2012年03月09日

忘れ去られた維新の立役者〜小松帯刀〜

THEナンバー2・忘れ去られた維新の立役者〜小松帯刀〜です。
幕末 維新の暗号 [単行本] / 加治 将一 (著); 祥伝社 (刊)
幕末 維新の暗号 [単行本] / 加治 将一 (著); 祥伝社 (刊)
幕末から明治にかけて、政治をリードした薩摩藩。
その11代藩主島津斉彬は、富国強兵を推し進め、日本最初の近代様式産業群、集成館事業を起こしました。

そこでは、大砲を製造・西洋式軍艦を製造・・・それは、日本を欧米列強の植民地化を防ぐための軍事力の強化を勧め、独立を図るためでした。

この意思を受け継いで、明治維新をやってのけたのが、西郷隆盛と大久保利通など、薩摩隼人でした。

しかし、彼らに勝るとも劣らない活躍をしたのに、忘れ去られた人物。それが、薩摩藩家老小松帯刀です。
帯刀は、27歳で薩摩藩家老に就任。幕末の薩摩藩を背負って立ちます。

しかし、多くの功績を残しながらも忘れ去られた人・・・それが小松帯刀なのです。


小松帯刀の魅力、それは、温和でソフト、いろいろな人と交わることのできる器量がありました。
斉彬にNo,2として見いだされた小松帯刀ですが・・・。

1840〜42年アヘン戦争で清がイギリスに完敗します。斉彬は、日本も直に植民地化されるという驚異を抱きました。というのも、琉球を抱える薩摩にとっては他人事ではなかったのです。

1851年集成館事業に着手。
西洋文献をもとに反射炉を作ります。反射炉とは、鉄を精錬するための炉の事で、自前で大砲や砲弾、軍艦が作れるということです。

製鉄や造船、軍事部門に目が行きがちですが、斉彬がやりたかったのは、民生の安定でした。
紡績業・ガラス製造(薩摩切子)・印刷業・製薬業・・・。あらゆる事業の分野で産業を起こし、内から強くしていこうと思っていました。


1853年黒船来航。
これを打開するための斉彬の主張は、公武合体。

斉彬は、西洋文化に関心を抱き、開国を幕府に提言していました。
この斉彬、父・斉興には嫌われていました。

この斉興の跡継ぎを巡って、「お由良騒動」がありました。
お由良は、斉興の側室で、嫡男・斉彬派と、お由良の子・久光派が対立します。
この騒動で、斉彬が勝ったものの、上層部はみな久光派・・・。
排除したら、上司になれる人が居なくなっていました。
必然的に若い人が・・・。

幕藩体制の強化を図ろうとします。

一門の篤姫を養女とし、御摂家筆頭近衛家の養女としたうえで、13代家定の御台所とします。
さらに、西郷・大久保などの下士階級からも抜擢します。

帯刀は、もともと肝付家(薩摩藩門閥・かつては大隅国戦国大名)の三男として生まれたのですが、斉彬に聡明さを見込まれ、1856年21歳で小松家の婿養子になり家督を継承します。
この小松家は、薩摩吉利を領しており、28代当主小松 清猷は、琉球守護役も務めた由緒ある家柄です。


しかし、斉彬は死去。幸いにも久光からも重用されます。

1862年生麦事件発生。これをきっかけに・・・
1863年薩英戦争が勃発します。この薩英戦争、1日半で終わるのですが、その戦後処理をしたのが帯刀でした。

攘夷の国論の中で、薩摩側の賠償金の支払いはNG。だから、薩摩がイギリスの船を買うということで、決着させます。これは、グラバーのもと行われました。

通訳を務めたアーネスト・サトウは・・・。
「小松は、私の知る日本人の中で、一番魅力のある人物だ。
 政治的才能があり、態度が優れており、友情に厚い、傑出した人物である。」
と言っています。

この生麦事件、いきなり交渉したわけではなく、生麦事件以前にイギリスとのルートが出来ていました。だから、交渉も上手くいったのです。

1863年八月十八日の政変が起こります。
会津・薩摩を中心とした公武合体派が、長州を主とする尊王攘夷派を京都から追放した事件です。この時、会津と薩摩に助けを求めたのが孝明天皇、尊王攘夷を唱える岩倉以下7人の公家が追放されました。これを、七卿落ちと言います。

7人の公家が長州へと逃れます。この事件が、明治維新へと大きく展開していくのですが・・・。

1864年禁門の変で長州が挙兵します。蛤御門へ・・・。
この時、嵐山にある長州の屯所天龍寺を攻めたのは小松帯刀、激戦の末に勝利します。

この天竜寺で、兵糧米五百俵を発見します。
薩摩から兵を連れてきていたので、のどから手が出るほど欲しかった兵糧米。
しかし、禁門の変で京との多くの人が焼け出され3万人が被災していたので、この人たちに分け与えます。そのことで、京都の人を味方につけるのです。
お金の使い方がとってもうまい帯刀です。

