2012年06月12日

城下町へ行こう!「会津若松の城下町(福島県)」

今回は、猪苗代湖を望む東北の要所、「会津若松の城下町」です。
会津若松城 (PHPムック) [ムック] / 西ヶ谷 恭弘 (著); 西ヶ谷 恭弘, 西ヶ谷 恭弘 (監修); PHP研究所 (刊)
会津若松城 (PHPムック) [ムック] / 西ヶ谷 恭弘 (著); 西ヶ谷 恭弘, 西ヶ谷 ...
幕末、白虎隊の会津です。。。

なかなか遠くって、行ったことがありません。
行きたいなあ・・・。黒ハート

福島県会津若松市 人口12万4881人、面積383.03㎢、特産は会津漆器、赤べこ、馬刺しです。

古くから東北の要所とされてきた会津若松、この城下町を作り上げたのは、天下取りの器と称されながらも40歳という若さで亡くなった蒲生氏郷です。

氏郷が作り上げた忠義の武士道は、「会津武士道」とよばれ、戦国、幕末、今現在まで受け継がれています。

武士道の心を今も残す、会津若松の城下町とは???

鶴ヶ城です。
鶴ヶ城の歴代城主は・・・
葦名氏⇒伊達氏⇒蒲生氏⇒上杉氏⇒加藤氏⇒保科氏⇒松平氏です。

会津地方は、昔から数々の有力武将が治めていました。
特には、蒲生氏郷の92万石の領地です。

通称・鶴ヶ城、正式名称は若松城・五層七階の天守閣です。

今の城主は「お城ボくん」です。
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このお城と城下町を作ったのは、会津藩主蒲生氏郷です。
織田信長に愛されて、豊臣秀吉に最も怖れられた男です。

小説蒲生氏郷
小説蒲生氏郷


1568年観音寺城の戦い。
この戦いで織田信長に敗れた蒲生賢秀の長男です。
その後人質として織田信長の庇護の元で暮らします。

そこで、たぐいまれな才能を発揮します。
織田信長の配下として、常に先陣を切った氏郷、特徴のある鯰尾形兜、
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燕尾形兜をかぶり、その圧倒的な強さを敵に見せつけました。

また、茶道でも、千利休の筆頭弟子として茶の湯への深い理解を持っていました。

まさに文武両道、信長の信頼を得て、信長の娘・冬姫を正室に迎え入れます。

信長の死後、秀吉に仕えますが・・・
冷遇されます。
秀吉は、冬姫をもらいたかったらしいのです。

あまりにも怖れていたため、秀吉は毒を盛って氏郷を毒殺しようとしたという噂が流れるほどでした。

氏郷をおひざ元に置かず、遠く離れた会津に配置します。
しかし、ここでも才能を発揮。

会津の城下町を発展させ、4年間で42万石から92万石の大大名に成長します。
こうして氏郷が手腕を発揮すればするほど、警戒心を強める秀吉・・・。

そして、2人の関係を決定づける事件が・・・

鶴ヶ城城内にひっそりと建つ庵・・・それは、千利休の息子・千少庵が建てたものです。
どうして、ここに茶室を作ったのでしょうか?

千利休は、秀吉に関わったことでその生涯を断たれることになります。
そう、有名ですよね。京都・大徳寺三門に置いた利休の銅像・・・

そこを通ることになる秀吉・・・

天下人の怒りをかった利休は、切腹となります。
その怒りは、千家一族にも及びました。

そこで、氏郷が、千少庵をかくまったのです。
お茶の千家を守ったのです。

が、これが、2人の間に大きな溝を作ります。

1592年朝鮮出兵。有力大名が、九州に集められます。
東北で絶大な勢力を持っていた氏郷、会津から佐賀県の唐津に向かいます。
そこで開かれた茶会の席で・・・

お茶に毒を入れたと言われます。(蒲生氏郷暗殺説です。)
この茶会を境に体調は急変・・・40歳という若さで亡くなるのです。

義の武将・蒲生氏郷が築いた城下町とは???

会津では、古くから、剣道や茶道など、武士道に通づる文化が重んじられてきました。

当時もっとも大事にされていたのが、鍛冶職人。
蒲生氏郷が取り入れた職人文化が、今も根付いています。
唐人凧、会津のこぎり、赤べこ、会津漆器、絵ろうそく・・・


起き上がり小法子には特に思い入れがあります。
一説には、氏郷が、舅の信長のだるま信仰を受け継ぎ、何度転んでも起き上がる、七転び八起きの精神を庶民にも解りやすく説くために作ったと言われています。

この精神が、今も会津には根付いています。


地方を海に囲まれた会津では、魚は貴重なタンパク源、特に鯉は、お祝いごとに・・・重用されました。

鯉の甘煮が有名です。
コラーゲンたっぷりの美容食です。

会津磐梯山に欠かせなかったのが、「宝の山とキリシタン」

かつて、この周辺からは、豊富に金が採れました。会津藩の発展の陰にはこの金の存在があったと言われています。
氏郷は、キリシタン大名です。洗礼名は「レオ」
そう、キリシタン大名になったのも、この金の為なのです。
キリシタンたちの、金の採掘技術を手に入れるためだったと言われています。

