
「マリー・アントワネットと子供達」
史上一番有名な王妃です。
14歳でフランス王室に嫁いだときは、パリッ子のかわいいアイドル。
革命の激動の中で、民衆の敵になり・・・
わがままで贅沢な裏切り女になってしまいました。
その悲劇は、ベルサイユから始まりました。
ギロチン・・・フランス革命で発明されました。
残酷ですが・・・それまでの方法よりは、痛みもなく人道的なものでした。
1981年まで使われていました。
マリ・アントワネット、その最期は無言で挑発的なものでした。
マリ・アントワネット・・・身長 154p・バスト 110p・ウエスト 58p
だそうです。
@大変身した髪型
アントワネット14歳
実家のオーストリア・ハプスブルク家は、質実剛健な家風、名門に育ちます。
16人兄弟の15番目、のびのびと自由に育ち、誰からも愛される少女でした。
1770年14歳の時にフランスの王子と結婚。
パリでも大歓迎が起きました。
住まいは、ベルサイユ宮殿。
朝起きてから寝るまでの間、全てのことを公開するのがフランス王家の掟でした。
それは、食べるのも、着替えるのも・・・
力のある貴族を取り込み、王家の権力を維持するためでした。
アントワネットの育ったオーストリアは、シンプルな生活だったので、実家の穏やかに家族だけで過ごす生活に慣れていました。
しかし、ベルサイユでは、常に人々の目に晒され、劇場の舞台に立っているようでした。

1775年アントワネット19歳のとき、夫が戴冠式を行い、ルイ16世となりました。
王妃となったアントワネットの髪型は・・・
少し豪華に。
![20061026_206654[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/20061026_2066545B15D-thumbnail2.jpg)
しかし、アントワネットには悩みがありました。
実家の母からの手紙によると・・・
“あなたはお世継ぎのことを
重大だと考えていますか?
真剣に取り組んでいないのではないでしょうか?“
とあります。
最大の仕事は、お世継ぎ問題でした。
嫁いで7年・・・妊娠の兆しさえなかったのです。
そもそもこの結婚は、オーストリア・ハプスブルク家とフランスのブルボン家がプロイセンに対抗するための政略結婚だったのです。
つまり、お世継ぎを作ることが最大の目的だったのです。
が、ルイ16世の趣味は、一人黙々と錠前を作ること。
派手なアントワネットとは合わなかったのです。
これはアントワネットにとって、大変なストレスでした。
髪の高さはどんどん高くなります。90pにも!!
エスカレートしていきます。
1775年8月王室に男子誕生。
しかし、産んだのはアントワネットではなくルイ16世の弟アルトワ伯爵の妻でした。
悔しくて仕方のないアントワネット・・・
“自分の子供ではない男の子の跡継ぎを見て
私がどんなにつらい思いをしたか
申し上げるまでもないでしょう“
と、実家に手紙を書いています。
積み重なるストレスが爆発します。
宝石20億円・ブレスレット12億円・ドレス代年間32億円・・・
公費の年間予算をはるかに超えてしまいました。
世間では、“赤字夫人”とうわさされました。
![2[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/25B15D-thumbnail2.jpg)
そして髪型も・・・船盛りに・・・
これは、宮廷の貴婦人たちの間で大流行します。
このストレスは???
