2012年04月10日

和歌の神様・玉津島神社

東照宮や天満宮から歩いて来ることの出来る玉津島神社です。

「もうすぐ海かなあ揺れるハート。」
 なんて、海を目指して歩くと、見えてきました。まあ、どこに歩いてもここら辺は海に当たりますが。あせあせ(飛び散る汗)

桜がとても綺麗でした。
DSC_0846.jpg

当日は、第3回和歌の浦万葉&そとおり姫桜まつりが催されていました。
桜の中、お抹茶を頂いたり、短歌を詠んだり、音楽を奉納したり、情緒があって雰囲気たっぷりです。
が、我が家には時間がなく、余韻も楽しめないままでしたが。。。あせあせ(飛び散る汗)

入り口には小野小町が着物の袖をかけたといわれる「小野小町の袖掛塀」がありました。
DSC_0849.jpg
が、こんなに綺麗なのexclamation&question
って感じですが、まあ、良しとして・・・。揺れるハート

DSC_0850.jpg

この玉津島神社、稚日女尊、息長足姫尊、衣通姫尊の3柱に明光浦霊(あかのうらのみたま)を配祀しています。

古来玉津島明神と称され、和歌の神として住吉明神、北野天満宮と並ぶ和歌3神の1柱として尊崇を受けることになりました。(近世以降は北野社に代わって柿本人麿)。


社伝によれば、神功皇后が紀伊半島に進軍した際、玉津島神の加護を受けたことから、その分霊を祀ったのに始まったといいます。

神亀元年(724年)2月に即位した23歳の聖武天皇は、同年10月に和歌の浦に行幸してその景観に感動、この地の風致を守るため守戸を置き、玉津嶋と明光浦の霊を祀ることを命じた詔を発しました。これが玉津嶋の初見です。この時同行した万葉歌人山部赤人の詠んだ歌

若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る
− 『万葉集』巻第六(国歌大観番号919)

は有名ですが、当時は島山があたかも玉のように海中に点在していたと思われます。

平安中期の歌人として名高い藤原公任も玉津嶋に詣でています。

そして、山部赤人の歌碑がこちら。
DSC_0853.jpg

やすみしし わご大君の常宮と 仕え奉れる 雑賀野ゆ
「そがひに見ゆる 沖つ島 清き渚に 風吹けば 白波騒ぎ
 潮干れば 玉藻刈りつつ 神代より しかぞ貴き 玉津島山」

「沖つ島 荒磯の玉藻 潮干満ち い隠りゆかば 思ほえむかも」

「若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る」


こちらは、その隣にある「根上がり松」。
自然の力強さを感じます。

DSC_0852.jpg



徳川頼宣などによって近世に整備された玉津嶋神社は、和歌の浦の名所として巡礼をはじめ大勢の人々が詣でるところとなりました。
天満宮や東照宮も、片男波も近いしね。

現在においても玉津島神社とその一帯は、和歌の浦の歴史的景観の代表と言えるでしょう。

次は、その一帯へ。黒ハート

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ラベル:和歌 玉津島神社
posted by ちゃーちゃん at 08:11| Comment(0) | 和歌山探訪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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