2012年08月15日

鎌倉ミステリー・北条一族の陰謀〜史上最大のNo,2〜

No,2となっていますが、「THEナンバー2」ではなく、BS歴史館です黒ハート

あまり知られていない、鎌倉幕府のお話です。

時は今から820年前、頼朝が武士による政権・鎌倉幕府を建てた時代。。。
将軍を補佐する執権という地位を代々受け継ぎ、鎌倉幕府を支えた一族・・・
それが、北条一族です。

初代将軍頼朝の妻、北条政子。
北条一族は、この政子を世に出したことで、鎌倉幕府のNo,2という地位を手にします。
この地位を守るために、血みどろの権力闘争に勝っていきます。

初代執権・時政。
陰謀を企て、ライバルたちを粛清し、ついには孫までも手にかける・・・
そこに隠された北条一族の血塗られた宿命とは何だったのでしょうか?

その巧みな陰謀と、政治力・・・No,2の不思議な魅力に迫ります。

北条一族・・・日本人の根回しの象徴。小よく大を制したのはこの一族です。
まさに無敵!!自分の政敵は、全て滅ぼしています。
そこには、陰謀能力の凄まじさが感じられます。

その反面、政治に関してはすこぶる評判が良く、公正かつ公平な政治を行いました。
この鎌倉時代・・・北条時代と言っても過言ではありません。

では、一族はどのようにして台頭してきたのでしょうか???

静岡県韮山、北条氏は在庁官人と呼ばれる地方役人でした。
当時武田や新田、足利などの大豪族が多かったこの地域、北条は弱小武士団でした。

この一族の繁栄の扉は、時政。一族が歴史に出てくるのは時政が頼朝とともに伊豆で兵を挙げたことに始まります。

1160年時政23歳、韮山の役人になっていました。
京から一人の男が流されてきます。
その男・・・源頼朝。。。
平治の乱で清盛に敗れ、伊豆に流されてきたのです。
東国武士達は、これを複雑な心境で迎えます。
清盛全盛時代、頼朝は潜在的には敵でした。
ましてやその男に嫁になど・・・
つまり、尊い存在だが邪魔=厄介な存在でした。

そんな頼朝の監視役が時政でした。

ところが頼朝に女性問題発覚。
罪人の身でありながら、伊豆の大豪族・伊藤祐親の娘と子供を作ってしまいます。
祐親は激怒!!2人を引き離し、子供を川に流してしまいました。
これは、清盛に知れたら一族に危険が及ぶ!!という気持ちからでした。

懲りない頼朝は、監視役の娘・・・政子にも・・・。
しかし、時政は激怒するもついには黙認するのでした。
時政は、小さな北条一族を守るため、たくさんの娘を京の公家・有力東国武士に嫁がせていました。

つまり、頼朝&政子もその一つだったのです。

そんな中、京で反平氏の機運が・・・
1180年朝廷から頼朝の元へ、平氏追討の令旨が来るのです。
それを知った時政は頼朝に囁きます。
「兵を挙げれば、日本国は頼朝殿の手中にあるも同然です。」
1180年8月、北条一族を味方につけ、頼朝挙兵。
そこに、圧政に不満を抱く東国武士が集結してきました。

5年に渡る源平合戦の末、平氏を滅ぼしました。
つまり、罪人・頼朝と政子の関係を認めたことが、一族の繁栄に繋がったのです。
頼朝により、初の武家政権が誕生。
北条氏は鎌倉幕府のNo,2として、繁栄を支えていくことになります。

でも、東国武士達はどうして頼朝に加勢したのでしょう???
東国武士達は、ずっと虐げられてきました。
頼朝が起爆剤となって、爆発したのでしょう。
元々関東は平家・・・
しかし、京都の貴族化した平氏への不満、恨み、辛みが、頼朝を神輿にして暴れてやろうという雰囲気になったのです。

そこには、清盛が、文化に力を入れて、弱体化しているという情報もありました。
もう平氏は長くないかも???

北条氏は、政子が頼朝の妻となったことで、将軍に最も近い一族となり、時政・政子は、更なる陰謀を謀っていきます。

きっかけは、1199年、頼朝が落馬事故により死去したこと・・・
これを機に、一気に混乱の中に突き進んでいきます。

頼朝の死去により、御家人たちは幕府内での抗争を始めます。
誰が誰をつぶすか分からない・・・
そんななか、第2代将軍は頼朝と政子の子・頼家。
時政の孫に当たります。
その後すぐに、1200年頼家後見・梶原景時が駿河の武士団によって殺害。
この殺害に、時政が関わっていた可能性が出てきました。

さらに有力武士団の殲滅を謀ります。
「比企能員の乱」この比企能員、2代将軍が寵愛していました。そして、頼家が能員の娘を妻として迎えたことが北条氏にとって最大の危機となったのです。

比企一族が、頼家の外戚になってしまう・・・。
外戚=次の実権を握る可能性が。。。

まだ、御家人の中で一番強い存在ではありませんでした。
北条一族は、何の基盤もなく、将軍家外戚から離れたら何もない一族、ただの豪族になってしまう・・・。


そこで、更なる陰謀が、
1203年4か月でもともと仲の悪かった頼家を将軍から外し、弟・実朝に執政権を移行させます。
その後、比企一族に謀反の疑いをかけ、一族もろとも敗死させました。

吾妻鏡には、頼家と能員が企てているのを政子がたまたま障子を隔てて立ち聞きした事から始まっています。
この吾妻鏡、北条氏の検閲が入っています。
北条氏は、政子を特別な存在に・・・霊媒師の様に仕立てあげようとしました。
つまり、「吾妻鏡」は「古事記」で、「政子」は「卑弥呼」なのです。

時政は、伊豆の修禅寺に幽閉していた孫の頼家の命をも奪い取ります。

そして、実朝を3代将軍に据え、時政は執権となります。
その後、和田・三浦など、次々に滅ぼしていきました。

そう、この時代はテロの時代。。。
北条氏が滅ぼしたライバルは・・・
1200年梶原景時族滅
1201年城氏  〃
1203年比企能員〃
1205年畠山重忠〃
1213年和田義盛〃

物凄く血なまぐさい時代でした。
東国武士は、親子・兄弟でも戦う獰猛な人たちです。

そして、そんな中で実力のなかった北条氏が主張を通すためには、外交・陰謀しかありませんでした。
地位を守るために敵を滅ぼす!!
大々的な戦いではなく、陰謀によって・・・



しかし、1215年1月、時政死去。
実権は、政子と第2代執権義時に・・・
この時、一族最大の危機が訪れるのです。


なんだか、時間が無くなってしまいました。あせあせ(飛び散る汗)
続きはまた明日exclamation&question

でも、これを見ると、「平清盛第3部」解りやすいかも揺れるハート


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posted by ちゃーちゃん at 16:59| Comment(0) | BS歴史館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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