
![八重の桜 一 [単行本(ソフトカバー)] / 山本 むつみ (著); 五十嵐 佳子 (その他); NHK出版 (刊) 八重の桜 一 [単行本(ソフトカバー)] / 山本 むつみ (著); 五十嵐 佳子 (その他); NHK出版 (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/512jBOPezRL._SL160_.jpg)
八重の桜 一 [単行本(ソフトカバー)] / 山本 むつみ (著); 五十嵐 佳子 (その他)...
清盛が終わってから、とっても楽しみにしていました。

誰もが知らなかった清盛とは違って、誰もが好きで議論したがる幕末ものです。
どうなっていくのか楽しみです。

始まりは、アメリカ南北戦争から。
”あ・・・歴史のことよく知ってる人だ

どの時代も、戦争があって死の商人がいる・・・。
アメリカ合衆国で南北戦争が終わったころ・・・
南北戦争で使われた武器が、余ってしまっていました。
本当に、この南北戦争では、闘い方がコロッと変わるほどの武器がたくさんあって、新聞やモールスなんかで”情報”をいかに早く手に入れるか戦争へと、変わってきていました。
その・・・余っていた武器が・・・アメリカが黒幕なんだけれども、幕府にはフランスから、薩長にはイギリスからもたらされました。
そして・・・生麦事件を契機に幕末の動乱が始まってしまいました。
私は、戊辰戦争までの山本八重子しか知らないので、楽しみにしています。

と言うのも、会津のために戦った、死をも覚悟した強い女性が、明治と言う時代をどんなふうに生きたのか?っていうと、カッコいいですが・・・
「なんで、中野竹子みたいに死ななかったの?」
っていうところを見てみたいと思います。


そして・・・最近の大河は、大河ではなく”人物伝”のようなところがあると思います。
清盛は、確かに大河でした。

が・・・歴史がどう動いているか???
時代を解説してくれるナレーションもなく、主人公中心にそんなことはお構いなしにどんどんと進んでいってしまう・・・そんな作品が多いので、今回もどんな大河を見せてくれるのか?
それも、楽しみです。

草笛光子さんのナレーション、


お話は、松平容保さまのお国入りから始まりました

そして・・・
5歳の八重は男勝りで負けん気が強く、父・権八や母・佐久も手をやいていました。
そんな八重が慕ってやまないのが、兄・覚馬。

代々砲術家の家ですから銃を扱うのが、この一家のお仕事です。
銃で華麗に的を撃ち抜く兄の姿を見た八重は、砲術に夢中になっていきます。
お城では、「土津公御家訓」が読み上げられています。
このドラマの一番の根っこの部分ですね。
一、大君の義
一心大切に忠勤を存ずべし 列国の例をもって自ら処るべからず
もし二心を懐かば 即ち我が子孫にあらず
面々決して従うべからず
将軍家に忠義を尽くすことが第一と言うことですが、この後家訓、藩祖・保科正之が定めた会津藩の絶対でした。
そう、これがなかったら、あんな悲劇はなかったかもしれないですよね。

会津に入ることになった容保公、先代の容敬公からこの後家訓を守るように言われております。
な、なんと、私の大好きな中村梅之介さんではないですか???
ああ、遠山の金さんです、この人に育ててもらったようなものです。
懐かしい



でも・・・容保に御家訓に沿うように生きろ!!って、言ってる・・・

その年の秋、会津藩士が最も張り切る軍事操練「追鳥狩」の真骨頂である模擬戦の最中に事件が起きてしまいました。

八重が来た時点で、何だか嫌な予感がしたのよね。
男の子たちと木に登って・・・一番いいところで観よう!!と、男の子たちと木に登り始めました。

男の子とは、遊んじゃダメなんじゃ・・・???
子どもはいいのか???
「一番鳥」の本命と目される番頭・西郷頼母が一羽の鳥に狙いを定め竹鞭を振り上げたとき、八重が邪魔をしてしまいました。
木から落ちそうになって・・・草履を落としてしまったのです

