2012年03月30日

第8回孫市まつり その三

そうして隊列は、最終地点鷺森別院へ。。。

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鷺森別院の開創は、本願寺八世、蓮如上人の昔にさかのぼります。

文明八年(一四七六)、紀伊国阿間郡冷水浦(海南市)に住む喜六大夫は、上人の弟子となって法名を了賢と名のり、村内の飯盛山に一宇の道場を建立しました。

これが冷水道場(現在の了賢寺)で、鷺森別院の起源をなすものです。


十年後の文明十八年三月には、蓮如上人が紀伊に下向され、冷水浦に一泊。これを機会に冷水御坊を中心として本願寺の教勢は飛躍的に拡大しました。

それにともなって御坊は三度位置を転じます。まず、永正四年(一五〇七)、門徒参詣の利便をはかって冷水より黒江(海南市、現在の浄国寺)に移り、ついで天文十九年(一五五〇)には、和歌浦弥勒寺山(和歌山市)に移り、さらに永禄六年(一五六三)、雑賀荘宇治郷鷺森(和歌山市)に移りました。それが雑賀御坊、すなわち今の鷺森別院です。

当時の紀伊国では、守護畠山氏の勢力が衰え、新興の土豪層が台頭。いくつかの地域勢力を形成し、その一つが雑賀衆でした。

御坊の置かれた鷺森は、紀伊湊や市場にも近く、雑賀衆の拠点にほかなりません。こうして雑賀御坊は、国中第一の要所を占め、富裕な雑賀衆の熱心な護持崇敬を受けることになりました。

やがて本願寺が、天下統一をめざす織田信長を相手に、自衛のための戦争に立上がると、雑賀衆は本願寺にとって最も力強い支えとなるのです。


 元亀元年(一五七〇)以来、十一年に及ぶ大坂戦争を戦いぬいた本願寺も、天正八年(一五八〇)閏三月、ついに朝廷の和議斡旋を受けいれ、大坂を退去することになりました。同年四月九日、雑賀からの迎え船に乗った顕如上人一行は、祖師像を奉じて大坂本願寺を退去し、翌日、雑賀御坊に到着。それ以来、上人が貝塚に移る天正十一年七月四日までの三年有余、ここが一宗の本山となりました。

そんな由緒ある鷺森別院で、いろいろなイベントが開催されました。

鉄砲演武に講演会、たくさんの人に孫一鍋がふるまわれる中、ゆるキャラサミットが開催されました。
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こちらは、雑賀孫市「まごりん」です。

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くしたん・よしむねくん・きいちゃん黒ハート

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くしたんの後ろには、わかぱんとキノピー。

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たけのこマンでした。

他にもくまもん・ともちか君・だるだるが来てくれました。るんるん

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ラベル:孫市まつり
posted by ちゃーちゃん at 13:20| Comment(0) | 和歌山探訪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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