2012年05月29日

城下町へ行こう!「上田の城下町」

今回は、信州・上田の城下町です。

真田幸村と大坂の陣―家康を震撼させた猛将の戦い (歴史群像シリーズ―新・歴史群像シリーズ) [ムック] / 学研 (刊)
真田幸村と大坂の陣―家康を震撼させた猛将の戦い (歴史群像シリーズ―新・歴史群像シリーズ) [...
上田城・・・といえば、真田幸村です。
真田ゆかりの街が、上田の城下町なのです。

真田家を祀る神社にその謎は隠されていました。


長野県上田市
人口16万2530人、面積552㎢、特産は上田紬、そば、みそです。
この町は江戸時代、北国街道の宿場や城下町として発展してきました。

上田城を築城し、城下町の基礎を築いたのは、真田幸村の父・智将・真田昌幸です。


戦国最強と謳われた武田二十四将として、数々の武功を立てた昌幸は、真田再興の地をここに築きました。

真田の紋は「六文銭」。
古くから、三途の川の渡し賃としてあった六文銭を旗印に・・・
後の世に語り継がれる武功を上げるのです。
徳川家康が最も恐れた武将・真田昌幸。。。

戦乱の世を疾風の如く走りぬけた真田一族、その一族が築いた城とは???

真田幸村、大坂夏の陣で家康をあと一歩のところまで追いつめたと言われる幸村。。。
「日本一(ひのもといち)の兵」と呼ばれました。

上田城を築いたのは真田昌幸。
天下統一を目指す家康に真向から立ち向かった智将・昌幸が遺した真田家の縁とは??


お城を作っている石垣、その要の石が「真田石」
直径3メートル。
戦国末期から江戸初期にかけて、石垣に巨石を装飾することが全国的に流行しました。
権力を示すためです。

しかし、この城下町、真田の城下町ではない??

「真田神社」・・・六文銭の入ったこの神社、真田家が作ったわけではなく・・・

上田城の敷地内にひっそりと建つ「真田神社」
真田一族を祀るのではなく・・・

以前は「松平(しょうへい)神社」でした。
上田城の歴代城主は・・・
真田氏2代40年間・仙石氏3代85年間・松平氏7代166年間の統治となります。
この松平氏の影響が強いと言われています。

この神社は、その旧家臣らによって明治12年に建てられたものです。
ところが・・・
「真田一族も祀りたい!!」と、市民運動が起こり、歴代当主三氏を祀る「真田神社」となったのです。

上田の城下町には六文銭が溢れています。
子供たちの野球のユニフォームまで・・・。
でも、どうして真田にこだわるのでしょう???
っていうか、みなさん、仙石氏のことは知らないようです。

博物館には、幸村の父・真田昌幸の掲げた六文銭の旗指物が残っています。
普段は見られないようです・・・。あせあせ(飛び散る汗)

この六文銭、三途の川の渡し賃として、古くから棺に納められてきました。
真田家はこれを家紋とし、戦では旗印としていつ何時でも死を覚悟し・不撓不屈・不惜身命で戦ってきた一族です。

この真田家の証、六文銭を、自身最後の戦い「大坂夏の陣」では使っていなかったと言います。

大坂夏の陣の屏風絵には、赤備えの幸村隊、鹿の兜をかぶった幸村には、六文銭が入っていません。
旗指物にも六文銭はついていません。

家康を最後まで苦しめた幸村、どうして六文銭を封印したのでしょうか?

天下分け目の関ヶ原で、真田一族が存亡の危機にさらされます。
家康の東軍に着くか?
三成の西軍に着くか?

真田父子による家族会議が開かれます。
「犬伏密談」です。
家康の東軍には長男・信之が、三成の西軍には父・昌幸と弟・幸村がつくことになりました。

真田一族は東西に分かれることを決定しました。
結果は、東軍の勝利、真田親子は九度山に流罪となります。

東軍となった長男・信之が真田家・六文銭を受け継いだのです。

そして、大坂の陣に参陣した時には、長男・信之に気を遣って旗印を使わなかったのではないか?と言われています。

六文銭は、死を覚悟して戦うという真田家の魂・・・しかし、それを封印して戦国武将としての誇りを胸に戦ったのが、大坂夏の陣でした。

こんな幸村の生き方が、上田の人々は大好きなのです。


真田魂・・・

城下町にある小学校では・・・真田陣太鼓を練習していました。
甲冑をまとって太鼓をたたくというのが、この陣太鼓だそうです。

かつて太鼓は楽器ではなく、戦の指示・命令を伝達する道具でした。
実際は、背負子で背負って使いました。

この六文銭魂は、いまも子供たちに受け継がれています。


北国街道は、追分から高田を結ぶ35里、約20か所の宿場を要する街道です。
江戸時代は、佐渡の金を江戸に運ぶ道として、五街道に次ぐ重要な街道でした。

この上田の街には、昌幸の戦略が隠されています。
というのも、上田は徳川家康に勝った城下町でした。

関ヶ原より15年前の天正13年、閏8月2日、
上田の地に徳川軍が近づきます。
徳川軍7000に対し、真田軍2000.
多勢に無勢、結果は明らかなように見えました。

が・・・。
昌幸は、この絶体絶命の中・・・
前代未聞の決断をします。
「信州上田を守るため、戦で功を成したものは、侍・百姓・町人の身分に関わらず知行・100石を与える」

身分を越えた戦いで、真田六文銭の旗印の下徳川軍に勝利するのです。
民衆をも味方に付けた戦略です。
昌幸の策略に大打撃を被った徳川軍、上田は民衆と共に真田が守った町でした。

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真田家発祥の地、真田町。

町には縁がたくさん見られます。

上田の合戦には、この真田町から農民が数多く参加したと言われています。
ここに生えている矢竹・・・これが、武器となりました。
矢竹の最大の特徴は、節目に凹凸が少ないため、矢に適しています。
幸村の祖父・幸隆の時代から武器として矢竹を栽培していました。
実際、幸隆の城跡には、現在でも矢竹が群生しています。
これを持って、戦の準備をしたのでした。


信州のおそば・・・。

そばの名産・信州では、5世紀・古墳時代からそばが食されていたようです。
平安時代までは、「そばがき」として食べられていましたが、天正2年には、そば切りを振る舞ったという日本最古の記録が残されています。
信州は、そば切り発祥の地でした。

真田家が気づいた城下町、信州上田城。
そこには、真田家と共に上田の城下町を守ってきたという人々の誇りが受け継がれていました。揺れるハート

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posted by ちゃーちゃん at 11:28| Comment(0) | 城下町へ行こう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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