2012年08月28日

第32回 「百日の太政大臣」

1165年、清盛は、娘婿である摂政・藤原基実の後ろ盾によって、武士として初めて大納言にのぼりました。
この前代未聞の出世は公卿たちの反発を買っていました。

そう、そりゃあ反感買うだろう!!といえるぐらいの高官になりましたね。黒ハート
そうなるには、きれいごとでは済まないでしょう、やっぱり揺れるハート


大臣たちが列席する朝議で、清盛は都近くの港・大輪田泊を改修することを提案しますが、藤原摂関家の左大臣・基房は話を聞こうとしません。
だって、清盛が嫌いですからねえ・・・
当時は当たり前のことですが、武士のことは「犬」と思っていたのでしょう。


後白河上皇の側近である藤原成親は、もっと清盛に歩み寄ることを提案しますが、上皇はいずれ清盛が自分にひれ伏するだろうと不敵に笑いました。
またもや何か考えていますよ。
そう、5代の天皇の間ず〜っと、権力の座にいた人ですからねえ・・・
何でもやりますよ、この人黒ハート


そんな折、後白河上皇に貢ぎ物を届けにきた清盛は、御所でかつて信西に仕えていた西光と出会います。
清盛は亡き信西の遺志を継ぎ、中国との交易を実現しようとしていることを告げると、西光は信西を殺した源義朝の子をなぜ死罪にしなかったのかと責めました。
この後、朝子の助言で???西光は後白河上皇の近臣として仕えることになりました。

でも・・・朝子の力って凄いの?
っていうか、そんなこと決めていいの???
って感じでした。必要あったのかなあ・・・この一言。


一方、伊豆の頼朝は、監視役の豪族・伊東祐親の娘、八重姫とラブラブ黒ハートになっていました。
祐親は大番役で京の清盛のもとに仕えており、留守です。
そんなとき、八重姫が頼朝の子を宿していることがわかります。
頼朝は命にかえても八重姫とその子を守り抜くことを誓うのですが。。。

「私の子を産んでくれ」


京では清盛を思わぬ悲劇がおそいました。
清盛の後ろ盾であった藤原基実が突然病で亡くなってしまいました。
藤原摂関家を継いだのは、平家を憎悪する基房。。。

朝廷での発言力を強めたい平家一門は、摂関家との対立を避けようと対策を練りますが、解決策が見いだせません。
そこへ、長年藤原摂関家に仕えた藤原邦綱が訪ねてきました。
いつもは良い人の岡本信人さんですが、やっぱり公家の恰好をすると、ちょっと腹に一物ある人っぽくなっていますね。。。
公家ファッションって凄い??

そう、入れ知恵に来たのです。
亡き基実が持っていた広大な荘園を後家となった盛子のものにし、平家を支える財にするという献策を授けに来たのです。

また、後白河上皇の妃である滋子は、上皇との子・憲仁が東宮になることが決まるので、清盛に東宮大夫として憲仁に仕えてほしいと持ちかけます。
それは後白河上皇を支えよということでした。


そして清盛は内大臣にのぼりました。
清盛は更なる出世の意欲を告げ、藤原摂関家へ対抗するため宮中行事である五節の会にて極上の舞を献上するよう、長男・重盛と三男・宗盛に命じました。
清盛の権勢はとどまることを知りません。
清盛の威厳はそれくらい大きくなっていました。


伊豆では、頼朝が父になろうとしていました。
二度と身内など得られないと考えていた頼朝は、八重姫が連れてきたわが子を抱き、感動で涙を流しました。


「昨日が今日でも、今日が明日でも、まるで変わらない日々が・・・
 その日を境に変わる気がした・・・」

清盛は”面白き世”で、頼朝は”昨日が今日でも、今日が明日でも・・・”この言葉で表現するんですね黒ハート


変わって清盛のシーン、五節の宴の当日、用意周到に準備をすすめてきた重盛と宗盛の前で事件が起こりました。藤原兼実らのいやがらせで舞姫がひそかに追い返されてしまいました。あわてふためく宗盛。。。
と重盛。

