2012年07月17日

海に浮かぶ鉄の要塞「九鬼水軍」

織田軍団の弱点は、水軍でした。

その織田軍団の地位を最強、不動のものにしたのが、九鬼嘉隆率いる九鬼水軍・・・志摩海賊衆です。

歴史を変えた水軍の謎 (祥伝社黄金文庫) [文庫] / 高野 澄 (著); 祥伝社 (刊)
歴史を変えた水軍の謎 (祥伝社黄金文庫) [文庫] / 高野 澄 (著); 祥伝社 (刊)

信長と嘉隆が結びついたのは、1568年。
これに遡ること3年前、嘉隆は、志摩七島党に追われ、信長陣営の滝川一益のもとに身を寄せていました。
一益は、公が忍者あがりの侍大将で、このころ、信長が戦略として重視していた鉄砲の活用に手腕を発揮し、功績をあげていました。

このことにより、海上のスペシャリスト嘉隆が鉄砲を取り入れた戦法を編み出すのです。
1567年、嘉隆は、一益指揮する織田軍3000に水軍として参加します。北伊勢侵攻に腕を振るいました。

その功により、信長に、海洋戦略の担い手として登用されます。

1574年に、信長が伊勢長島一向一揆の平定に軍を進めると、海上攻撃で戦功をあげ、織田水軍の名を高めました。

1576年の石山本願寺の攻撃でも、大坂湾を封鎖する戦術に参加します。
本願寺は、中国の毛利輝元、小早川隆景に助けを求め、瀬戸内海賊の村上水軍・紀州雑賀衆を加えた毛利水軍が来襲します。

この海戦に、織田水軍は大敗してしまいますが・・・
これを機に、信長は、火矢を防ぐために船べりに鉄板を張り巡らした大船の建造を命じます。

嘉隆は、命令通り、その造船技術の全てをかけ、2年がかりで装甲製の大安宅船6隻を完成させました。

どの船にも、大砲3門と長銃がついていました。

織田水軍は、再び大坂湾で毛利水軍と戦い、圧倒的な勝利を収めます。この勝利で、本願寺と毛利は分断され、本願寺は孤立。
信長に大坂の地を明け渡すのです。


嘉隆は、志摩・鳥羽3万5000石を領する大隅守に任じられ”海賊大名”として、名を馳せました。



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ラベル:九鬼水軍
posted by ちゃーちゃん at 19:57| Comment(0) | 戦国の豆知識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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