2012年02月13日

聖徳太子は実在したのか?〜続き〜

金曜日の続きです・・・。あせあせ(飛び散る汗)
聖徳太子 [DVD] / 本木雅弘, ソル・ギョング, 中谷美紀, 柄本明, 近藤正臣 (出演)
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なぜ蘇我氏は排除されなければならなかったのでしょうか?

日本書紀「皇極紀」には、
「蘇我氏は甘樫丘に大邸宅を築き、「宮門」(王の住まい)と呼んだ。蘇我入鹿は野望を抱き、自ら天皇になろうとした。」・・・逆賊であると、記されています。

しかし、これにも疑問符が付くのです。

2007年、甘樫丘の発掘調査で、邸宅跡が発見されました。そこにあったのは、わずか10坪の部屋ばかりでした。大邸宅ではなかったのです。
この、皇極紀の記載も、加筆されたかのように、文章のくせが違うのです。

加筆で脚光を浴びたのは、天皇を頂点とするために行った乙巳の変の主導者、中大兄皇子と中臣鎌足です。この二人が行ったクーデターが、正義のクーデターであるためには、蘇我本宗家、特に入鹿が極悪非道でなければならなかったのです。

これと同じ加筆者が、厩戸皇子についても加筆している可能性があるのです。

587年「崇峻紀」より・・・
「味方の軍勢が、今にも破れそうになると、厩戸皇子は仏教の守護神、四天王に祈願し、勝利を呼び込んだ。」=聖徳太子を奇跡の英雄として持ち上げたのです。

「日本書紀」の最終段階で、聖人君子として特別な人間として描こうとしたきらいがあるのです。


それが、万能の英雄の誕生でした。

大化の改新の目標、正当性を集合代名詞である「聖徳太子」に託したのかもしれません。

中国の司馬遷の「史記」に代表されるのは、物語として読ませるために、作り話が入っているということ。
記述には・・・
帝紀・・・皇帝に関する出来事を年ごとに記述
列伝・・・個々の人物の一生を記述したもの
この2つがあって、これが合わさって歴史書となっています。

でも、なぜ中大兄皇子と中臣鎌足が英雄ではないのでしょう?

聖徳太子の制度は、1世紀後に律令制として国家ができたことによって完成されました。
つまり、聖徳太子の業績は、100年後に花開いたのです。

厩戸皇子は、権力争いから身を引いたにもかかわらず、子孫は蘇我氏によって滅ぼされています。
厩戸皇子は、日本史の悲劇のヒーローの先駆者でした。

居たという証明は、今となっては難しいですが、その信仰は、まぎれもなく今現在も残っています。
聖徳太子は、良い国をつくろうという日本人の象徴として生きてきたのかもしれません。

その力は、日本史にとって絶大です。


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posted by ちゃーちゃん at 13:15| Comment(0) | BS歴史館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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