2012年06月12日

西郷隆盛〜明治の礎を作った薩摩の怪物〜

今回のTHEナンバー2は、西郷隆盛さんです。

西郷さん、何回もいろんな場所でお見かけしているのでもうナンバー2で何回かしているのでは?と思ってしまいましたが、やっていなかったのですね。

でも・・・なんだか気乗りがしないというか、うまくまとめられないというか・・・
今回は、加治将一さんでした。
いつも解説してくれる時に・・・
「私が思うところ・・・」とか、「私の説では・・・」とか、突拍子もないことを言ってくれるので、頭の中が混乱しています。
いつもレポートするときは、感情移入しないつもりなんですけど・・・あせあせ(飛び散る汗)頑張ります。


1854年日米和親条約締結。
時代が大きく舵を切った時、歴史の表舞台に現れたのが西郷吉之助。
後に、幕末維新の表舞台に躍り出る西郷隆盛です。

江戸幕府を倒し、江戸城を無血開城に導き、明治政府で辣腕を振るうも、最期は政府に刀を向けた怪物です。

西郷隆盛は、維新最大の功労者でしょうか?
それとも、逆臣なのでしょうか?

その本当の顔を知るものはいません。

最も知られている顔・・・
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は、会ったこともないイタリア人画家・キヨソーネが明治16年に描いたもので、隆盛の弟・西郷従道と、隆盛の父方の従弟・大山巌のオラージュしたものなのです。

また西郷の像も、本人とは全く違うとか。

生前の写真は存在しないと言われていました。

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しかし、加治将一さんによると・・・
1865年12月、若侍を中心に13人、その一番右端が西郷???
その理由は、大男でヘラクレスのようだということ。。。?????

本当にそんな理由で良いの???
と、私の中でモヤモヤが発生してしまいました。

でも、頑張って見ます。

一枚もないと言われてきた絵、平藩の藩校から出てきた一冊のアルバムにありました。

その決め手をもう少し深く掘り下げてくれました。

@永山弥一郎という影武者がいて、その人に似ている。
A背が高かった。
Bオーストラリア人が、「まるでヘラクレスのようだと言っていた」
C島流しの後なので、がりがりだった。

本当にそれでいいの?加治さん。。。って、思ってしまいました。
モヤモヤがふくらんでいきます。

さて、勝海舟の目に映る西郷とは?
西郷の死から2年後に碑を建てています。
反逆者の碑は、当時では考えられないことでした。

きっとそこには、2人の信頼関係があったのでしょう。

禁門の変では幕府の指揮官だった西郷と、軍艦奉行だった勝。
2人の歴史的な出会いはどうだったのでしょうか?

勝海舟に会うことで、西郷の考えが180度転換します。
西郷を公武合体派から討幕にしたのは勝だったと言っても過言ではありません。

この日を境に、西郷は、長州との同盟を考えるようになります。

この13人の写真は、それから3か月後の写真です。
「薩英戦争講和修好時の島津久治」というキャプションがついています。

取り巻きは薩摩藩士。
東郷平八郎らしき人も映っています。
そう、後の薩摩閥で固めた海軍の大将や中将です。

この人たちは、10年前から長崎海軍伝習所に出入りしていた人たちです。
つまり、勝とは昵懇の仲でした。

この1年後に薩長同盟です。
加治さんの考えでは、この明治維新は裏でイギリスが糸を引いていたみたいなことを言っていました。


慶喜に対立する薩長に対し、慶喜は大政奉還をします。
しかし、やはり、実権は、徳川に・・・。

これを快く思わない人が・・・
12月大久保利通や岩倉具視らが図り、王政復古の大号令をかけます。

しかし、王政復古の大号令と言っても、絵に描いた餅。。。
相変わらず徳川に強力な力がありました。

大義を失った薩長は、大義名分を作ろうとします。
西郷は、江戸中に火を放ち、略奪をし、攪乱行動をします。

これに対し幕府側が、水戸にある薩摩邸を焼き討ちしてしまいます。

これが引き金、つまり薩長側の大義名分となって、鳥羽伏見の戦いが始まりました。
薩長は、兵力的には劣っていたものの、錦の御旗で勝利します。

勝と西郷が会見し、江戸城は無血開城。
そこには、天璋院篤姫の手紙もありました。西郷の恩人・斉彬の顔が浮かびます。


維新になって、廃藩置県に挑みます。この大事業を成し遂げられるのは、西郷しかいませんでした。
大久保は・・・
「是非とも東京に来てくれ  西郷どんが必要でごわす
  廃藩置県が出来るのは、おはんしかおらん」
涙ながらに説得しました。

