2012年03月07日

アラブ世界 変革のうねり

池上彰の現代史講義・第一集 DVD全9巻<分割払い>【smtb-S】
池上彰の現代史講義・第一集 DVD全9巻<分割払い>【smtb-S】
アラブ世界で最も独裁的な国家・シリア。その中で、体制打倒に立ち上がる人たちを取材したものでした。

町中ではデモが・・・。
治安部隊が制圧しますが、彼らが見えなくなると人々はすぐに戻ってきます。

シリア政府は、反政府運動を弾圧してきました。
3000人以上が殺害されました。アサド大統領は、外国メディアの自由な報道を禁じています。

「インサイド シリア」

中東のシリアでは、2011年3月以来、アサド政権に対する民衆のデモが続いています。
アサド大統領は、改革を行うとしつつ、徹底的に民衆を弾圧してきました。

国連によると弾圧の被害者は、2012年1月には5000人を大幅に超えるとされています。その中には小さな子供もたくさんいました。

アサド政権は、もはや正当性を失い、崩壊は免れないといわれる一方で、シリアが激しい内戦に陥り、周辺国が巻き込まれることが懸念されています。

2011年イギリスで作られた「弾圧の実態」という番組を紹介しています。

首都ダマスカス郊外で・・・。活動家に会います。
活動家は、若いビジネスマン。

今日も弾圧の犠牲者の埋葬があったようです。7人が撃たれたそうです。

デモ隊を終結させてダマスカスを行進しようとしています。が、治安部隊があちこちに配置されています。
また、政府への密告者も町にはたくさんいます。

ダマスカスでは、治安部隊がデモ隊に向けて毎日のように発砲しています。
軍に包囲された生活も3か月を迎えました。
政府は市民の生活を破壊し、子供たちを殺しています。

ドウマでは・・・。
14歳の少年が射殺されたことに対して抗議デモが行われていました。
周辺の住民が、窓からキャンディーを投げてきます。それは、「デモ隊を支持する」という意思表示なのです。

デモ参加者が、ロシアの国旗を燃やしています。
ロシアが現政権に支援していることに怒っているのです。

「国民は、大統領の処刑を望んでいる!!」

反政府デモを組織している人は、コーディネーターと呼ばれています。
その一人と会うことが出来ました。

かれは、残虐行為の証拠を集めています。
「この改革には犠牲が出ますが、最後の一人になっても、私たちは政府を倒すでしょう。」

彼はその映像を、定期的にインターネットにアップしています。

その映像の一つ・・・。
殉教者の葬儀のためにモスクに集まっていました・・・。
数百人がその死を悼んでいました。そこに治安部隊が発砲してきたのです。。。
逃げ惑う人々。
狙撃兵が撃ったのです。

2011年3月以降でも、この地区で50人が死亡。
被害にあったのは、デモ参加者だけではありません。

例えば印刷屋。
死者の名簿やデモ隊の掲げる横断幕を印刷したからという理由です。

この国で安全な人は一人もいません。

公然と政府を批判する人は、国内に広がっています。
何が彼らを突き動かしているのでしょうか?

反体制派グループの主な勢力の一つ「シリア革命総合委員会」(SRGC)のメンバーに会うことに・・・。

マダヤで。。。
到着した2時間後に軍がマダヤを包囲しました。3人の活動家は怯えています。彼らは指名手配中なのです。

彼らの主張は。。。
「シリアは豊かで美しく、戦略的に重要な国ですが、アサド家が国を独り占めにし、国民の血を吸っています。」

「ここには一切の自由がありません。シリアではバース党が全てを支配しています。個人までもです。」

活動家たちは、「アラブの春」に触発されて、現体制の打倒活動に邁進してます。
デモを組織し、映像をインターネットで公開しています。
いつ治安部隊に踏み込まれるかもわからない生活をしているのです。


