2012年06月27日

日曜日は「六三園」へ

日曜日は、娘のエレクトーンの発表会のようなものがありました。

なので、終わった後は、パパの方のおばあちゃん、私の両親も含めてお食事に行くことになりました。

行ったのは・・・
がんこ「六三園」です。

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お料理はこんなかんじ。。。
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で、この六三園は・・・

大正時代に大阪・堂島の米穀取引所で活躍した伝説の相場師・和歌山県橋本出身の松井伊助(1865〜1931)の持ち物でした。

和歌山の米相場師だった父に幼いころから鍛えられ、13歳で大阪に奉公に出た後、30歳になるかならないかで相場師として頭角を現しました。

米相場で大もうけして取引所の株を買い占め、北浜に進出、株式取引で巨万の富を築きましたが・・・

米騒動が起きた1918年、米の暴騰に手を焼いた寺内正毅内閣は、「今太閤」と呼ばれるほどになっていた松井に「米価を下げて社会不安をなくすために相場に水をかけてくれ。あんたしかおらん」とフィクサーを通じて頼み込んだので。。。
巨額の損も覚悟で松井は引き受け、米を売って売って売りまくり、「世直し大明神」と庶民から称賛を浴びたといいます。
 その松井伊助が63歳になった1928年に和歌山市に立てた別荘が「六三園」です。
完成当初の敷地面積は6,300坪(約21,000u)と言われ、面積も「六三園」命名の由来だとされています。

屋敷の玄関先には北浜での松井伊助の活躍を記念して、北浜に近い堺筋の難波橋の橋詰4カ所に松井が寄贈した天岡金一作のライオン像と同じものを1頭置きました。


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これかしら???


 六三園は戦後、一時米軍に接収されたが、1952年に和歌山銀行(当時は和歌山相銀)のオーナーだった尾藤家が買収して高級日本料理屋を開きました。しかし、和歌山銀行は2006年に紀陽銀行に合併され、六三園も尾藤家の手を離れます。


買収したのは、和歌山県上富田町出身で関西経済同友会の代表幹事も務めた「がんこフードサービス」の創業会長、小嶋淳司氏で、高級料理屋は、大衆路線の「がんこ六三園」に生まれ変わったのです。現在の敷地面積は2,000uですが、大座敷から広縁を通して見る回遊式庭園の見事さは変わりません。


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綺麗な自慢の庭を眺めながら、楽しくお食事が出来ました。黒ハート


私の母は、ここら辺の出身なのですが・・・
軍に接収されたときは、入り口にアメリカ兵が立っていたことなんか覚えていまして・・・

そして、自分家も接収され、家を追い出されたことを話していました。

お母さん・・・それって、もう耳タコですよ。。。揺れるハート


本当に、自分の身近にも、こんな歴史が埋もれているなんて・・・
そんなことを感じながらお食事するのも楽しいかもしれませんね。揺れるハート

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ラベル:六三園 がんこ
posted by ちゃーちゃん at 08:05| Comment(0) | 和歌山探訪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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