「やるからには、命をかくっつもりでやらんとなりもはん」

西郷はすでに、鹿児島で廃藩置県に先駆ける改革を行っていました。
知行の返上・平均して200石の士族に統一します。
版籍奉還を行って、廃藩置県を行ったのです。


しかし、これは藩主と藩主の生活を脅かすものでもありました。
島津久光も大反対です。

難しいと思われた廃藩置県、御親兵の圧倒的な軍事力を持って、無血革命で達成します。
この、士族を一気に解体するのは気が引けた西郷、警察官3000人のうち2000人は薩摩を採用、士族の居場所を探します。

1871年9月15日、西郷は勝と三度目の対談をします。
「こげん面倒なことになるんじゃったら 早う死んじょった方がましでごわした」

「おいらも時々そう思う」  

と言ったとか。

廃藩置県は、西郷の軍事力を統率するカリスマ性がなければできませんでした。
その西郷のカリスマ性を利用する大久保。
廃藩置県は、政府にとって内政の大きな山でした。
これを西郷の力で乗り切ると・・・
「岩倉使節団」として主要メンバーは旅に出てしまいます。

その間に当時は鎖国中だった朝鮮との問題が勃発します。
朝鮮を開国させようとする「征韓論」が出てきて・・・
両国の関係は悪化の一途を辿ります。

西郷は韓国に行って、平和裏に納めようとしていましたが。。。

それを覆したのは、旅から帰ってきた大久保でした。
嫌気を出した西郷は、鹿児島へ帰ってしまいました。
そう、西郷は、新政府と決裂したのです。

1874年6月私学校を作ります。
銃隊学校・砲隊学校・吉野開墾社・・・鹿児島の士族を教育しようとしました。

しかし、これは軍隊???
近代国家として明治政府が成立するためには、放ってはおけません。

そして危惧していたことが・・・
私学校の生徒が、陸軍火薬庫を襲撃!!
西郷は。。。「おはんたちは 何たることをしでかしたか!?」

1877年2月15日、日本最後の内戦が始まりました。西南戦争の勃発です。

9月24日西郷自決。。。

明治維新の一番の立役者は、反逆者としてその一生を終えるのです。
享年51歳でした。

鎌倉時代より750年続いた武士の世を終わらせた男は、自らの命を武士の世の終わりの仕上げとしました。

討幕・廃藩置県・西南戦争・・・

日本が近代国家に生まれ変わるために、自らを人柱としたのです。

勝は、亡き友の追悼と、名誉回復に努め、息子・寅太郎を支援。
寅太郎が海外留学の際は、資金集めに奔走しました。

1898年師走・・・
銅像の除幕式にて・・・

「どうも出来がよくない・・・」

勝は、満足できなかったようです。

その顔は謎のままに・・・。


みたいな感じでした。
どうでしょうか?
初めての西郷さんなのに・・・

顔がどうとかよりも、西郷さんの生い立ちとか、成し遂げた偉業とか、してほしかったなあ・・・。
だって、顔は結局解らなかったのだから・・・。あせあせ(飛び散る汗)

これなら、まえにナンバー2でやった大久保利通の方が、かっこいいと思ってしまいました。。。あせあせ(飛び散る汗)

それはこちら。
大久保利通〜明治を創った男・維新の設計者〜


西郷さんには今も惹きつけてやまない魅力がたくさんあります。
人情とか、人情とか、人情とか、きっぷのいいところとか、官僚タイプの大久保とは違うダイナミックな部分とか・・・。

もっと歴史に忠実に・・・そして
かっこいい西郷さんを見たかったなあ。。。

って、私情ははさんで書かないつもりだったのに・・・。
今回は、なんだかグダグダに思ってしまったので。。。
ごめんなさい。反省します。

西郷隆盛 第一巻 [単行本] / 海音寺 潮五郎 (著); 朝日新聞社 (刊)
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西郷隆盛伝説 (角川文庫) [文庫] / 佐高 信 (著); 角川学芸出版 (刊)
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ラベル:西郷隆盛
posted by ちゃーちゃん at 20:40| Comment(0) | THE ナンバー2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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