2013年01月31日

悲劇!二君に仕えた男〜明智光秀〜

「敵は本能寺にあり!!」

しかし、この数年前まで、光秀は信長にとって最も信頼できる家臣でした。
明智光秀は、信長の家臣の中で一番最初に城持ち大名となりました。
その働きは凄まじく、軍事から朝廷まで、あらゆることに働き・・・
信長は三成のことを「粉骨の度々の功名比類なし」と言ったほどです。

家臣の筆頭格としてありました。

織田軍団にあって、スーパーエリートだった明智光秀、何故本能寺の変を起こしたのでしょうか?
そこには信長と光秀の・・・長きにわたる因縁の関係がありました。

それは・・・天下人・信長を生み出した明智光秀・・・光秀は足利義昭の家臣でもあったのです。

本能寺の変の時・・・信長49歳・秀吉45歳・光秀は54〜55歳だったと言われています。
もっと年上だったかもしれません。
もともとは朝倉家や将軍家・・・いろいろと浪人時代も長い苦労人です。

明智光秀は、武将として優秀なのはもちろん、将軍家との交渉や朝廷との交渉・・・外交能力にも長けていました。
そして、領地を治める才能も・・・すべてを持っている武将でした。

光秀は、美濃の守護・土岐氏の一族の出身と言われています。
斉藤義龍によって国を滅ぼされ、諸国を放浪しながらさまざまな知識を習得しました。6年にも及ぶ流浪の末、朝倉家に仕えたものの、義景は凡人で、光秀の才能に気付くことなく官職にあえいでいました。
40歳頃だった光秀、人生はこんなもんかと思っていた時、思わぬチャンスが・・・
足利13代将軍・義輝が、松永久秀と三好一族に殺されるという事件がおきました。
弟・嘉昭は京を逃れ・・・朝倉家に助けを求めてやってきました。

放浪中に、足利家の側近と親しくなっていた光秀は、動き出します。

足利義昭は、朝倉義景に京に上洛し、自分を将軍につけてくれるようにと頼みます。
が・・・実力も野心もなかった義景・・・

イラつく義昭側近の細川藤孝に近づいた光秀は、進言します。
「朝倉に頼んでも・・・
 今の朝倉には、武力も知略もかけております・・・

 尾張・織田信長!!
 義昭様が後ろ盾として頼るべきは、この者をおいて他にはございませぬ!!」

当時、終わりを平定し、勢いに乗る信長・・・なぜ信長だったのか???
光秀は、信長の正室・濃といとこの関係にありました。
自分が交渉役に・・・という計算があったのかもしれません。

そして、信長は実力主義者・・・
それまでは、家とは同族会社のようなもので、縁故なものしか入ることが出来ませんでした。しかし、信長は、実力のあるものを採用します。
傭兵のような形になったのは、信長からなのです。

足利幕府再興の為に・・・

足利義昭は、自らの使者として光秀を信長のもとへ・・・
天下を狙う信長にとっては、渡りに船のことでした。
同時に信長は、光秀の才能を見抜き、自らの家臣となるように勧めたのです。
1568年明智光秀を介して信長は、足利義昭に会うことになります。
そして、その2か月後には上洛、3か月後には義昭を15代将軍に押し上げました。

わずかの間に現実となった天下統一・・・信長の全国デビューの仕掛け人は、明智光秀だったのです。

そして、足利義昭の側近と共に信長の家臣という、異例の処遇を受けます。
信長からは、京都奉行を任され、朝廷や公家たちの接待を任されます。
新参の家臣としては、異例の抜擢です。

学識があり、和歌も読める。京都で通用するのは光秀。。。

しかし、やがて2君に仕えたことが、光秀の苦悩となっていきます。

義昭と信長・・・その橋渡しをすることで立場を守ってきた光秀・・・
しかし、2人の間に対立が出来てきます。

将軍になったからには自らがTOPとなれると思っていた義昭。
そんな義昭を、天下取りの道具としか思っていなかった信長。

光秀は二人のはざまで・・・

義昭は将軍として、各地の武将たちに書状を出し始めます。
これを苦々しく思った信長は・・・
「諸国へ御内書を以て
 仰せ出さるる子細あらば
 信長に仰せ聞せられ
 書状を添え申すべき事」
と、厳しく制限します。

この五箇条の条書には、光秀も承認役として・・・義昭を説得します。
義昭の為に信長を推薦した光秀が、義昭を説得する・・・
その心中は複雑だったでしょう・・・

それに反発した義昭は、武田・朝倉・浅井・比叡山・石山本願寺などに信長討伐を!!と、考え始めました。

将軍の統制のもとに世を治めるのがわが理想・・・
しかし、今の将軍家には、名こそあれ力はない・・・
力を持っているのは信長様・・・
私の出世は・・・
名を取るか、実を取るか・・・
結局光秀は、信長の家臣であることを選びました。