今日はこの町で数十人捕まりました。

政府の武力弾圧によって、シリア全土で1万人もの死者や、負傷者が出たと彼らは主張しています。
もはや、病院で手当てを受けるのも危険なため、国中に秘密の診療所があります。

反体制派の医師によると・・・。
病院では、治安部隊の人間が患者を殴っています。そして、連れて行くのだそうです。

意思もまた標的になっています。
負傷者の手当てをした多くの医者が、逮捕されました。
殺害された医者もいます。

医師によると、このような秘密の診療所に収容されたデモ負傷者は、数百人がいるそうです。



軍から離脱する兵士もいます。

離脱した兵士は、数千人に上るといわれています。
離脱したのは、デモ隊への発砲を強要されたからです。
「子供たちを殺し、かまわず家に踏み込め!!」と。

拒否すれば自分が撃たれたでしょう。命令に背けば、民兵や治安部隊やアサドの私兵に撃たれるのです。
デモ隊への発砲を拒んだ仲間は、狙撃兵に頭を撃たれました。。。

離脱兵たちも集まって、政府に対抗しようとしています。
「革命を起こしたいんです!!」

シリア政府は、武装したテロリストが陰で暴動を引き起こし、2011年3月以降治安部隊の隊員700人が死亡したと発表しています。また、市民に危害を加えることは禁じていると主張しています。

しかしその実態は・・・。


マダヤでは、またデモが・・・。
アサド政権の終焉を求めています。
彼等は、どんなに弾圧されても革命を起こすと主張します。

まだまだ犠牲が払われることは間違いありません。


親子二代にわたり、40年もの間権力を独占してきたアサド政権とは・・・?
人口の1割に過ぎないイスラム教・アラウィ派に属するアサド大統領が、圧倒的なスンニ派であるシリアをどのように支配してきたのでしょうか?

もしも内戦になった場合、恐ろしいことになるのでなないでしょうか?

また、イスラエル・イラク・ヨルダン・レバノン・トルコという5か国と国境を接し、イランとは事実上の同盟関係にあるシリア。地理的なシリアの重要性が、今後を左右します。

次は、アメリカが2011年に製作した「アサド家・独裁の系譜」です。

国民をこれだけ弾圧できるのは、どんな指導者なのでしょうか?
そうして、シリアで行われていることの重要性はどこにあるのでしょうか?

シリアの反政府デモは、中東のデモの中でも最も重要視しなければなりません。
シリアは欧米と敵対するイランと事実上の同盟国にあるからです。

そして、イスラエルやトルコはシリアと国境を接するこの地域の要です。
この国がなくなったら、中東は大混乱を招くことになるでしょう。

全ては、ダマスカスから100キロ南の町。農業の町、ダラアから始まりました。
2011年3月6日、学校の壁に落書が・・・
「自由 自由を!」
「腐敗したアサドを倒せ!!」

テレビでは「アラブの春」が報道されていました。
少年たちがそれを見聞きして書いたのです。

彼らは秘密警察ムハバラートによって拘束されました。
父親たちは、アサド大統領のいとこである治安責任者を訪ねて、子供たちの釈放を懇願します。
「子供たちの事を忘れろ。家に帰って子供をつくれ。」と、言ったそうです。
「もう子供をつくれる年ではない。」というと、
「妻を連れて来れば、我々が子供をつくってやろう。」と言ったとか。。。

少年の一人は殺害されたと推測されます。
この映像は、インターネットに流されました。

このことで、国民が立ち上がったのです。弾圧と拷問が、この町を立ち上がらせたのです。
反政府運動に弾みがつきました。

大規模なデモが起きましたが、武力によって情け容赦なく弾圧されました。
そこからまた、デモが広がっていったのです。

多くのシリア人が、アサド大統領が仲裁に入ると信じていました。
ですが、その期待は裏切られます。

その瞬間から、国民は大統領に背を向けました。

アサド家は、40年にわたってシリアを統治してきました。
シリアのイスラム教多数派スンニ派から、長年迫害されてきたアラウィ派に属しています。
アラウィ派は、ユダヤ教徒やキリスト教徒よりもたちが悪い・・・。と。