ほんと、みんな酷いね・・・
こんな人たちがいるのだからやはり成り上がるってのも、かなり根性がいるのでしょうね。。。
男の嫉妬心って見苦しい・・・失恋

そんなこととは知らない清盛。。。
宴席に来ていた後白河上皇に、背後から話しかけられました。

後白河上皇は、藤原基実の所領を平家が相続できたこと。。。
清盛の出世など。。。すべてが自らの策だったと明かすのでした。

「ここはわしの世じゃ。
朝廷をそなたの勝手にはさせぬ・・・!!」
そして、この次の出世は実権のない名誉職・太政大臣であり、そこで清盛の政治家としての生命は終わりだと。。。。。

すべて上皇の手のひらで踊らされていたということに清盛は衝撃をうけます。

「そななたたち武士はどこまでどこまでのぼろうと、
 番犬のまま死んでゆくのじゃ・・・!!」


酷い言い方のようですが、本当に、こんな感じに武士のことを思っていたようです。
だから、使って当たり前だったのでしょうね。。。


そのとき、舞台にあらわれた舞姫に清盛も上皇も驚き目をみはります。
なんと、その舞姫こそは清盛の母親代わりであった祗園女御であり、後白河上皇にとっては今様の師・乙前ででした。
宴にきていた乙前を見かけた盛国が急きょ、消えた舞姫の代わりを頼んだのです。

いくつなのよ!?
ほんと、”松田聖子”さんにも言いたい一言です。あせあせ(飛び散る汗)
キーポイントなんでしょうね。
清盛の実母って話もあるし・・・。


乙前の歌う今様、「遊びをせんとや生まれけむ―」を聞き、清盛は後白河上皇への怒りが収まり、新たな闘志が浮かんでくるのでした。


翌日、清盛は六波羅の館に乙前を招きます。二人は懐かしき双六遊びをしながら時の流れをかみしめました。

「のぼりつめてみせますぞ。
この世の頂に!!」


1167年、清盛は太政大臣となり、その権限を使い平家一門の地位をあげられるだけあげ、朝廷における平家の地位を盤石にしました。そしてわずか百日で辞職し、政界を後にしたのです。

そう、百日天下ではなかったのですね。黒ハート
この時代っていうか、日本はやはりNo,2が一番権力を持っていますからね・・・。
清盛も、なんの肩書もないNo,2になりたかったのでしょう。
これからは、政治ではなく貿易でガッポガッポです。黒ハート

一方、伊豆では頼朝と八重姫の子の存在を伊東祐親が知り、二人の前に乗り込んできました。
そりゃあもう、京都で清盛の繁栄を見て、ビビりまくっていた祐親・・・
そのビビり具合が、真っ青な顔とともに、ここに持ってこられます。

必死で許しをこう頼朝。。。

八重姫は赤子を祐親に抱かせると、祐親は無言で外に連れ出し赤子の命を絶つのです。
なんだか酷いです・・・。たらーっ(汗)
史実は川に・・・ということですが、ドラマでは斬みたいな音でしたね。
そうか。。。川だと音がでないから駄目なのかしら???
そんなことはどうでもいい!!
本当に、東国武士は、親子兄弟でも血なまぐさく戦う男です・・・。
平気だったのかもしれません・・・たらーっ(汗)

このことが平家に伝われば、伊東一族などひとたまりもない!!



頼朝はただ、自らの無力さを実感するしかありませんでした。

恨むは、京にいる清盛!!

構図もはっきりしてきました。
西と東、権力の座に上り詰めた栄華を誇る男と、流罪にされ落ちぶれた自分の子さえ守れない非力な男・・・

このコントラストが、最終章へと向かっていくのです。


来週も楽しみです。黒ハート


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posted by ちゃーちゃん at 10:26| Comment(0) | 平清盛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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