比叡山攻めを高く評価してもらった光秀は、信長から滋賀県大津にある坂本城を与えられます。光秀は、信長の家臣の中で、一番最初に一国一城の主となったのです。
信長の最も近いところに守っている光秀は、信長の近衛軍団でもありました。
最も信頼しているからなればこそでしょう。

坂本は、比叡山の門前町として栄えていました。
信長は、町中にも火を放ち・・・山へと追いやったのですが・・・
今でも光秀の評判はいいようです。
西教寺を再興し、ここを菩提寺にしました。
自ら滅ぼした寺を、自らの手で復活させたのです。
この地の人は、今、光秀の名誉復活の活動をしています。

光秀は西教寺以外にも、町を復興しています。
比叡山攻めは、彼の本心だったのでしょうか???

この頃は、信長の家臣であったものの、義昭からのラブコールもまだありました。
そんな中、1572年武田信玄が上洛に動きます。

信長に最大の危機が!!

この時、足利義昭から光秀に・・・
「将軍家に尽くさば 美濃の守護に任じる」
という書状が届いたと言います。

光秀は・・・
天下の主導権は信長にあると解っていました。
だからこそ義昭に、和睦を薦めます。

結局義昭は・・・
1573年信長に京を追放されてしまいます。
理想を棄てて、実利を取った光秀でしたが・・・

信長の家臣として粉骨砕身頑張る光秀。
1579年4年がかりで丹波の国を平定、その間も、近畿方面の様々な戦いに援軍として参加(越前・伊丹・石山本願寺・雑賀)、京都での朝廷との交渉もしていました。
まさに、“粉骨のたびたびの功名比類なし”です。

が・・・信長はリストラもどんどんしていきます。
古参の佐久間信盛は・・・
「光秀の功名は聞こえど、おぬしの功名は一度も聞いたことがない。
いっそのこと討ち死にするか、剃髪して高野山にでも行け」
と、追放してしまったのです。

古参に対しても容赦のない信長・・・
存分に働けるうちはいいが、働けなくなったら・・・???
自分もいつ切り捨てられるか・・・

事実、丹波平定の後、3年間は戦働きの任を与えられませんでした。
1582年信長は武田氏を滅ぼします。が、光秀に参戦の機会なし。
そうした焦りからか・・・戦勝祝いの席で・・・
「これでわれわれも骨を折ったかいがあった・・・」
これを聞いた信長は・・・
「お前に何の骨折りがあった!!」
と、激怒!!幾度も光秀の頭を欄干に打ち当てたとか・・・!!!

本当でしょうか???
これは後世の作り話だとか・・・???
かなりの屈辱です。
1582年3月・・・本能寺の変の3か月前のことでした。

急速に狂い始めた歯車・・・
1582年5月、信長は、長宗我部元親の討伐を決意します。
実は、光秀は、長宗我部と長年友好関係にありました。
しかも、討伐軍は、光秀ではなく三男の信孝でした。
光秀から息子たちへ・・・世代交代を始めていたのでしょうか?

5月12日誕生日に、信長は、「神格化宣言」を配布します。
同時に、信長の非情さも激しくなっていきます。
殺戮に対しての躊躇が無くなっていきます。

5月15日光秀は、安土城にやってきた徳川家康の饗応接待役を務めます。
しかし、6日後・・・5月21日には秀吉の援軍を命じられるのです。
その際・・・光秀の領地だった丹波を召し上げ、毛利領である出雲・石見を与えると告げたのです。
この国替えは、光秀にとっては左遷人事に思えたでしょう。

運命の6月1日、丹波亀山から1万の兵を従えた光秀は、中国地方に向かわずに京の本能寺へ・・・
どうして光秀が・・・
主君を討つには相当の覚悟がいったことでしょう。
しかし、足利義昭に引き合わせたのは自分・・・
そのことで、尾張の一地方から天下の織田信長としたのは自分だった・・・
そんな後悔の念があったのかもしれません。
その後悔の念が、光秀を本能寺に向かわせたのかもしれません。

討ち取った後、友人への手紙には・・・
「信長親子の悪虐は天下の妨げ討ち果たし候」
と送っています。


信長を討った光秀は、中国から取って返した秀吉によって三日天下で終わります。
しかし・・・京都には、光秀の首塚が残されています。
そして・・・
明智光秀は、理想主義と現実主義を兼ね備えた武将でした。
文武両道で引き出しも多く、やるとなったらあらゆる仕事をパーフェクトにこなす、主君にとっては理想的なNo,2だったと言えるでしょう。

しかし、そんなスーパーエリートこそが、キレやすく壊れやすい・・・
理想と現実をバランスよく保っていられるほど、人は強くないのです。


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posted by ちゃーちゃん at 08:13| Comment(0) | THE ナンバー2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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