1159年12月、源義朝は軍勢を失い、三人の息子ら数人と東国へ落ちのびようとしていた。しかし山中で三男の頼朝がはぐれてしまいました。
そう、頼朝は、三男なのです。
でも、由良御前の位が高いので跡取りですが。。。
賢い頼朝としては、これはどうかと思いましたが、やっぱり一緒にいては殺されてしまうでしょうから。。。
一方、謀反の首謀者である藤原信頼は後白河上皇を頼り仁和寺に逃げ込みます。
甘いですね。。。目をかけてもらっていた後白河上皇を裏切っておいて。。。
恩をあだで返すとはこのことかしら?
「傾城の美男子」と言われ、後白河上皇に寵愛されていたというのに・・・。

塚地さん・・・なかなかの無能ぶりをスパークさせていますね。

これが、平安の美男子???
まあ、後白河上皇が、
「寵愛した家臣に国を滅ぼされる皇帝の物語である。・・・朕は、そうなりとうない。。。」
と言っている辺りからも塚地さんは平安の美男子だったのでしょう。。。

そこへ平氏の軍勢が踏み込みました。
信頼は捕らえられ、藤原成親とともに清盛邸に連れてこられます。
清盛はこの謀反人たちの処分を任されていました。
さて、どうするのでしょう

清盛は長男・重盛の義兄である成親は許しましたが、信頼に対しては斬首を命じました。
公家が六条河原で斬首ですよ?
まあ、これだけを見ると、今まででももっと取り上げてもよさそうですが・・・
岩倉具視や三条実美みたいに・・・
でも、その信頼が塚地さんがするのって、コントっぽくなってしまったかしら。。。

わたしは塚地さん好きでしたが、Fanの人にはかなり厳しかったでしょうね。

ほんとに、武士の世がやってきましたね。
貴族が処分できるぐらいに、時代は変わって来ていたのに。。。
義朝、残念でなりません。。。
そのころ義朝一行は美濃の青墓にいました。
戦で深手を負った義朝の次男・朝長は足手まといになると命を絶つ道を選び、長男・義平は義朝と別れ北国へ下りますが、やがて平氏に捕まり斬首となりました。
そして義朝は家人・鎌田正清と逃避行を続け、1160年1月、尾張にいる正清の舅・長田忠致を頼ります。
忠致「しばしこちらに逗留なさり、兵を募られるがよろしい。
無論、京に攻め上るあかつきには、忠致もご加勢つかまつる。」
正清「かたじけのうござります」
義朝「・・・」
忠致「今、風呂の支度をさせております。
まずはごゆるりと、おくつろぎくださいませ」
そう言って去っていく長田忠致ですが・・・
義朝「正清、落ちるときはもろとも、と言うたはまことか・・・源氏はこれまでだ。
わからぬか。忠致は我らを欺いておる。
この館におる者は皆、我らの命を狙うておる」
義朝は忠致の背信を悟っていました。
義朝「俺に木登りを教えてくれたはお前だ、正清。
足のかけ方、次に掴む枝の探し方。
それを間違えなければ、落ちることなく、誰よりも早くてっぺんに登れる。
俺は間違うたのだ。正清、もう木登りは終いじゃ・・・」
やがて囲まれた義朝と正清は刺客たちと斬り合った後、お互いに刺し違えてついに果ててしまいました──。
お館さまと忠臣感が、とっても素晴らしい、壮絶な死でした。
そう、やはり負ければ賊軍なので、壮絶で哀れな死でないといけないとは思いますが・・・
最後までこの二人の関係はかっこよかったですね。
二人の死を知った清盛は、眉ひとつ動かすことなく・・・更に義朝の嫡男・頼朝の追討を命じます。
そして2月、平宗清がついに頼朝を捕縛しました。
連行された頼朝は、清盛と生涯2度目の対面を果たしました。
清盛は頼朝に源氏一門の悲惨な最期を語ると、頼朝は泣き崩れてしまいます。
頼朝が下がった後、重盛が清盛に意向を聞くと、新しき国づくりを邪魔するものは友の子であっても許さぬと言い放ちました。
ホント???
清盛は、頼朝と違って、情に厚いはずなんですけどね。。。
頼朝は、弟の義経であったとしても家来のように扱いますが、清盛は、平家を縁故で内裏に入れたがために堕ちていくのに・・・そうなの???
頼朝が幽閉されているところに清盛の三男・宗盛が訪れます。
戦場で頼朝に矢で狙われて腰を抜かした宗盛は、頼朝に悪口を言い放ちました。
う〜ん、なんだか器の小さい男です。。。
そう、重盛の優秀さを出すためには、申し訳ないけど周りに遠慮してもらっているのかしらね。