「私でごぜえやす・・・!!」
と、名乗り出る八重。
覚馬と一緒に土下座する八重。一番鳥の手柄は、頼母ではなく佐川官兵衛に・・・。
許さない頼母!!
逃げ出していた男の子たちも戻ってきて、みんなで謝ります。
そこへ藩主・松平容保が現れ・・・
「高く高くと競い合って登っていたのであろう。
それもまた子どもらの戦ではないか。
武士らしく名乗って出たのだ。卑怯な振る舞いはしておらぬぞ。」
「なれど、ならぬことはならぬのです・・・」
と、子供たちはしっぺいの刑になりました。
とっても優しいお殿様と頼母です。
お情け深いお殿様が、八重を救いました。
「武士らしいと言われた・・・
私のことを武士らしいとおおせになった・・・
私・・・お役にたちてえ・・・
早く大人になって、殿さまに御恩を返してえ・・・
兄様、私、鉄砲がやりてえ・・・!!」
この出会いが、八重のその後の人生を変えるのでした。
固い決心をした八重ですね

そして・・・実りの秋を頼母と一緒に見ている容保は・・・
「23万石・・・背負っていけるのだろうか・・・
わしは12の年より美濃高須家より参ったものだ。
この身に会津の血は流れておらぬ・・・
この国の良き主となれるのか・・・?」
「怖れながら、若殿おひとりではなりがたきことと存じまする
さればこそ、藩士がお仕えいたしまする
万が一、御主君に誤ちがあった時には命を賭してお諫めいたしまする
代々そうして生きてまいりました
これからも御恩が変わることはござりません
我らが藩主をお支え申します」
この二人の立ち位置も、決定しましたね。

場面変わって、吉田松陰・宮部鼎蔵が登場しました。
松陰さんは会津が好きだったようで、2度も訪れているんですね

1853年ついにペリーが来航しました。
覚馬が藩命で江戸へと向かいました。
あ・・・藩命出してる風間杜夫さん、(林権助)容保様だ

佐久間象山のもとへ・・・勝海舟もいますね

そして、ここで出会ったのが川崎尚之助です。
吉田松陰さんもここにいるなんて・・・なんと、豪華な

西洋の技術と、東洋の道徳で勉強をする・・・
田舎者でなのも知らなかったことを痛感した覚馬、一生懸命お勉強します。

1854年7月、江戸湾にペリーがまたもややってきました。
開国の返事を聞くために・・・
出た〜!!攘夷、攘夷、攘夷

水戸斉昭!!伊吹吾郎さんです。
井伊直弼は、榎木孝明さん。榎木孝明さん、柳沢吉保に見えてしまう

こういう大御所が出てくくると、画面がピリッと時代劇

そしてこんな大御所の中・・・容保公は・・・
「申し上げます。
今、戦を始めるは無謀と推察いたします。
弊藩、品川砲台の守備を受け持ち、それがしも幾度と巡検いたしましたが、我が国は、火力に劣り、大軍に攻め込まれればなすすべがございません・・・!!」
と言ってしまいました。
井伊直弼さん、開国へと舵を切ります。
って、容保公だけの意見ではないのは決まってますが、
斉彬「容保殿・・・会津葵の御紋服・・・御身にはちと重すぎぎるのではござらぬか・・・!!!」
ああ・・・斉彬怖い!!
って、あ・・・よく考えると、格さんじゃないの???水戸の

まあ、「この紋所が目に入らぬか!!!」ですから、葵の御紋の重みは、痛いほど知ってるでしょう

どちらにしても、開国派・井伊直弼さん、攘夷派・水戸斉彬さん・・・どちらにも、目をつけられましたね。。。
覚馬は、ニコイチな川崎尚之助と一緒に黒船を観に行ったりなんかして。

今回は、いろんなことをたくさん詰め込んで・・・

なんとも見応えがありました。

こんなに詰め込んでいいの???
と、思っていましたが、八重さんの本当の人生は明治に入ってからですから、そこをたくさんしてくれるのかもしれませんね。
私たちは、白虎隊や新選組、薩長に坂本龍馬・・・幕末はよく知っていても明治維新はあまりよく知らないのかもしれません・・・。
と言うよりも、司馬遼太郎さんは、時代が歴史になるためには150年いると言っていました。
そうだよね・・・私の祖父も明治生まれ・・・
今、歴史になりつつあるのかもしれません。
これから1年間、楽しみにしています。

「白虎隊〜前編〜」観ました。はこちら。
「白虎隊〜敗れざる者たち〜」観ました。はこちら。
今いてほしい!?日本を変えたリーダーたち〜保科正之〜はこちら。
保科正之〜江戸を救った副将軍〜はこちら。
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