ちなみに五躰王子とは・・・
九十九王子の中でも他とは格式を異にするとされています。
これらは一般に、熊野の主神の御子神ないし眷属神として三山に祀られる神々のなかでも、五所王子と呼ばれる神々(若一王子・禅師宮・聖宮・児宮・子守宮)を祀る神社で、三山から勧請したものと考えられています。
これら五躰王子では、舞・白拍子・神楽・猿楽などが行われ、芸能的性格が強いと言えます。
いずれの王子を五躰王子に数えるかは、解釈の相違があります。
修明門院参詣記では籾井(樫井)・藤代・稲葉根の3社を挙げていますが、後鳥羽院参詣記は藤代王子のみが該当し、稲葉根王子がこれに準じるとしていますが、他の列挙例もあって一貫していません。
現在では、諸史料から最小公倍数をとって、藤代王子(藤白)・切目王子・稲葉根王子・滝尻王子・発心門王子の5社とするのが一般的だそうです。
この藤白神社、斉明天皇が牟婁の温湯(白浜湯崎温泉)に行幸された時、神祠を創建されたと言われています。
そして、聖武天皇が玉津島行幸の時、僧行基を詣らせて皇子誕生を祈願したところ高野皇女ご誕生しました。母・光明皇后はそのための神域を広め整えました。
これにより、熊野三山の遙拝所とされ、子授け・長寿の守護神として広く信仰を集めたのです。
そのせいか、境内には大きな楠の木「千年楠」をご神体とする子守楠神社があります。
子どもの神様として知られており、子どもが生まれると、この宮に祈願して名前を受けます。
楠・藤・熊の名をつけると長命・出世をするとも言われ、有名な科学者「南方熊楠」翁もその一人です。
今も子授け・安産・成長の神様として親しまれています。
何だか木の国和歌山のパワーを感じますね。

そして・・・藤白坂の方向に・・・
陰謀により19歳で殺害された万葉の貴公子・有間皇子を祀る有間皇子神社があります。
「家にあれば
笳に盛る飯を
草枕
旅にしあれば
椎の葉に盛る」
こちらはとても有名な歌ですよね。

皇位継承に巻き込まれてしまった皇子です。
小さい時から賢かった皇子は、うつけの真似をして中大兄皇子から逃げようとしたそうですが、やはり、賢さがにじみ出ていたのでしょう。
謀反の罪を着せられて・・・ここで、命尽きることとなります。
この日は、たくさんのおば様たちが見学に来ていました。
「可哀想に・・・可哀想に・・・」と、有間皇子を偲んでいました。
毎年11月11日に「有間皇子まつり」が催されます。
ちなみに・・・藤白神社は鈴木さんの氏神です。
この幟にもあるでしょう?
「鈴木さんいらっしゃい」って。
鈴木さんには神社からプレゼントがあるようですよ

私は違うので、もらえませんでしたが。。。
鈴木氏は、平安末期にこの地に居を構え、全国に熊野信仰を広めました。
また、全国200万の鈴木姓のルーツです。
そして、私たちは藤白坂に向かいます。

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