2012年05月07日

彦根城散策〜A〜

駐車場からお城を目指して歩き始めました。

本当に大きいお城で、階段が沢山あります。
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本当につらい階段を登って、登って・・・。
やっと着きました。

黒ハートDSC_0294.JPG

天秤櫓です。
大手門と表門からの道が合流する要の位置に築かれた櫓です。

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城を作っている木は、ところどころに穴が開いています。
この城は、京極高次の大津城を持ってきました。

で、石垣は、佐和山城・安土城・長浜城・大津城から持ってきた、リサイクルの城なのです。

というのも、当時はこの要の地に早急に城を作らなければならなかったから黒ハート



井伊家は、彦根藩主として近江国東部から北部にかけて治めていた大名です。江戸時代を通じて、一度も国替えをすることなくこの地を支配しました。それは、とっても珍しいです。揺れるハート

井伊家は、譜代大名の筆頭、つまり、徳川将軍家の家臣の中ではトップの家柄です。
将軍を後見する立場にあり、将軍の跡継ぎの元服式では、いつも井伊家が烏帽子親を務めました。
普段は大老というポジションはありませんでしたが、有事の際に出来る大老に就くのも、井伊家が筆頭の家臣だったからです。

この立場は、初代直政・二代直孝の業績によって確立しました。

井伊直政・・・
徳川家康の天下統一を支えた家臣で、「徳川四天王」の中の一人です。
15歳で家康の家臣になった直政は、家康から武田の家臣を引き継ぎます。そして、武田の軍法を継承する勇猛な部隊を作り上げました。それが、「井伊の赤備え」です。

直政は、彼らを率いて戦場で活躍する一方、諸大名と家康との間を取り次ぐ交渉役としても活躍。
関ヶ原では、徳川の先陣を務めました。

関ヶ原の後、西国大名との戦後交渉に奔走しますが、合戦で受けた鉄砲傷が悪化して死去しました。

井伊直孝・・・
直政の死後、跡を継いだのは、長男・直継でしたが、弟の直孝が大坂冬の陣で井伊家の部隊を率いて出陣し、井伊家の当主となりました。

直孝は、京都周辺にある勢力との交渉役を務めました。
その後、2代将軍・秀忠の遺言で、家光の後見役を任され、ほとんど江戸を離れることなく将軍・家光、家綱を補佐しました。

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彦根城の築城には、関ヶ原合戦後、この地を畿内近国の拠点にしようとした徳川家康の意向で、築城工事は幕府主導で行われました。

彦根の町は、計画的に築かれた都市で、堀で仕切られた区画には、武家屋敷・町人地・寺町などが計画的に配置されています。

30万石の城下町として約3万人の住む全国でも有数の都市でした。
この30万石は、譜代の中では筆頭を数えます。

幕末、桜田事変の処罰として10万石が召し上げられ、20万石となってしまいました。

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お堀も大きくて、情緒がありますよね。

お城の敷地内に高校もありました。
なかなか雰囲気があって粋な感じが出ています。黒ハート

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ラベル:彦根城
posted by ちゃーちゃん at 10:58| Comment(0) | お出かけ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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