あいづっこ宣言

あいづっこ宣言 500[1].jpg

こちらに記された言葉の最後・・・
「ならぬことは ならぬものです」
ここに、会津に隠された歴史、そして会津精神の原点があります。

時は幕末、戊辰戦争・・・
激しい戦いが行われたのは、会津でした。

会津藩9代藩主・松平容保。
官軍との戦いに備えて・・・
その時に、白虎隊も作られました。

会津藩の子供たちは、什の掟を守って生きていました。
それは・・・
1つ 年長者の言うことに背いてはなりませぬ
2つ 年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
3つ 虚言を言うことはなりませぬ
4つ 卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
5つ 弱いものをいじめてはなりませぬ
6つ 戸外で物を食べてはなりませぬ
7つ 戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

道徳心や礼儀作法が学べます。
幼年期から士道の基礎を学んだのです。
これが、あいづっこ宣言となりました。

会津藩校「日新館」では。。。

白虎隊の少年たちも10歳の頃からここで学んでいました。
会津藩では、藩士の子供たちには日新館に入ることを義務付けていました。
そして、武士の養成学校として、厳しい教育が行われていました。

漢文の教科書で学びます。
平均は6年で卒業できましたが、落ちこぼれだからと言って勝手に自主退学は出来ません。
最高で、35歳まで卒業が許されませんでした。
かなりの屈辱です。

天文学も学んでいました。
中国では、東西南北をそれぞれ青龍・白虎・朱雀・玄武と表しました。
白虎隊は、西方の守り、白狐からとりました。

戊辰戦争では・・・

玄武隊・・・・50歳以上の武家の男子
青龍隊・・・・36歳から49歳までの武家の男子
朱雀隊・・・・18歳から35歳までの武家の男子
白虎隊・・・・16歳から17歳日新館の少年

で構成されていました。

新政府軍と最後まで戦い抜きました。
戦争が激化する中・・・

会津娘子(じょうし)軍が構成されます。
籠城戦を繰り広げた会津戦では、女性も戦いました。

そのなかに、白虎隊と深いかかわりを持つ女性がいました。

”山本八重”のちの新島八重子です。
一昔前の時代劇で、田中良子さん、スーちゃんがしていましたよね。
あの年末時代劇「白虎隊」大好きでした。



白虎隊 [DVD] / 森繁久彌, 里見浩太朗, 風間杜夫 (出演)
白虎隊 [DVD] / 森繁久彌, 里見浩太朗, 風間杜夫 (出演)


もともと、砲術師範の家で育った八重は、鉄砲の名手で白虎隊に砲術を教えていました。

八重は会津戦争で、アメリカの銃を持ち、男装をして戦ったと言われています。

若くて賢いエリートの少年たちが、会津の為に戦う!!
ならぬことはならぬの精神です。
会津の教えなのです。

すべては会津を守るため・・・
この地に若き命を捧げました。

自身の跡からは、会津が一望できます。
白虎隊19士は、飯盛山から炎に包まれた城を見て自刀を決意します。

この白虎隊19士を偲ぶ碑には、現在でも献花が絶えません。

そうなのよね。。。
この時まだ城は落ちていなかったのに。。。
隊長とはぐれてしまったのが一番いけなかったんでしょうね。。。バッド(下向き矢印)
いつも涙してしまいます。


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posted by ちゃーちゃん at 14:29| Comment(2) | 城下町へ行こう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント


エントリー,楽しく拝読させていただきました。

わたしも子供を連れていってきました。

いいですよ。お城の中にあった白虎隊の説明パネルにただただ涙が溢れて・・・。

公に尽くす心。今の教育はこれを忘れてしまっています。

今こそ,日新館の教育「ならぬものはならぬものなり」を全国でやっていただきたいですね。

ちなみに:

子供の小学校の運動会がつい最近ありました。かけっこ競争では,男女一緒ですよ。タイム別で差がつかないようにって。まったく信じられないですよね。個人差があるのは当たり前。それを克服するために,努力するのが大事なのに,どこか履き違えてしまったようです。

これからもこうしたエントリー楽しみにしています。ありがとうございます。
Posted by at 2012年06月12日 15:14
>コメントありがとうございます。

そうですよね。
今の教育は、個が強調されて、なんだかなあって、感じがします。

ちなみに知り合いの小学校では、運動会のリレーは「早い競争組」と、「楽しみたい組」にわかれて競技します。

つまり、「遅い子」が「お前のせいで負ける!!」など、非難の的になることがあったり、親からのクレームがあったり、それを防ぐためだとか・・・。

「みんなで頑張る」ことを教えなくていいのでしょうか???

世の中いろんな子がいて協力することを教えなければいけないのでは?それでなくては、公の心は育まれませんよね。

そんな気がします。
Posted by ちゃーちゃん at 2012年06月13日 14:46
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