突然の熱病に倒れた清盛は生き霊となって、遠く伊勢・二見浦にいる西行の目の前に姿を現しました。
はじめはひどく驚く西行でしたが・・そこは坊主・・・???
「恐らく、お手前は間もなく死ぬのでござりましょう。」
「あるまじき事ぞ!!
今死ぬという事は、皆の志を捨てるに同じぞ。
父上や叔父上。弟・家盛。家貞。我が子・重盛、基盛。
信西殿。義朝…兎丸。
みなの志を継ぎ、武士の世を作ることが・・・!!
わしの背負うた使命!!
頼朝を倒し、再び福原に都を作るまでは死ねぬ!」
「その方々も皆、そうだったのではござりませぬか?
やり残した事がある。
果たせなかった思いがある。
皆、無念であった事でしょう。
されど、皆に等しく訪れるのが死というもの。
それゆえにこそ、人は命尽きるまで存分に生きねばなりませぬ。
そして、お手前ほどそれを体現したお方を・・・私は他に知りませぬ。
うれしい時、楽しい時もつらい時、苦しい時さえも・・・いついかなる時も、
子どもが遊ぶようにお手前は生きた。
生き尽くした!
お手前の生きてこられた平清盛の一生・・・
まばゆいばかりの美しさにござりまする。」
話を聞くうちに事態を理解したのか、清盛。。。泣いています。
富、地位、権力を手に入れた誰しもが、最後に行きつく”生”への執着ですね・・・

やはり、坊主・・・っていうか、出てきたときから兄のように意見してくれたのは、この人だけでした・・・

それが、とっても残念です。

京では高熱にうなされている清盛を、平家一門が祈るように見守っていましたが、手の施しようもありません。
読経はしないのかしら???
一方、後白河法皇は清盛危篤の報に接し、狂ったかのように今様を歌い、踊り続けています。
「♪遊びをせんとや生まれけむ。戯れせんとや生まれけん♪」
・・・西行の言葉でようやく自分の寿命を受け入れた清盛は一門の前でむくっと立ち上がり・・・
平家のつわものたちよ!!(って、公家化しているのに兵???強者???)
比類なき我が一門よ!!
聞くがよい。
「―きっと、わが墓前に、頼朝が首を供えよ!」
と言い遺し、1181年の春、絶命しました。64年の激動の生涯でした。

西行は京の平家一門を訪れ、清盛の遺言を伝えます。
そして、西行の姿はいつしか清盛そのものとなり・・・遺言が。。。
ああ・・・なんだか最終回って感じがしますね。
ドラマって、最終回は終息に向かっていくのであんまり面白くないっていうのがよくありますが、もともと盛り上がりに欠けるからか、普通に見れちゃいます。

って、面白いってことですよ

まあ、それは最期を知ってるからかなあ・・・。
一人一人への遺言ですが・・・みんな長生きしてるな・・・なんて思っちゃいました。
でも、清盛さんは人情に厚い人でしたから、きっとこんな感じだったんでしょうね

だからこその一蓮托生・・・
その後も、平家は一連托生の強い絆のもとにそれぞれ戦います。
源氏軍の侵攻により、都落ちを余儀なくされたのは1183年。。。
この都落ちはそれぞれの行く末に多大は影響をもたらしました。
頼盛は清盛の遺言を受けて、平家の血を守ろうと考え鎌倉の頼朝を頼ります。
う〜ん・・・平家の血を守る???
って程、篤いものがあったかどうか・・・って気もしますが。。。
侍大将の忠清は伊勢平氏の乱を起こしで戦っいましたが・・・捕縛され、斬首。。。
その後、態勢を立て直した平家でしたが、一の谷で重衡は捕らえられて斬首。。。
逃亡した維盛は後に那智の沖で入水して果てました。
壇ノ浦でも多くものが散ります。
怒涛のような紹介です。
永井大さんの”新選組血風録”を思い出してしまいました。。。

あの時は、”新選組”というとで思い入れもあって、もっと、一人一人にスポットを!!!と思いましたが、今回は、これでも十分かと思っちゃいました。

清盛が世を去って4年後・・・そう、まだ4年後のこと・・・雌雄を決する壇ノ浦の戦が・・・!!
って、”雌雄”って言っていいの???一時男尊女卑とかって言われてなかったっけ???
総大将の知盛は勇猛果敢に戦い、最後は錨を体に巻きつけて海に沈み・・・
宗盛は死にきれずに海でもがいているところを捕縛、のちに斬首されました。
建礼門院徳子は捕らえられ、のちに出家して一門の菩提を弔う生涯を送ります。
時忠は、御神鏡を守った功績で・・・抜け目ないですね。