池田屋事件では、神戸の操練所の学生が参加していたということで、操練所が閉鎖。勝に頼まれた西郷が小松に頼み、大阪の薩摩藩邸に坂本たちを預かります。
坂本たちを預かっただけではなく、薩摩に連れて行き集成館事業を見せ、一緒に長崎へ・・・。

1865年亀山社中の結成。小松が行政としての補助金をだし、日本茶の海外輸出で財を成した大浦お慶が民間人のパトロンとなったのでお金の心配もなく、龍馬たちは活動できました。

1865年7月21日、長崎の薩摩藩邸にいた帯刀の元に、伊藤俊介(博文)と井上門多がやってきます。
「薩摩名義で武器や艦船を買いたい」と。

当時長州は、幕府の厳しい目もあって、武器の調達がままならない状態でした。
また薩摩は、長引く京への派兵で米が底を尽いてきていました。

薩摩は米と引き換えに、この申し出を受けます。龍馬を仲立ちに、深まる両藩。。。

1865年 薩英密約・・・イギリスと密約を交わします。
     これで、武器、船を買うこと。19名の薩摩の人間を留学させることが約束されていました。
     この留学生には、帯刀の手駒・五代友厚や寺島宗則がいました。


1866年1月、西郷と桂の間で薩長同盟が結ばれます。薩長同盟とは、戦争になった時、中立を守ろうというものです。

この場所は、近衛家から拝領した京都・小松帯刀邸でした。
この薩長同盟も、龍馬が一人でやったのではなく・・・。地ならしはすでにしていました。
七卿落ちの時も、七卿の扱いに困った長州を見かねて、2年間太宰府天満宮にかくまいます。これは、西郷が手配したものでした。

1866年寺田屋事件
帯刀は、薩摩藩邸に龍馬をかくまいます。そして、薩摩藩邸へ・・・。その後龍馬は、お龍を伴って薩摩に。

1866年12月徳川慶喜将軍に就任。
改革をし、幕府の勢いが盛り返します。

1867年亀山社中は海援隊と改称。
しかし、船は座礁、運用権も取り上げられてしまいます。
この時資金を融通したのが帯刀で、龍馬は乙女姉やんに・・・
「薩州・小松帯刀申人は出しくれ
    神も仏もあるものにて御座候」

つまり、公私にわたる援助がなければ龍馬の活躍はなかったと言えます。

1867年6月薩摩は土佐と薩土盟約を結びます。主な内容は、大政奉還でした。

西郷や大久保は無理ならば討幕を・・・と考えていましたが、帯刀と龍馬は大政奉還に一縷の望みを懸けます。

「徳川も一大名として参加するのが平和的な国家変革だ。」小松は慶喜と密会し、信頼を得ます。

土佐藩は、関ヶ原以来の徳川恩顧の藩・・・。
慶喜は、土佐藩・後藤象二郎の大政奉還建白書をもとに、各藩の重臣を二条城に招集し、意見を聞きました。

薩摩代表は、勿論帯刀でした。

1867年10月14日大政奉還・・・無血革命でした。
これで、帯刀の思うほうに進むかにみえましたが・・・。帯刀病欠の小御所会議で一変します。

岩倉の天皇中心とする政治に西郷・大久保が支持。
「慶喜の官職辞任・徳川の領地返上」が決定します。
大どんでん返し。。。そう、大政復古の大号令です。
西郷の貌 [単行本] / 加治 将一 (著); 祥伝社 (刊)
西郷の貌 [単行本] / 加治 将一 (著); 祥伝社 (刊)
西郷や大久保が討幕したかったのは、討幕しなければ、セレブがセレブのままで行ってしまう。。。それでは、自分たちはトップになれない。
そこで、岩倉具視と画策したのです。
つまり、新政府に徳川家が入っていたら、革命は出来なかったのです。

その後薩長と幕府は、鳥羽伏見の戦い・戊辰戦争と、戦うことになります。
武力になっていくと、帯刀や龍馬は外されていきます。


これほどまでに幕末に影響を与えた小松帯刀・・・。
しかし、坂本龍馬も昭和の初めまで知られていませんでした。
2人は、無血開城派。新政府によって、歴史的に葬られたのでしょう。

支配者にとって、歴史の真実は問題ではありません。いかに自分に都合のいい歴史を造るか?ということなのです。

帯刀は、1869年薩摩藩の藩政改革に着手します。
    慶喜に領地の返上をさせた手前藩でも、私領返上、門閥打破、家格返上を行いました。

1870年7月17日、小松帯刀 病没。

歴史にもしもはありませんが、小御所会議に出席していたら、明治新政府は変わったものになっていたかあも知れません。

まさに、幻の宰相でした。

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posted by ちゃーちゃん at 20:39| Comment(0) | THE ナンバー2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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