そこへあらわれた池禅尼は宗盛をたしなめ下がらせると、頼朝が檜と小刀を所望した理由を聞いた。頼朝は卒塔婆をつくり、父・母や兄たちの菩提を弔いたいと答えました。
そして亡き母の教えに従い、源氏の誇りを持って沙汰を潔く受け入れると覚悟を語ったのです。
これは、結構重要ポイント!
池膳尼はこれからどんどん絡んできますから・・・特に、頼朝さんにはね。

そんな頼朝に家族思いの息子・家盛の面影を見た池禅尼は清盛に助命を進言します。
情に流されるわけにはいかないと拒否する清盛でしたが、池禅尼は断食をしてまでも清盛に助命を迫ります。
その一方で、信西の最期に立ち会った西光が清盛を訪ね、信西の敵である義朝の子・頼朝の首をはねるように切々と訴えるのです。
どうするのでしょう?清盛?
まあ、みんな知ってる一番の場面ですから・・・
でも、もし、池禅尼が、清盛にとって本当の母親だったなら・・・
意見は聞かなかったかもしれませんよね。
実の母には我儘言えるけど、継母には反論できない・・・みたいな。
そんな甘い清盛なんですがね。
最近は、ちょっとダーティーです。

そのころ、常盤は生まれたばかりの牛若ら三人の息子とともに鬼若にかくまわれていました。
なんで鬼若が???って感じですが。。。
ある日、常盤は三人の子を救うために六波羅の清盛のもとに行くことにします。
でも、唐突になんで???
と、違和感たっぷりです。
救うためなら逃げようものですけど。。。

清盛と対面した常盤は、子らの命を助けてほしいと懇願します。
平氏一門の中には、彼女を側女にすればよいという者もいます。
でも、清盛は否定。
否定していいの???それって・・・。
妻・時子は、清盛が迷っていることを見抜き、義朝は敵である前にかけがえのない友だったことを考えて裁断するべきと清盛に助言しました。
それって、どう転ぶのよ???
相変わらず断食を続ける池禅尼は、家貞に真情を語っていました。
本心では頼朝の命を奪いたくない清盛を、おもんばかっての行動だったのです。
う〜ん・・・自分が悪者になろうって感じ???
そして裁断の日、庭に座す頼朝に清盛は、義朝が残した源氏の家宝「髭切」の太刀を見せます。
尊敬する父が大切な太刀を失くす程まで追い詰められていたことを知り、衝撃を受けた頼朝は生きる望みすら失い、早く斬られることを望みました。
そんな弱々しい頼朝を見て、清盛は同情を通り越して怒りすらわいてきて・・・
頼朝に義朝の姿を重ねたたきふせます。
一緒に武士の世を望んだ最愛の友・義朝の死を嘆くとともに、ひとりで武士の世を切り開く自らの苦しさを語りました。
お前はそれで気が済むだろう!!
ただ一心に太刀を振り回し、武士として生き、武士として死んだ、そう思うておるのだろう!!
だが俺はどうだ、俺はこの先も生きていかねばならぬ!!
お前が居らぬこの世で、武士が頂に立つよう、切り開いていかねばならぬのだ!!
それがいかに苦しい事か分かるか!!いかに虚しい事か分かるか!!
だが俺は乗り越える!!
乗り越えてこその武士じゃ!!
醜きことにまみれようとも、必ずこの世の頂に立つ!!
途中で下りた愚かなお前が見ることのなかった景色を、この目で見てやる!!
その時こそ思い知れ!源氏は平氏に負けたのだと。。。
あのつまらぬ乱を起こしたことを悔やむ、己の愚かさを罵れ!俺はお前を断じて許さぬ!!!
頼朝に誠の武士の姿を遠くで見ておれと、流罪を言い渡しました。。。
まだまだ義朝が好きですね・・・
少年漫画炸裂です。

そう、それは、強敵と書いて「とも」と読む?
腐女子にはたまらない押し方かもしれません・・・

今ならどの2人なんだろう。。。たくさんありすぎて解りませんが・・・。
わたしの大好きなスラムダンクなら、花道と流川って感じ???
そして清盛は常盤には、子どもを守るために生きろと命じました。
で・・・どうよ、この二人・・・。
なんだかんだと理屈をこねることなく、”強いものが女を手に入れる”で良かったのでは???
やがて頼朝は配流先の伊豆に向かいます。
藤九郎という若者とともに。。。
そして清盛は武士としてはじめて公卿にのぼり、一門の繁栄を着実に築きあげていったのです。
ああ・・・義朝勿体ないなあ・・・
ジャンプみたいに、「実は生きていた!!」とか、イコールの血を以てして蘇えったとか・・・
ほんと、カッコよかったに尽きます。

今まで2人で頑張ってきた両輪・・・一つが外れてしまいましたね・・・。
この片方に入って来るのは、勿論、後白河さんで良いんですよね。

期待していますよ。
でも、本当に惜しいです。
でも、惜しまれるのが花かしら。。。
義朝さん、お疲れさまでした。

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