこで薬の・・・薬物のすごさを身に染みて感じます。
薬に強い関心をもったアガサ・・・薬局に配属されます。
そこには毒にもなる薬もありました。
薬をもっと知りたい!!そう思って、2年かけて免許を取ったのです。
そして・・・毒薬のトリックを使ったミステリーを書いたのです。
「スタイルズ荘の怪事件」(1920年)では・・・
心臓が悪かった被害者は、強壮剤を飲んでいました。
強壮剤には、毒性の強いストリキニーネが含まれています。
ここにある薬を混ぜると・・・毒が沈殿していきます。
ちなみに、長編66冊のうち被害者が毒殺されるのは34冊。
毒殺の被害者は62人、禅被害者の39%を占めています。
アガサが嬉しかったのは・・・
1923年の調剤学時報の批評で、「十分知識のあるやり方で毒薬を扱っており、自分の仕事に十分心得のある人だ」と、言ってもらったことだそうです。
現代のミステリーは、殺人方法を詳しく書けないのですが・・・。
1926年12月3日夜・・・
アガサ・クリスティー行方不明。
12月4日(土)朝、自宅から南約20kmのところで・・・車が発見されました。
車はほぼ無傷。
アガサはどこに消えたのでしょう??
この頃は、アガサは夫と娘と豪邸暮らし、全てが順調そうに見えました。
謎に満ちた失踪・・・
12月5日、警察は2000人の捜索を始めます。
そこには一般人も参加します。
有力な手掛かりのないまま・・・自殺も考えて、湖も・・・。
マスコミは興味本位のネタを書きます。
夫が怪しい?作品の為の自作自演???
12月14日、アガサ発見。
失踪から11日目にイギリス北部の高級ホテルで・・・アガサは宿泊客として泊まっていました。
アーチボルトは・・・
「彼女は事故が原因の脳震とうで記憶喪失に陥っています。
自分が誰かも、何故ここにいるのかもわかっていません。」
と、コメントしています。
医者も記憶喪失と・・・
しかし、このことで、アガサの家庭の秘密も暴露されてしまいます。
夫・アーチボルトは、若い秘書と不倫の関係にあり、アガサに離婚を要求していました。
アガサも、記憶喪失というけれど・・・テレサ・ニールという名で宿泊。夫の愛人の姓を名乗っています。
しかも、車が発見された場所は、愛人と過ごす家と10qも離れていませんでした。
事故なのか?乗り捨てたのか?それとも記憶喪失・・・???
アガサは、一切マスコミに出なくなりました。
しかし、作品は、この事件を機に大ヒット。
1926年「アクロイド殺し」
1927年「ビッグ4」
1928年「青列車の秘密」
ミステリアスな作家として、成功していきます。
アガサ作品の魅力として忘れてはならないのが・・・
旅・グルメ・ロマンスです。
40代に入り、アガサ作品は一気にスケールアップ。
1935年「雲をつかむ死」では、舞台は旅客機。
1934年「オリエント急行の殺人」では、豪華な列車内で。。。動く高級ホテルでの事件にポワロが挑みます。
当時イギリスでは、海外のツアー旅行が大流行、その旅心とマッチしたのです。

アガサがこのようなお話を書けたのは・・・考古学者・マックス・マローワンとの再婚がきっかけです。
夫の遺跡調査に参加し、そこで執筆しました。
イギリスにある“グリーンウェイ”という白亜の豪邸は、今は文化遺産として公開され、アガサは家族と、古き良き時代を満喫したようです。
そんなイギリスらしい生活を垣間見ることが出来るのは・・・“ミス・マープル”。
田舎に住むおばあちゃん探偵・こちらはグルメ探偵です。
ロマンスは・・・ドロドロの描写を・・・三角関係・・・男女のもつれなどの描写はぴか一でした。
当時の探偵小説には、恋愛の要素は必要ないと思われていました。
そこにいち早く気づき・・・人間の内面までも描き出した作品です。
マスコミ嫌いだったアガサ・・・
60代以降の人生を大きく変えたのは、“ウエストエンド”ここでの演劇です。
アガサの描いた戯曲・ねずみとりは、60年演じ続けられています。
上演回数を2万5000以上を記録する、世界で最も長い上演記録を持っています。
アガサは、小説を次々と戯曲に変えていきます。
それは。。。???
「課税が厳しくなって、1年に2作品書いたとしても、1作書いた場合よりわずかに収入が増えるだけ。もし、本当に私がやりたいと思うようなものなら話は別である。」
やりたいもの・・・そこに導いたのは、ねずみとりのプロデューサー“ピーター・ソーンダース”でした。
戯曲は次々にヒット。かつて経験したことのない大喝采を浴びます。
そしてエリザベス女王からも・・・
1971年DBE(大英帝国勲章第二位)叙勲。
貴族の称号(男性ならばサー)を授与されます。
マダム・タッソー蝋人形館に・・・
王室からハリウッドスターまでいるのですが・・・
アガサが人形として置かれることになりました。
80歳のままの有りのままの姿で。
そして、1976年1月12日85歳の生涯を閉じました。
ミステリー作家らしく、チャーミングな人でした。
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