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滋子・・・後白河法皇が唯一愛した女性???
う〜ん・・・なんだかそこは、怪しいような気もしますが、身分の低さのために女御にはなれませんでしたが、後白河院の寵愛は他の妃とは比較にならなかったのは事実のようです。

1174年、大輪田泊はついに完成し、清盛が長年夢みていた宋との貿易が始められました。
貨幣経済を推し進めようと奮闘しています。

「貨幣が使い勝手が良いと、西光に賄賂渡してますよ。。。

一門のさらなる発展をめざす清盛は、後白河法皇と建春門院滋子を嚴島神社に招きます。
厳島明神は観音様で、子宝祈願にも良いそうです。

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この後白河法皇の参詣で、平家の氏神だけではなく、国の神となった瞬間でした。。。
って、言ってますが、天皇が”現人神”じゃないの???
だから、国の神って天皇なんじゃ・・・?
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嚴島神社のように横へ横へと広がること・・・それが清盛の目指す世の姿だそうで。
またもや宋銭をアピールしております。
平家一門は、法皇をお支えすると言ってますが・・・対立しないの???
対立するからこそ、重盛は間にはさまれて”精神崩壊”していくんじゃないの???
なんて思いながら。。。
ほんと、厳島神社綺麗ですね

外国みたいなウォーターフロントしなくっても、これが世界遺産なんだから日本で良いのにね。
そう思うと、清盛って凄い!!
伊豆では、かつて源義朝につかえた上総常澄が大番役の務めの疲れか、急死。
京と伊豆の往復は、ほんとに体に堪えるようです

北条時政の館に集まった東国の武士たちは、諸悪の根源は平家にあると不満を募らせています。
「まことこのままでよいのでございますか」
頼朝にぶしつけな政子。
政子は思わず源氏重代の太刀を転がしてしまいましたが・・それを直そうとすると。。。
「太刀にふれるな!!」
頼朝の秘めた武士の魂が目覚め始めていました

平家は踊っております。公家化が激しくなってきましたね。。。
おごって、おごって、奢りたかぶっております。。。
弓を引いて、鍛錬を支持する伊藤忠清ですが・・・
みんなは武の鍛錬だけでは駄目なようで・・・
私の好きな忠清さん、悲しそうです。
そりゃあ、ほんとは、武なんてダメな方が良いんですけどね。

福原で宋銭を用いた取り引きを目の当たりにして、西光も珍しく協力的

ある日、西光は信西がかつて復興させた相撲節会を行うため、清盛に協力を求めます。
が・・・宋との取り引きにまい進する清盛は、
「宮中行事などにうつつを抜かしている場合ではない・・・。」と、一蹴。
今様の歌集「梁塵秘抄」の編さんに取り組んでいた後白河法皇は、世に役立つものではないが心を慰めてくれる、そんな歌を残したいと滋子に漏らします。
法皇様にも不安はあったのですね。
滋子はそれこそが後白河法皇の目指す世であり、その世がつづくことが自分の望みだと勇気づけました。
![img_1196848_36506773_1[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/img_1196848_36506773_15B15D-cfa4c-thumbnail2.jpg)
怒りを募らせた西光は日頃そりが合わない義弟の成親とも、「平家憎し」で結託していきます。
そんな平家の敵対勢力をとりなすのは、清盛の義妹でもある滋子。
大人になったなあ・・・滋子。
やっぱり美力・財力だけでは駄目よね。
実力もともなっていなければこその法皇様の寵愛なのでしょう。

1176年春、後白河法皇の五十歳の宴が盛大に催され、平家一門も祝いの楽や舞などを献上しました。
歌や楽、舞が何日も続いたそうで・・・
公卿となった平家が、後白河院を支えている・・・そんな図式がはっきりと表れてきました。
その蜜月関係を支えていたのが滋子だったのです。
「これより先も、共にのぼろうぞ、誰も見たことがない高みへ」
「この上なき誉にて」
だった、法皇と清盛なのに。。。
しかし7月、滋子は病のため35歳の若さで亡くなってしまいました。
ああ、足元から、っていうより、てっぺんから平家が崩れていっています。。。

その死を重く受け止める平家一門。
清盛は滋子の死が朝廷のあり方を大きく変えることを予想していますが。。。
それって、平家のあり方でしょう???
でも、自らの道は変えないと決意を盛国に告げ、弔い合戦するそうですよ。

誰と?って、朝廷と。

建春門院滋子の死という賽の目が、清盛と後白河法皇の双六遊びの行方を大きく変えることになっていきます。
ああ、なんだか小難しいですね。
もっと、源氏との対立も書いて欲しかったのですが。。。
それは、また次の週ということで

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