2012年06月20日

城下町へ行こう「盛岡の城下町(岩手県)」

今回の「城下町へ行こう」は、盛岡城の城下町です。

岩手県盛岡市、人口29万3540人、面積886.5㎢、特産は南部鉄器、南部せんべい、わんこそばで有名です。
古くから、南部氏によって治められ、北東北の中心として発達しました。

京都や江戸の雅を取り入れて、文化を育んできました。

南部氏の歴史は古く、初代当主・南部光行は鎌倉時代に源頼朝に仕え、奥州藤原氏との合戦によって、奥州糠部郡、現在の三戸から八戸一帯を拝領しました。

盛岡城を築城したのは、南部家26代当主にして、盛岡藩初代藩主・南部信直によってなされました。
二代藩主・利直の時に完成・城下町の基礎が出来ました。

南部家は、700年にわたって、東北で繁栄を誇っていました。

盛岡城は、石垣がとっても印象的。
この石垣が、全国に誇る石垣です。
石垣を見ると、その藩の財政がわかるということですが・・・

この石垣には隠された歴史があります。

三角錐の石垣、これは、盛岡城にしかないそうです。
算木積という、石垣の角の強度を高める積み方です。

これは、利直が、石垣をつくる際に全国から優秀な職人を呼び寄せて作ったからだと言われています。
当時の最先端技術です。

10万石なのになぜ???

慶長3年に金山が発見されました。
盛岡藩は金山によって、豊かな経済を支えていました。
だから、石垣にもお金をかけることが出来たのです。

盛岡は、黄金都市でした。


そして、盛岡には、古より伝わる巨石伝説もあります。

城下町にある盛岡藩の総神社である櫻山神社。
1749年に盛岡城内に神殿を建立し、初代藩主・信直公を祀ったのが始まりとされています。

そこには面白い石があります。

盛岡巨石伝説の一つ、烏帽子岩。

sakurayamajinja3[1].jpg


盛岡城築城の際に、土の中から発見されました。
形が烏帽子に似ていたことから「烏帽子岩」と呼ばれています。

他にも、城下には、石割けやき、石割桜、天満宮の石割梅など、巨石に関係した場所があります。


三ツ石神社では・・・

三つの大岩が祭られています。
昔、民を苦しめていた鬼を、三ツ石の神が岩に縛り付けて懲らしめたという伝説があります。
鬼は、二度と現れないという誓いに、三ツ石に手形を押して、この地を去って行ったと言われています。

「岩に鬼の手形」・・・だから「岩手」なのだそうです。

盛岡は、巨石の宝庫でした。


盛岡では、江戸時代から市が盛んに行われていました。
賑わっていたようです。

2代藩主の利直は、市の活性化の為に、商人に金を貸し、市の時に返却させるという「銭おろし」を行いました。
さらに、市の税金を全面免除。おかげでとても栄えたようで、現在でも受け継がれています。


兵が愛した南部のブランドとは何でしょう??

古来より、馬は、農耕に欠かせませんでした。
そして・・・南部馬は、憧れのブランドでした。
古くから、南部は、駿馬の産地でした。
源義経を背中に乗せた「太夫黒」・・・織田信長・武田信玄・上杉謙信にも献上されたそうです。

全国のお殿様が欲しがったと言われています。

江戸時代には、南部馬はステータスとなりました。

毎年100頭以上が、幕府に買い上げられ江戸に送られた記録が残っています。
そして、藩は、この南部馬を厳しく管理・・・馬帳簿(馬籍簿)に登録され、藩で管理していました。
藩の重要な財源だったのです。


鉈屋町は、盛岡の玄関口・・・
商人の町として栄えました。

盛岡の町屋とは・・・
神のいる町屋と言われています。
盛岡の町屋には、京町屋とは違い神棚のある常居(じょい)があり、この上には屋根を作らないので、吹き抜けになっているからです。

川に囲まれた盛岡には、大慈清水があります。
江戸時代から庶民に愛されてきたこの清水、4つの水槽には段差が設けられており、飲料水から洗濯場まで用途が分かれています。
nataya1[1].jpg

昔も今も、憩いの場となっています。


盛岡は、「わんこそば」でも有名です。

どうして、わんこそば???
わんこそばは、「そば振る舞い」に由来します。
冠婚葬祭などで、湾に入れたそばを満腹まで振る舞う南部地方の風習です。

その起源は、二代藩主利直が江戸に向かう途中、花巻名物のそばを椀で何度もおかわりしたことからです。

米が育ちにくい南部では、そばが最高のもてなしでした。



南部鉄器に隠された盛岡藩江戸化計画もありました。

南部鉄器は伝統工芸です。
茶の湯の文化から生まれ、歴代藩主によって手厚く保護されて来ました。
漆と鐵、どちらも採れ、もともとは、鉄を鋳造することから始まりました。

ここで、南部鉄器が生まれたのは・・・
三代重直は、暴君と呼ばれています。

この暴君は・・・多くの家臣をリストラしたり、傍若無人な振る舞いをしたと言われています。

しかし・・・
重直公は、江戸で生まれ、育って、盛岡に来てびっくりしたそうです。
江戸での華やかな生活で、茶道などにも精通する文化人でした。

盛岡を江戸にしよう!!
職人や、文化人を江戸から呼んできたそうです。
その人たちによって、南部鉄器・南部型染・南部紫紺染が作られました。
また、芸能や文化だけでなく、行政手腕も発揮して、城下町を発展させました。
盛岡を繁栄させた名君だったことが、わかってきたのです。

そして、南部家とともに発展してきた東北の城下町・・・盛岡。
そこには「おもてなしの心」がありました。

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posted by ちゃーちゃん at 10:51| Comment(0) | 城下町へ行こう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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