死罪を免れ・・・しぶとく配流された能登国で生涯を終えました。

そして時子は・・・安徳天皇を抱き、「海の底にも都はござりましょう」と言って海に身を投じました。
ああ・・・時子、可哀想ですが美しいですね・・・。綺麗だし、なにより潔いです。


鎌倉のとある館では捕縛された盛国の姿がありました。
盛国はひと言も発せず、飲食を断ち、餓死による自害を選んだのです。
う〜ん・・・何で諸ともじゃないの???とも思いますが、そこは、武士ではなかったから???
みんな、斬首です。。。

切腹が武士の権利???みたいになっていなかったからかもしれません。
ちなみに最初に切腹したのはこの人。

ガンダム・・・ではなく、前半の保元の乱に出てきていた崇徳上皇の最終兵器”源為朝”です。
保元の乱から30年・・・まだまだ切腹はしなかったのかも???
平家を滅ぼした頼朝が、次に退けねばならなかったのは、弟・義経でした。
無断任官した義経を許しませんよ、頼朝は・・・

身内同士で殺し合う苦しみをよく知る頼朝は、幾度もしゅん巡???ホント?って感じがします。
頼朝は、自分が情けをかけてもらっての返り咲きなので、情けをかけることの怖さを知っている人です。
おまけに、当時は母の位で決まった位。義経のことなんか、家来ぐらいにしか思ってないんだから・・・

そして、義経は、武士としての教育をされていませんから、名乗りをあげずに不意打ちしたり、奇襲戦法で勝ち進むわけです。
結局、官位を与えられたり、平家の娘を娶ったり・・・やられる理由も義経にはあったわけですが・・・やはり、それは後白河法皇の手の上で遊ばされていたのでしょう・・・。

あ〜怖い人ね・・・後白河法皇

最後には弟の追討を決意します。
1186年、頼朝のもとへ西行が訪ねてきました。
またお前か・・・???て感じですが、この人が最初から最後まで・・・見てきてるから仕方なし???
西行は頼朝にも清盛の遺言を伝えます。
「まことの武士とはいかなるものか見せてみよ」
という言葉をうけ、頼朝は自分の進むべき道を定めました。
1189年、奥州藤原氏を頼ろうとした義経は衣川で兵に襲われ、孤軍奮闘するも、弁慶は多数の矢を受け立ち往生し、義経は自害して果てました。

って・・・本当??死なないんじゃないの???義経って

ああ・・・神木龍之介君、勇ましいですね

・・・痛そう・・・

なんか、今までの透明な感じと違っていいです。

いやいやドロドロでも、彼は透明です。

でも・・・義経伝説はいまも生きています。
だから、きっと今も生きているのよ、義経は!!!
1190年、頼朝は上京し、後白河法皇と対面。
まだ生きてんのか???って感じもしますが、妖怪ですからね。。。

頼朝と双六やっております。
その一年あまりの後、後白河法皇は66歳で亡くなり、頼朝もその9年後に死んでしまいます。
ただの落馬事故だったんでしょうか???
そして頼朝が開いた幕府が滅んだ後の足利の世となって清盛が目指した国と国との交易が行われるようになりました。
子兎丸いますが・・・何歳???

いやいや、そんなことはいいのです。
でも、生まれてくるのが早すぎましたね。。。清盛。
貨幣経済は、200年後・・・そんな、やはり天才だったのでしょう。
いまでいうなら、スティーブ・ジョブズ???
そして、海の中を落ちていく宋剣がある。その剣をつかんだのは、若き日の清盛でした。
清盛は兎丸の声に導かれ・・・海の中にある館に入っていきました。
すると清盛の前に平家一門が笑顔で待っていました。
「海の底にも都はありまする」
ああ・・・終わってしまいました。
なんだかんだと、視聴率を言われてきましたが、終わってみると、何年かぶりの満足した作品でした。
去年の”江”は、尻すぼみっていうか、江が成し遂げた大奥や、後水尾天皇への入内なんかは駆け足のように終わってしまいました。饅頭食べて、子供産んでる暇があったら、こんなシーンも織り交ぜて欲しかったなあって思ったものでした。
私の場合”龍馬伝”に至っては、途中で観るのもやめてしまいました。
「福山さんしか、カッコよくない!!」
っていうか、史実が全く解らなかったから・・・
これなら大河じゃなくって、偉人・・・って、龍馬さんが偉人かどうかは解りませんが、”人物伝”じゃないの???って、思ったから

今回の平清盛は、ほんと、久々の”大河”だったんじゃないでしょうか?
時代を切り開いているように見えて、実は時代の大きな波にのまれ・・・大河の一滴でしかない・・・
そんな、諸行無常がたっぷり出ている作品でした。

ほんと、楽しかったです。
みごとな”もののあはれ”でした。
皆様、1年間お疲れさまでした。

平重盛〜平家滅亡のキーパーソン〜はこちら。
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