2012年12月24日

「長浜の城下町」

戦国一の出世頭、豊臣秀吉が天下取りへと第一歩を踏み出した城下町です。

siro.png

滋賀県長浜市、人口12万4054人、面積680.79㎢、特産は湖魚・鴨料理・ひょうたん。北近江を中心として北国街道や琵琶湖水運の要所として栄えてきました。
天下人・豊臣秀吉が最初に手掛けた城下町です。
小谷城の戦いで浅井長政を滅ぼした織田信長が、武功を挙げた秀吉に浅井の領地・北近江を与えたものです。

今浜と呼ばれていた町を、主君の名を取って長浜と改称。初めて城持ち大名となった秀吉は、稀代の戦略家・人心掌握の天才としてのし上がっていきます。


豊公園には・・・長浜の人の心のよりどころ、豊臣秀吉公が・・・

siro2.png

尾張の貧しい農家に生まれ、足軽から天下人へ立身出世をした豊臣秀吉。
木下藤吉郎として信長の草履取りから始まった物語は、この長浜で大きな転機を迎えます。

長浜で初めて一国一城の主となった藤吉郎は、羽柴秀吉と改名。
長浜こそ、秀吉の原点となります。
この地を拠点に、主君・信長がなしえなかった天下統一を果たすのです。


長浜の城下町は、碁盤目状になっています。
もともと北近江は、浅井家が治めていた土地です。
信長の妹・お市をもらった浅井長政は、信長に反抗し・・・浅井家は滅亡。
この戦いで先陣を務め一番の手柄を挙げた秀吉に、北近江を与えたのです。

長浜を手に入れた秀吉は、山側にあった小谷城を配乗し、琵琶湖を望む長浜城を築城しました。
湖、港、北国街道・・・群雄割拠の時代に、経済の重要性を考え、生産性のある町を・・・と、考えて作られたのが、長浜城です。

近代城下町の元祖となり、以後の城下町に影響を及ぼしました。


三百石朱印地・・・済特区を作ります。
年貢を免除することで、1人でも多くの人に住んでもらうために・・・
商人に来てもらうために・・・
長浜の52の町のうち35町は、朱印状によって年貢免除の特別地域とされました。
時代を先取りです。
何にもなかった長浜は、城下町として賑わいます。
そして秀吉は、商業の活性化を図るため、琵琶湖から水路を城下町に張り巡らせました。


豊国神社・・・
秀吉の3回忌に当たる慶長5年(1600年)に、長浜町民たちによって作られました。
大坂へと移ってしまった秀吉ですが、その秀吉を変わらず想っていたようです。
でも・・・どうして恵比寿様が???

隠された秀吉・・・

豊国神社が建てられた1600年は、関ヶ原の戦いの年。

東軍の総大将徳川家康は、西軍の石田光成を撃破!!
天下は豊臣から徳川に移ってしまいました。
しかし、豊臣家を慕う武士や町民は絶えることなく・・・徳川幕府は、豊臣を徹底的に排除しようとします。
だから・・・豊国神社も廃社・・・。それは、明治時代になるまで続きました。
なので、隠れキリシタンのように・・・隠れ秀吉。。。が、たくさんいるそうです。

千成瓢箪が大好きだった秀吉、瓢箪の馬印を立てて戦場を駆け回ったと言います。
戦に勝つために、瓢箪を増やしていった秀吉、千成瓢箪は秀吉のシンボルとなり、今も長浜の町にたくさんあります。

naga3.png

毎年4月に行われる長浜曳山祭りは豪華絢爛なお祭りで、京都の祇園祭、岐阜の高山祭と並ぶ日本三大山車祭りの一つです。
曳山の上では、子供歌舞伎が行われます。

この豪華なお祭りは、民の秀吉お想う気持ちから始まりました。
秀吉は、長浜時代に石松丸(秀勝)という子供がいました。この産まれたお祝いに民に砂金を与え、民はそのお礼に豪華絢爛なお祭りを催したのだそうです。
その規模は、年々盛大となり、今では日本を代表するお祭りとなりました。
子供歌舞伎は、6歳で亡くなった石松丸のために行われたといういいつたえもあります。

下船町・・・秀吉は琵琶湖水運に必要な船乗りたちを居住させました。
現在は、船の廃材を利用した船板塀が残されています。

観音護国寺、長浜城主になったばかりの秀吉と、それを支えることとなる石田三成の出会いの場所だと言われています。

豊臣政権の五奉行となり、行政や外交を担当することになる三成は、このお寺に預けられていました。つまり、この場所は、三献の茶の舞台となった場所です。

真夏に行われた秀吉の鷹狩り。
休憩のためにこの寺を訪れます。
この時に茶を出したのが光成です。
一杯目は大きな茶碗にぬるめのお茶を・・・
二杯目はやや熱め・・・三杯目は熱めのお茶を出しました。

この気遣いが秀吉の心を掴みます。
住職を諭して光成を連れていきます。
そして、長浜で同じような子供たちを育てます。秀吉塾です。
その中には、加藤清正、福島正則などもいました。

召し抱えた子供たちを、わが子のように育てる秀吉。
家来もいないので、この子たちを伸ばそうと・・・才能を見出す力は天下一品です。
この子たちが、賤ヶ岳の戦いで活躍する賤ヶ岳の七本槍です。加藤清正・加藤嘉明・片桐且元・脇坂安治・平野長泰・糟谷武則・福島正則・・・
聡明だった光成には、政治・経済を教え、知の武将へと育っていきました。

愛を持って才を育てる・・・そして、秀吉は天下統一へと突き進んでいったのです。



魚屋さんには鴨が並んでいます。
鴨は魚???

琵琶湖の猟師さんはお魚を取っていましたが、その時に、同じように網に鴨がかかったのだそうです。昭和40年ごろまで続いていました。
秀吉も、大坂に行っても鴨肉を奨励していたそうです。

おねが作った長浜名物・・・それは、のっぺいうどんです。
のっぺりしているからのっぺいうどんだそうで・・・。
とろみのあるおだしに鴨が入っているうどんです。
秀吉が初めて長浜で城を持った当時に作っていたと言われています。
みなに振る舞っていたようです。

豊臣秀吉が、天下取りの第一歩を踏み出した城下町・・・長浜。
民を大切にした秀吉・・・
その思いに今も応えている城下町でした。

↓ランキングに参加しています。るんるん
↓応援してくれると嬉しいです。黒ハート
にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ
にほんブログ村

歴史 ブログランキングへ
posted by ちゃーちゃん at 07:59| Comment(0) | 城下町へ行こう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。