「天は、平家を見放したのじゃ・・・」
清盛の五男・重衡が南都を焼き打ちにしたことにより、天下の人心はもはや平家からまったく離れていっていました。僧たちも暴れています。。。
各地で謀反が相次ぎ・・・次第に四面楚歌となっていく平家。
さらに不幸なことに、ああ、病床にふしていた高倉上皇が悪化の一途をたどり・・・世を去ってしまいました。
なんと、本当に、影の薄い上皇様でした。。。
徳子のことを案じています。
あの父と、あの父が居なければ・・・しあわせな二人だったでしょうに・・・

高倉上皇は最期まで后である徳子の行く末を案じながら、21歳の若さでの崩御でした。
高倉上皇の崩御は・・・
どど〜んと!!
上皇の父・後白河法皇の院政が、約1年半ぶりに復活することを意味していました。
ホント、後白河法皇、悲しんでいるのでしょうか

鳥羽離宮での幽閉を解かれ、久方ぶりに清盛と対面した後白河法皇・・・
「清盛、久かたぶりじゃな。」
「高倉の上皇様の身罷られました事、心よりお悔やみ申し上げます。」
「1年余りの幽閉暮らし・・・まずまず楽しくもあった。
心残りは新しき都とやらをしかと見られなんだ事じゃ。
清盛に対する挑戦的な目・・・
「東国武士がまず謀反。
諸国がそれに従い寺々の僧兵も不穏。
その上、朝廷の内は麻の如くに乱れ、何とも絵に描いたような四面楚歌ではないか。
かような事になるなら政変など起こすのではなかった。
・・・と、思うておろう?
思うておろう!?」
相変わらず、清盛をいたぶっております。

「困った事があれば何でも申せ。
何しろ、わしは頂に立つ者。
いかなる事でもしてやれるでな。」
清盛がおこしたクーデター、「治承三年の政変」、この四面楚歌の状態、も自分のシナリオどおりだったことをにおわせ、清盛をがく然とさせます。
平家一門も、法皇は幽閉されながら世を操っておられたのだとぞっとするのでした。
って・・・神仏も信じない男が、この賽と後白河を信じるの???
清盛は、高倉上皇をなくしたばかりの娘・徳子のもとへ時子を行かせ、法皇の後宮に入るよう説得させます。
しかし、徳子はかたくなに拒否。
それでもあきらめず、「また別の手を打つ」という清盛を・・・
「もう良いではござりませぬか。
あの「光らない君」がここまで上られたのです。
これ以上の高望みはなされますな。
気楽に参りましょう。」

そうでした。
光らない君でしたね。清盛。
で・・・思い出すのは「野〇そ」のシーンなんですね・・・

まあ、あの時は、竹中直人・秀吉と同じくらい汚いって、思っちゃいました。

今は、衣装すら金綺羅金です


一方、鎌倉の頼朝のもとには、梶原景時。梶原景時・・・頼朝の腹心となる男です。
続々と武士たちが集まってきましたね

頼朝は彼らを”御家人”と呼び、新たな「武士の世」の政治体制を作り始めていました。
新しき体制の基礎が出来上がってきましたね。

そう、あの生白きお方が

天下を治める才が!!溢れんばかりですが、そんなに人徳あったっけ???頼朝って

京の上西門院統子の館では高倉上皇をしのぶ歌会が催されていました。
その歌会には西行の姿もありました。って、世捨て人になったのではないのね・・・
そこかしこに出てきてるじゃん!!
西行は戦乱で多数の人が亡くなったことを詠み、それこそが高倉上皇の心労のもとであったことを嘆きます。
そして歌会の後、かつて待賢門院に仕えていた堀河局と、久方ぶりに再会しました。
って、堀川局って・・・忘れていましたよ。。。
でも、この二人って、出てくる必要ってアリ???
長い年月を表現しているのでしょか???
で・・・ここにも登場。
ある日、西行は清盛をたずね、鎌倉での頼朝の町づくりを語りました。
頼朝は源氏の守り神である鶴岡八幡宮の参道沿いを中心に、次々と住いや道が整えられ、そこに御家人たちを住まわせ、新しい仕組みのもと統率していました。
若い頃の自分と重ねている清盛・・・
清盛は、貴族の世が終わりを告げ、武士が覇を争う世が到来したことを実感します。
夜更けに来れるの??って感じですが・・・
ある決意をもとに後白河法皇をたずね、双六の勝負を申し込みました。
なんと、またもや双六。昔っから博打の好きな二人ですね〜〜〜

負けた者が勝った者の願いを聞き届けるという約束ごとで。双六をしながら二人はこれまでのお互いを振り返ります。
初めての双六・・・
「あの日分かりましてござります。
あなた様は私に上って来いと仰せになっていると。
ご自分と互角に渡り合えるところまで上ってきてみよと!!」
若き日から二人はまさに双六のようにお互いが賽をふりながら数々の勝負を続けてきました。
そして今宵の一戦で勝ちをおさめ清盛は、勝者として望みを語りました。
「・・・…して、何が望みじゃ?」
「法皇様と平清盛の双六。
本日をもって最後として頂きとうござります。
我ら武士は王家の犬と呼ばれ生きてまいりました。
保元の戦も平治の戦も王家朝廷の命により武士同士が戦わされてまいりました。
されど、もはや平安の世は終わりを告げようとしておりまする。
これより先は武士同士が覇を争う世となりましょう。
武士は、もはや…王家の犬ではござりませぬ。。。!!」
「さようか。
・・・もう、さようなところまで辿り着いておったか。。。」
なんだか、寂しそうな後白河上皇です・・・

それは後白河法皇との双六勝負はこれで最後だということを意味していました。
「これより先は、すでに朝廷に力はなく、武士同士が覇権を争う世である。
武士はもう王家の犬ではない・・・」
と告げると、後白河法皇は寂しげな表情で現実をうけとめたのでした。
で・・・二人の戦いは終わり???
う〜ん・・・前から思っていましたが、天皇や公家は戦わないから今一つ争いが解りませんよね。

あ・・・だから、双六にしたのか・・・?
でも、もう一山あっても良かったんじゃないかしら?
その後、清盛は頼朝への闘志を燃やし、源氏討伐の準備を整えていきます。
が・・・そんな時、清盛は突然の熱病に倒れ・・・危篤状態に陥ります。
いよいよ、最期のようです。
そう、重盛が生きていればなあ・・・

でも、清盛は、平家の滅んでいく姿を見なくて良かったのかも・・・???
同じ頃、伊勢にある西行の庵にある男が訪ねてきていました。
それは清盛の生霊でした。
いや・・・平家が滅んでいくのを、来週も観るのかも???

ああ・・・なんだかんだと、1年が終わってしまいます。
いろいろ言われましたが、私は近年になく楽しく見ました。
最終回も楽しみにしています。

↓ランキングに参加しています。

↓応援してくれると嬉しいです。


にほんブログ村

歴史 ブログランキングへ