情熱と冷静・・・それがキーワード。
ゴッホ作品の最高額は120億円と言われています。
しかし、ゴッホが生きているうちに売れた絵は、1枚だけでした。
売れない絵を驚異的な速さで描き上げます。
その数10年間で2千枚。
37歳・・・あまりにも短い人生の2千枚です。
ゴッホは、オランダ出身です。
身長170センチぐらい、痩せ形でした。
@驚くべきゴッホの手紙の一日
テオドルス・ファン・ゴッホと、兄・フィンセント・ファン・ゴッホ。
画商を営んでいたテオは、ゴッホを支え続けました。
ゴッホから手尾に宛てた手紙は、600通を超えています。
そして、その手紙から、ゴッホの生活を伺うことが出来ます。
1888年南フランスのアルルに住んでいたころは、35歳。
アルルで過ごした1年3か月に描いた絵は、油絵だけで200点以上。
色彩豊かな傑作の数々を、すさまじい速さで描いていきます。
独自のスタイルを確立したと言われるアルル時代。
移動はもっぱら徒歩。
そんな自画像も描いています。
朝から晩まで絵を描いていたようです。
![20100203_1001598[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/20100203_10015985B15D-thumbnail2.jpg)
![img_844333_44004933_7[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/img_844333_44004933_75B15D-thumbnail2.jpg)
手紙には、絵のこともたくさん書いていました。
アルル時代以降、すごいペースで作品を作り上げます。
2日に1枚のペースです。
ゴッホは、1853年オランダのズンデルトに6人兄弟の長男として生まれます。
16歳のとき、叔父の画廊に就職、後に弟もこの画廊に就職、手紙のやり取りが始まります。
23歳、ゴッホは、勤務態度の悪さから解雇されます。
各地を転々としながら、画家を目指しました。
そんな兄に、支援をする弟・テオ。
また、ゴッホは大変な読書家で、それは作品にも影響しています。
絵を描く技法の探求も凄まじく、強く惹かれたのが農民画家といわれたミレー。
ゴッホは、ミレーの“種まく人”を繰り返し模写しています。
何度も移すことで、ミレーの技法を会得しようとしたようです。
当時の最新の技術も会得しようとしてもいます。
点描画法のジョルジュ・スーラ・・・
自分に合った手法を模索していたのです。
1886年2月、オランダからパリにやってきます。
モンマルトルのアパートで、弟のテオと暮らし始めました。
画商として成功していたテオの周りには、優秀な画家が集まってきていました。
ゴッホは、彼らから影響を受けるようになります。
色彩豊かなマレ・友人になるゴーギャン、絵具の厚塗りをするモンティセリ・・・
パリ時代のゴッホは、様々な手法にチャレンジしています。
そこには、画家としての試行錯誤な2年間がありました。
絵を見ると、とても幸せな時代だったのかもしれません。
そして、アルルに旅立ちます。
アルルには美人が多い???
パリで、日本の浮世絵を見てその鮮やかさに驚いて・・・日本と近い気候のアルルに引っ越したようです。
そして、南フランスには鮮やかな風景があったからです。
A「ゴッホの黄色」を支える絵具の秘密。
アルルに移り住んだゴッホは、次々と傑作を生み出していきます。
「ひまわり」
![82D082DC82ED82E8[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/82D082DC82ED82E85B15D-thumbnail2.jpg)
「黄色い家」
![photo_2[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/photo_25B15D-thumbnail2.jpg)
「種まく人」
![c0011649_1642525[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/c0011649_16425255B15D-thumbnail2.jpg)
中でも黄色は特別な色でした。
テオにも、「クローム・イエローの絵の具を送ってほしい」と、手紙を書いています。
ゴッホの黄色・・・クローム・イエローとは???
19世紀は良く使われていましたが、鉛が入っていて毒性が強いために現在ではあまり使われていません。
質感がしっかりしていて、輝きがあって、立体感も出しやすいクローム・イエロー。
形もきれいに保つことが出来ます。
しかし弱点があります。変色しやすい絵の具なのです。
でも・・・ゴッホの絵は鮮やかです。
どうしてでしょう。
![124065495884616413276_Gogh_1889_Nuit[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/124065495884616413276_Gogh_1889_Nuit5B15D-thumbnail2.jpg)
分析すると・・・
クローム・イエローにジンク・ホワイトを混ぜることで、鮮やかさを出していたと言われています。
つまり、その技法を知っていたと思われます。
クローム・イエローが変色してしまうのは、顔料の中の鉛が空気中の物質に触れる為で、松脂やマスチックという樹脂を混ぜていたのではないのか???
というのです。
しかし、そんな記述は残っていません。
![A5A2A5EBA5EBA4CEA4CFA4CDB6B6[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/A5A2A5EBA5EBA4CEA4CFA4CDB6B65B15D-thumbnail2.jpg)
今も色あせないゴッホの黄色です。
1890年7月27日
ゴッホは、自らの腹部を撃ち・・・37歳という短い生涯に幕を閉じました。
しかし、彼の残した傑作は、永遠に私たちを感動に誘ってくれます。
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