ベルサイユ宮殿には、見えないルールがたくさんありました。
そんな中で、自分の存在意義を見つけたかったのかもしれません。
A離宮 プチ・トリアノン
1780年に完成したベルサイユ宮殿、700の部屋に4000人以上が生活していました。
そこから2qほどのところにあるのが、プチ・トリアノンです。
10部屋ほどの小さなお屋敷です。
ここに、つかの間の幸せを求めていきます。
1778年23歳で子供に恵まれました。
しかし、その出産がまたもやストレスとなります。
50人もの貴族の前での公開出産となったのです。
赤ん坊のすり替えなどが行われないように、公開とするのはヨーロッパではあることでした。
![img_1018169_31009766_3[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/img_1018169_31009766_35B15D-thumbnail2.jpg)
でも・・・フランスでは、究極の公開イベントになっていました。
人々は、どっとなだれ込み・・・
アントワネットにとって大きな屈辱でした。
しかも、生まれたのは女の子・・・
貴族たちの中に失望感が流れます。
大宮殿から逃げ出したアントワネット、プチ・トリアノンへ。。。
これは、アントワネットが王妃となった時にお祝いに与えられた離宮でした。
ここを自分好みに変えていきます。
自分と家族だけの時間・・・
1781年25歳で王子ルイ・ジョセフ誕生。
離宮の広さを4倍にして・・・農村を作りました。
ストレスからの解放空間。。。ここで子供たちと一緒に過ごしたのです。
人目を気にせず、愛する子供たちと過ごす・・・
これが、アントワネットの悪い噂を呼びます。
アントワネットがプチ・トリアノンに仲良しだけを読んだことが発端です。
ベルサイユでは、階級の高い人に愛想よくするのがルールです。
友人は、階級が高い人とは限りません。
その態度が問題となりました。
貴族たちとの関係に亀裂に入ります。
おまけに、大改造費を秘密にしたことが噂に拍車をかけます。
B風刺画
1874年の風刺画です。
![marieantoinette_exhibition_16[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/marieantoinette_exhibition_165B15D-thumbnail2.jpg)
ハーピーというギリシャ神話に登場する怪物です。
口にくわえているのは、好物のウナギで、プチ・トリアノンの鍵を表しています。
アントワネットは、国民の目を盗んで、国民の血税を浪費を続ける怪物だと批判されるようになっていました。
その噂の主は、アントワネットに遠ざけられた貴族たちでした。
彼らが黒幕となって誹謗中傷するビラがまかれました。
その噂は、ベルサイユからパリまで・・・すぐに流れました。
その頃、フランスでは、農作物が不作で、深刻な食糧不足が発生していました。
有効な手段を取らない王家・貴族への不満は頂点へと達します。
1789年7月バスティーユ監獄の襲撃・・・フランス革命の始まりでした。
ベルサイユ宮殿も襲われ、国王一家はパリへと移されます。
市民の監視のもとに置かれます。
アントワネットは、故郷オーストリアへの亡命を訴えます。
が。。。これが悲劇を生むのです。
ある夜、パリの宮殿を脱出、国境付近まで行ったものの革命軍につかまります。
パリに連れ戻された国王一家・・・アントワネットは、非難の的となります。
初めは政治的だった誹謗中傷は、革命が進む中で、年々攻撃的なものになっていったのです。
国民から見捨てられたアントワネット・・・
1792年8月タンプル塔に幽閉されます。
あてがわれたのはわずか2部屋、従者は3人でした。
今までにないみすぼらしいものでしたが・・・
家族で一緒に食事をし、王は子供たちとトランプに双六・・・
テーブルを囲んで、王妃は本を読み聞かせました。
一つの部屋で思い思いに過ごした時間・・・それは、生まれ育ったオーストリアの生活そのものでした。
5か月後・・・
1793年1月ルイ16世処刑。
この半年後には、子供たちと引き離されて一人、重犯罪者を収容する刑務所に送られます。
14歳で見知らぬフランスに嫁ぎ、なれない暮らしで楽しみを見出し、王妃としての暮らそうとしただけなのに・・・
10月16日マリ・アントワネット・・・処刑。
アントワネットが公開処刑されたのは、コンコルド広場です。1万の民衆が詰めかけました。
かつて歓声を持って王妃を迎えた民衆が、広場を取り囲む中・・・
最期の時を迎えます。35歳でした。
風刺画によって、わかりやすい仮想敵にされてしまったのかもしれません。
最期は、毅然としてすべてを受け入れ・・・
王妃としての責任を全うして亡くなったマリ・アントワネットでした。
処刑の数時間前、自分の義理の妹に遺言を残しています。
そこには、国家の反逆者として殺されることに対し、反抗する姿勢が伺えます。
「私にとってこの死刑は屈辱ではありません。
なぜなら死刑は、犯罪者にとってのみ屈辱的なもの。
良心に何の咎めもない人間が
全てそうであるように
私の気持ちはいま平静です。」
アントワネットの遺体は、他の囚人たちと同じように、共同墓地の穴に投げ込まれました。愛する家族と離れ離れに、王妃としての誇りもすべて奪い取られたのです。
しかし今、200年の時を経て女性たちに愛されています。
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