神宮の門を出ようとしたその時、二羽の白鷺が、敵方向へ向かって旗先を飛び去って行きました。
これを見た信長は、熱田神宮の加護を示す吉兆と断じ、家来を奮い立たせました。
これは、信長の作戦にのっとって、熱田神宮の大宮司が一芝居打ったのだとか。
だって、信長は、信じていないでしょう?神を!!
でも、このおかげで、家来たちは怯えを払い、士気を鼓舞して戦うことが出来ました。
このように、戦場は、生と死の極限状態の世界です。
侍たちは、常に、死と背中合わせに生きているのです。
これを払拭するために、理屈を超えた神秘的な、呪術的なものに縋ろうとしました。
そう、勝つことが出来るなら、どんなものにでもすがりつき、縁起を担いだのです。
出陣にあたっては、大将は様々な儀式を執り行いました。
代表的なのが、「三献の儀式」
出陣の門出を祝う酒の肴として、三つ重ねの盃と一緒に、三方に乗った打鮑(打つ)・勝栗(勝つ)・混布(喜ぶ)が大将の前に置かれます。
つまり、「打ち勝って喜ぶ」と縁起を担いだのです。
この祝い酒を飲み終えると、右手に弓をとり、左手に軍配を開きもち、「えいえい」と勇ましく叫び、兵が「おう」と声を和して応じました。
また、出陣の3日前から正室・側室をはじめ、女性を近付けることは禁忌とされていました。
女性に接すれば、未練が残り、精力を消耗し、戦場での働きに差支えがあるからです。
出陣の日取りは、吉日を選び、凶日とされる往亡日は避けられました。
往亡日とは、文字通り、亡びに往く日のことで、陰陽家は、春は7、14、21日、夏は8、16、24日、秋は9、18、27日、冬は10、20、30日がこれに当たりました。
方角は、死者を北枕にするところから、北を避け、出陣の方角を東、または南に当たるようにしました。
大将は、顔が東か南に向くように床几に腰を下ろし、武具も同様に置きました。
なんて忙しいんでしょう。

ほんとに戦ってる???
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