ハーフェズ・アサドは、軍隊で権力を握りました。フランスの植民地下でアラウィ派が力関係を逆転させます。若きハーフェズは、社会主義を掲げるバース党のホープでもありました。

40歳でクーデターを起こし、大統領の座につきます。信頼する親族を要職につけます。
弟に治安部門・いとこに金融部門・妻の親族を軍事部門に・・・。
一族で国を支配しました。
バース党は、あらゆる勢力を抑え込みます。
また、ソビエトからたくさんの援助を受けます。

しかし、1979年イランで革命が起こります。
1979年にパーレビ国王は、ホメイニ師によってイスラム国家になりました。
中東ではイスラム原理主義者が台頭してきます。

シリアでも体制転覆を図ろうとする動きが出てきます・・・。
ムスリム同胞団の拠点・ハマ。ここが、アサド政権の標的となります。

1982年シリア政府の虐殺が始まります。
町の大部分が破壊され、1万人以上が殺害されました。破壊されつくした町。。。

アラウィ派が支配する政権。。。「我々に逆らうことは許さない」
これによって、2011年まで、スンニ派による反政府運動はほとんど起こりませんでした。
「ハマのルール」です。

「アラブの春」以後のハマでも抗議行動が。。。しかし、「父のように、断固として反乱を鎮圧する!!」という考えは変わっていません。

バッシャール・アサドは、戦車と装甲車、狙撃兵を送り込みます。

これが、国内の脅威に対するアサド親子の方針です。
どんな反乱も冷酷に対処します。

バッシャールは、後継者になる予定ではありませんでした。
後継者であった兄は、自動車事故で亡くなるのです。
帰国して、共和国防衛隊にはいりレバノンに。大統領に就任する日に備えました。
父親は重病だったので、近々バッシャールが大統領となるのは周知の事実でした。

バッシャールは2000年7月に大統領に就任。改革を約束します。妻はおしゃれなイギリス生まれの女性。金融業界で働いていました。

インターネットが解禁され、海外旅行も自由化しつつありました。国民は期待したのです。
近代化を図ることで、国民の支持を得ようとしました。

この政策は「ダマスカスの春」と言われました。
政治改革も約束しました。町の中では、政治に対する意見を堂々と言えるようになったのです。
2003年〜2004年には、健全な討論が行われていました。

バッシャールは改革者なのでしょうか?

しかし、政権内の保守派は、「ダマスカスの春」に不安を抱いていました。
政治改革を止めなければ、体制が崩壊すると主張しました。

保守派や高官は、自分たちに危害が及ぶことを怖れました。。。
いきなり弾圧が始まり、権威主義が復活します。

2005年数百人の活動家や知識人が逮捕され、ダマスカスの春は終わります。
シリアは干ばつに見舞われ・・・。

2011年チュニジアで反政府運動が盛り上がり独裁者が失脚。エジプトでも・・・。アラブの春が飛び火しそうです。
しかし、シリアの強固な弾圧の前には・・・。成功するのでしょうか?

アサド大統領は演説します。
反政府運動は、外国の陰謀であると非難しました。
政権側も大規模な集会を行います。上流階級のスンニ派です。

今のところ、バッシャールは政権の座についています。
そして、シリア政府は勝ったと思っています。

しかし、反対派は、それを承認していません。
周りの国は、シリアが内戦に陥り、それが自国に影響を及ぼさないか心配しています。

反政府運動が始まったころには、大きな希望がありました。
しかし、今見えてくるのは、アラブの革命の危険な裏側です。
周辺国に波紋が及ぶことは誰もが覚悟しているのです。

シリアは、中東の火薬庫の真ん中にいます。
この事態の終わりは、今も全く見えていません。。。


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posted by ちゃーちゃん at 13:26| Comment(0) | テレビ番組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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