2012年05月07日

彦根城散策〜B〜

こちらは有名な「井伊の赤備え」黒ハート

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彦根藩井伊家では、藩主以下家臣に至るまで、甲冑や旗指物を朱色で統一していました。だから「井伊の赤備え」です。

そのルーツは、甲斐の武田。徳川家康は、自分と同じような境遇だった井伊直政を可愛がり、家臣のいなかった直政に武田の遺臣を中心とする117名をつけました。

勇猛で知られた武田家の有力武将・飯富虎昌らの”赤備え”にあやかって、その軍団を赤一色とするよう命じました。

直政は、武田軍団の象徴を名実ともに受け継ぎ、徳川家臣団の中で最強と言われるようになりました。

藩主所用の具足には、巨大な金箔押しの天衝脇立が立てられています。
ちなみに藩士たちは、小ぶりの前立てをつけるように決められていました。

この地は、戦場が近くにあったために、刀剣や武具の製作も盛んに行われていました。

日本の刀・・・
日本刀は、反りのついた湾刀です。これは、平安時代後期にはもう使われています。
”折れず””曲がらず””よく切れる”この言葉には、日本刀の優秀さが表れています。
日本刀は、時代の戦闘形態の変化に合わせて使いやすいように反りや長さが変化しています。

武具も戦国時代の集団戦でも遠くから見えるように、馬印や旗指物は大きくて形の奇抜なものが用いられました。

日本の馬は小型で、ポニーぐらいの大きさでした。

鞍には公用と私用があります。
公的な場では、蝋色塗に定紋を据えたシンプルな鞍を、私的には蒔絵や螺鈿で飾った華やかなものを用いました。

この武具や馬具を作っていた職人さんが、平和な世には仏壇を作るようになりました。
それから、武具で使われた皮をの残りは、当時は御禁制なので。。。薬として食べたのが「近江牛」です。

本当に、文化が根付いていたことが解ります。

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こちらは博物館でやっていた能舞台での能の舞。

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そして、この綺麗な庭は、玄宮楽々園です。

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posted by ちゃーちゃん at 11:31| Comment(0) | お出かけ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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