2012年11月09日

世界が愛した知られざる日本〜海の向こうの英雄たち〜

日本人の知らない日本人に迫ってくれました。

2011年3月11日東日本大震災で・・・
世界中の人々が手を差し伸べてくれました。

最も多い義援金は台湾の200億円、モンゴルでは国家公務員全員が給料を寄付、「友達作戦」で軍人8000人が終結したアメリカ、モルディブは国の特産品のツナ缶69万個を。。。平均月収4万円と言う国なのに。
他にも、142ヵ国・地域が日本を支援してくれました。

でも、どうして日本はそんなに好かれているのでしょうか?

インドネシアでは、世界に最も良い影響を与えている国は・・・?日本が85%でした。
何故そこまで日本を愛しているのか???
それは、60年前に遡ります。
16世紀から・・・当時、インドネシアは350年間オランダの植民地でした。
家畜よりも厳しい支配に耐えてきました。
その後、日本軍が侵攻・オランダに代わり統治しました。

日本は、当時幽閉されていた指導者たち(副大統領・ハッタ、初代大統領・スカルノ)を解放。
「インドネシア人としての”誇り”を持って自らの国を泰にしてください!!」
日本軍は学校を建設し、民族軍を結成組織します。

ただ占領するのではなく、国のことを考えていました。
しかし、日本が敗戦を迎えると・・・インドネシアは再びオランダの統治下に。。。

インドネシア人たちは、”誇り”を取り戻すために独立戦争を始めました。
それを見た一部の日本人兵士たちは・・・この地に残り、インドネシアに残り、友に戦いました。
その数2000人以上。4年5か月にも及んだ末に・・・ついに1949年インドネシア独立!!
もし日本人が来なければ・・・インドネシア人の独立はもっと遅れていたかも知れません。


ウズベキスタンが愛する日本。
ウズベキスタンは、国境を二つ超えないと海に出ることの出来ない世界でも珍しい二重内陸国です。
首都はタシケント・人口2780万人・通貨スム・平均月収は2万5000円です。
ソビエト連邦の崩壊と同時に独立しました。

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この国で最も有名な建物は・・・”ナヴォイ劇場”。
中央アジアで最も格式高い劇場として知られています。
1945年日本は敗戦、ソ連軍は多くの日本人を捕虜にし、ウズベキスタンの強制労働施設へ送りました。

そこで日本人捕虜たちを待っていたのは・・・劇場の建設。
過酷な労働と不衛生な食事・・・

しかし・・・日本人たちは・・・
日本人としての誇りを持って、ひたすら働きました。
栄養失調と過酷な労働に耐え・・・2年後、ナヴォイ劇場完成。
この労働に携わった日本人捕虜はおよそ500人、そのうち79人が建設途中に亡くなりました。

時は過ぎ・・・20年後の1966年、ウズベキスタンをマグニチュード8の大地震が襲います。
あたり一面がれきの山・・・。
そんな中、変わらぬ姿で凛と建つ”ナヴォイ劇場”がありました。
過酷な状況下でも・・・日本人たちの仕事に驚嘆しました。

ソ連の崩壊後、1991年ウズベキスタンが独立・・・
この劇場に、日本人を称えるプレートが貼られました。
その際、カリモフ大統領は・・・

「彼らは恩人だ
 間違っても
 捕虜などと書くな!!」

と指示しました。

強制労働で亡くなった人たちは、ウズべキスタンにある日本人墓地に眠っています。
ふるさとに帰ることの出来なかった彼らに・・・
墓地の周りには桜の木が植えられました。
国内にある13カ所の日本人墓地は、すべて地元の人が管理してくれています。
ソ連から更地にしろと命令されていたにも関わらず、守り通してくれました。

ウズベキスタンの女性は、生まれた子供たちに教えます。
「日本人は戦いに敗れても誇りを失うことなく、まじめに働いて立派な仕事をしたのよ。
 あなたも日本人のようになりなさい」
と・・・。


ペルーでは誰もが知っている英雄がいます。
1965年慶応大学バレーボール部の監督をしていた加藤明さん。
弱小だったチームを10年ぶりに全国優勝へと導いたバレーボール界注目の指導者でした。

そんな彼が、ペルーに指導者として行くことになりました。
しかし・・・当時は白人のお嬢様レベル・・・。
やる気なない選手たちを辞めさせ、自分で選手を探しました。
人種に関係なく貧しい家を積極的に訪ねました。

ハングリー精神がなければ強くはならない!!
待っていたのは、日本独自の猛特訓!!
さらに・・・遅刻は厳禁!恋愛も禁止!!
日本人には当たり前のことでしたが・・・ついて行けないとコートを去る選手も出てきました。
連日の猛特訓!!
日本人は辛い時こそ歌を歌う!!と・・・加藤の情熱は徐々に選手に伝わり・・・
1968年メキシコオリンピック。
下馬評では出場8チーム中最下位のペルー。
日本仕込みのバレーボールで・・・メキシコ・韓国・アメリカを撃破!!
快進撃を続けます。
メダルの前に立ちはだかったのは、当時世界1の東洋の魔女率いる日本でした。
メダルまであと一勝・・・日本とペルーの宿命の対決は???

ストレート負け・・・でしたが、ベスト4に残ったバレーボール。
加藤は英雄としてペルーに称えられました。

その後も彼女たちと戦い続けた加藤は・・・1982年49歳の生涯を閉じます。
”ペルーが泣いている!”翌日の新聞の一面は、英雄の死に最大の哀悼の意を表しました。
その半年後・・・ペルーでの世界選手権。
再び日本と対決し、日本から勝利しました。
ペルーの人々は、アキラ・カトウを忘れません。


世界の人が愛したニッポンのうまいもんは??
チャップリンは、天ぷら。
アインシュタインは、昆布の佃煮
愛新覚羅溥儀は、亡くなる直前に食べたいと言ったのは・・・チキンラーメンでした。黒ハート

最近は、反日運動がよくニュースでやってきますが、日本を大好きな国もたくさんあるというのは嬉しいことですね。黒ハート

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posted by ちゃーちゃん at 14:31| Comment(0) | ビーバップ・ハイヒール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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