2012年12月27日

松平容保さんです。

松平容保さん・・・

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激動の幕末の悲劇を全部背負った、会津藩主です。

”八重の桜”では、綾野剛さんです。

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が・・・
私の中では、この人・・・銀ちゃん

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ではなくって、風間杜夫さんです。
この人のイメージを払拭してくれるのか???
それが、私の中のキーポイントです。
でも、風間杜夫さんも林権助で出ているのですね。
気をつけて見なければ黒ハート


なかなか線の細そうで、生真面目な松平容保さんが出来そうですね。黒ハート

容保は、美濃高須藩主松平義建の6男として生まれ、会津藩主松平容敬の養子となりました。
養子だからこそ、・・・藩祖・保科正之(徳川家光の弟)の遺訓を固く守り、最後まで徳川幕府に忠誠を尽くした人でした。

藩主がそうあれば、その家臣もまたそういう時代でした。。。たらーっ(汗)

文久2年京都守護職を拝命し、尊皇攘夷派に対抗。
将軍家茂の上洛、公武合体の推進等で功績を上げ、孝明天皇の信任を得ます。
そうなのよね・・・信任を得ていたからこそ、賊軍となった時は理不尽な思いを多分にしたとでしょう。。

文久3年薩摩藩と同盟して長州藩を始めとする尊王攘夷派を宮中から一掃。
翌年の元治元年、禁門の変では長州藩兵を撃退しました。

大政奉還後は将軍慶喜と行動を共にし、っていうとカッコいいけど・・・
大坂をほっぽり出して、江戸で再戦を説きます。
が容れられず、会津で征討軍と死闘を繰り広げましたが降伏。。。
捕われて永禁錮となりますが、明治5年許されて日光東照宮宮司となります。
そう、当時としては珍しく、行き恥をさらしてしまうのです。。。
ちなみに、家老の西郷頼母も行き恥を晒してしまいます。


松平容保を想うとき、いつもこの歌を思います。

風の流れの 激しさに
告げる想いも 揺れ惑う
かたくなまでの ひとすじの道
愚か者だと 笑いますか
もう少し時が ゆるやかであったなら

雲の切れ間に 輝いて
空しい願い また浮ぶ
ひたすら夜を 飛ぶ流れ星
急ぐ命を 笑いますか
もう少し時が 優しさを投げたなら

愛しき日々の はかなさは
消え残る夢 青春の影


気まじめ過ぎた まっすぐな愛
不器用者と 笑いますか
もう少し時が たおやかに過ぎたなら
愛しき日々は ほろにがく
一人夕陽に 浮かべる涙

愛しき日々の はかなさは
消え残る夢 青春の影

小椋桂さんの作詞したこの歌は、私的には白虎隊というよりも、この人のことを代表とした会津の人々を歌ったのでは???と、思っています。


実際に、生真面目でなければ、偉大な保科正之の言いつけ(徳川を守る)を守らなかったかもしれないし、京都守護職を断ったかもしれません。


この人についていつも思うのは、こうも馬鹿なまでに愚直にカッコよく生きた人なのに、テレビの歴史番組で取り上げられるのは少ないことです。失恋
メジャーじゃないのexclamation&question

今の時代は、官軍の作った時代が続いています。
こんな後の時代でも、彼は賊軍の汚名をかぶってしまっているのでしょうか???


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posted by ちゃーちゃん at 15:57| Comment(0) | 八重の桜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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