本当の目的は特急くろしお287系に乗るためでしたが、時間があったので、市内にある「南方熊楠邸」「南方熊楠顕彰館」へ行ってきました。もともと和歌山でも、あまり有名な人ではなかったと思います。
私が初めて知ったのは、20年以上前の「知ってるつもり」というテレビでした。
地球環境に関心のでてきた最近では、有名ですよね。
![南方熊楠―森羅万象に挑んだ巨人 (別冊太陽 日本のこころ 192) [大型本] / 中瀬 喜陽 (著); 平凡社 (刊) 南方熊楠―森羅万象に挑んだ巨人 (別冊太陽 日本のこころ 192) [大型本] / 中瀬 喜陽 (著); 平凡社 (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51MF%2Bgn5RGL._SL160_.jpg)

「熊楠邸」と「顕彰館」は、閑静な住宅街の中にありました。なかなかモダンで立派な建物でした。
大正5年に弟名義で買ったこの家を、終生の生活の場としました。敷地面積400坪。楠・柿・蜜柑などが混然と生い茂る無造作な庭を日常の研究の場として大変気に入っていました。

こちらは家に入ってから作られた離れです。

近くで見るとこんな感じ。
この机で研究や筆写をしました。机の足は、熊楠の使い勝手の良いように切られ、斜めに傾いています。

この木は楠。
「予が現地に樟の樹あり。その下が快晴にも薄暗いばかり枝葉繁茂しおり、炎天にも熱からず、屋根もやい台風に損せず、急雨の節書斎から本宅へ走り往くを掩護す」と讃えた木です。名前の楠の一字があり、特別な愛着を抱いていました。
南方の名が冠された新種の粘菌「ミナカテラ・ロンギフィラ」の発見も、この庭にある柿の木でした。
隣にある「顕彰館」には、南方熊楠の頭脳であった約2万5000点に及ぶ資料が収蔵されています。
南方熊楠は、和歌山市に生まれ、東大予備門中退後、米英に遊学。
帰国後の明治37年から田辺に住み、内外の学者と交流しつつ、生物学・人文科学など多方面にわたって研究を続け注目を集めました。
特に、粘菌・菌類の研究、民俗学・宗教学に足跡を残し、現在で影響を与えています。
田辺では、海辺から山間まで精力的に採集・研究を行いました。熊楠が足を踏み入れなかった山や谷を探すのは難しいと言われるほどです。
田辺は口熊野とも呼ばれ、古くから栄えた土地でした。熊楠のお気に入りは、「神島」でした。が、ここは、むやみに上陸されても困ることから、保護に力を貸してくれる人か、特別な研究者以外は渡航を快しとしなかったと言われています。
この「神島」は・・・。
田辺湾に浮かぶ島で、熱帯・亜熱帯の植物が生息し、特に島に自生するハカマカズラやキシュウスゲは、貴重とされています。
明治45年5月保護林に編入され、昭和4年6月昭和天皇を迎えたことで昭和5年県の天然記念物を経て、昭和10年12月国の天然記念物に指定されました。
もっともっと、田辺は熊楠でいっぱいです。
是非行ってみてください。
和歌山県「南方熊楠」ゆかりの酒蔵より、限定400本醸造 純米吟醸 「南方」 無濾過生原酒180...
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