

第二回 東西冷戦とベルリンの壁崩壊です。
ベルリンの壁崩壊は1989年のこと。私は、大学生でしたが、歴史的大事件に立ち会っているという気になった事件でした。こんな風に、日々のニュースが、歴史となっていきます。
東西冷戦とは、本当に戦争をしたわけではありません。
イギリスを世界の中心に見た地図で、世界が、東側(ソ連・中国)と西側(米・英)に分かれ、対立したという、冷たい戦争のことです。
1946年、イギリスの元首相チャーチルが、アメリカの大学で講演をしました。
「連合国軍の勝利は、影に覆われた。バルト海のシュテッテンからアドリア海のトリエステまで、ヨーロッパ大陸を分断する「鉄のカーテン」が降ろされたと。
当時は、何があったのでしょうか?
第二次世界大戦は、連合国が枢軸国と戦って、連合国が勝ちました。その、連合国のソ連が、東ヨーロッパを占領してしまいます。西側に、ニュースが全く来なくなってしまいました。そのことを比喩して「鉄のカーテン」と言ったのです。
そして、ソ連と東ヨーロッパ・共産圏と、英米が、対立していったのです。
その後、中華人民共和国も、情報が出て来なくなってしまいました。この時は、中國ということもあって、「竹のカーテン」と、言われました。
第二次世界大戦時、ドイツ帝国が連戦連勝し、ヨーロッパの全てを占領していましたが・・・。西では亡命していたフランス・イギリス政権が、ノルマンディー上陸作戦を決行。東ではドイツVSソ連。一時はモスクワ近郊まで行きましたが、スターリングラードで敗戦、その後連敗が続きます。ドイツは、戦場を広げすぎたために負たのです。
東からはソ連が、西からは仏英米が・・・。この戦争は、ヒトラーの自殺で幕を閉じました。
1945年ヤルタ会談。このヤルタは、ウクライナ・国会近辺にあります。ここで、英米ソで、戦後のヨーロッパの分割を行います。ソ連でやったのは、スターリンが飛行機嫌いであったためで、チャーチルとフランクリン・ルーズベルトが呼び寄せられたのです。
その結果・・・。
それぞれの国で、住民たちが自由に選挙をして代表を決めることになります。
しかし、ソ連は、ドイツ軍のせいで大打撃を受けたトラウマから、国境に敏感になっていました。自分の周りには、自分の言うことを聞く国を置いておきたい!!・・・と。
東ヨーロッパの国々は、ソ連が選んだ人たちが、政府要人となっていきます。自由な選挙をしたのは、チェコスロバキアだけでした。が、それも、共産党のクーデターでソ連寄りとなります。報道の自由、言論の自由がなくなってしまいました。
ベルリンの壁は、東ドイツと西ドイツの間にあったわけではありません。東ドイツと西ドイツは、もともとアメリカ軍とソ連軍が、分け目となるエルベ川で合流して称えあった(1945年4月25日エルベの誓い)結果、その川で分けられたものです。
そうして、連合国の中のソ連が一人だけ違う方向へと向かっていったのです。
ちなみに、日本も分割されていたかもしれません。ソ連は、北海道の北半分が欲しいといっていたからです。これをはねのけた連合国軍は、結局、中国・四国はイギリス・オーストラリア・ニュージーランドが、それ以外はアメリカが占領したのです。
日本は、統一を保ったまま独立することができましたが、もしかしたら壁ができていたかもしれません。
首都ベルリンも二つに分割されました。東ベルリンはソ連、西ベルリンはフランス・イギリス・アメリカが三分割して統治しました。つまり、もともとは、4つに分割されていたのです。
ドイツ人の自由な国を作ろう!!」このことが、東西の対立の始まりでした。
市民による市議会議員選挙が行われ、市長が選ばれます。が、ソ連は認めませんでした。なので、この人は、西ベルリン市長となります。
ソ連は、ドイツ軍によって、2634万人も犠牲になっていました。だから、東ドイツの財産・施設を取り上げます。印刷機も押さえて、マルク紙幣を大量に作りました。そのお金で、ソ連の必要とするものを購入しました。資産のないまま・・・。当然、インフレが起きます。このことに、西側が反発します。
1948年西ドイツ独自のマルク通貨を発行。そのことにソ連が怒ります。ベルリンは東ドイツの中にあります。ベルリン封鎖が行われました。
鉄道・道路・河川・アウトバーン、空路を除いてすべての交通手段をシャットダウン、西ベルリンに行けないようにしてしまいました。そこには市民225万人が住んでいました。食料がなくなってきます。
アメリカが西ベルリンを救おうと、「空の架け橋作戦」を実行します。輸送機に食料・水・ありとあらゆる生活物資を送りました。その数は、1分間に1機ずつ着陸し、犠牲者もたくさん出ました。
そのせいで、ソ連の封鎖はうまくいきません。おまけに人道的にも批判され、11か月後には封鎖は解かれました。
1949年9月ドイツ連邦共和国(西ドイツ)
ドイツ民主共和国(東ドイツ)ができます。ドイツが、二つに分割された瞬間でした。
社会主義の国は、農業の集団化を行います。
なぜなら、資本家を追放し、労働者(プロレタリアート)の国にすることが目的です。
生産手段を持っているものから、すべてを取り上げ、国家のものにします。
ソ連も中国も企業はすべて国有化、共産党が統治します。何も持たない労働者が、すべてを握るのです。
東側の農業は・・・農家は農地・農機具を持っている、そのことが生産手段を持っていると判断され、プロレタリアートではないとスターリンは考えたのです。
農業も国営化、農民は、土地を奪われます。自分のものではなく、全人民のものになってしまいました。農民は、サラリーマンとなってしまいました。しかし、農業は、自然が相手、サラリーマン(9時5時)ではできません。これが、慢性的な食糧危機を招きました。
西ドイツも、国営農業化、中小企業の経営者も国営の会社となります。そのことに不満を持ち、多くの東ドイツの人々は絶望します。
西側に逃げ出したいが、国境があって無理だ・・・。「ベルリンに逃げ込もう!!」と、東ベルリンから西ベルリンに、人が逃げ始めました。そこで、ベルリンの壁を作ったのです。
1961年ベルリンの壁の建設が始まります。はじめは鉄条網でした。東ベルリン市民は、命がけで脱出するようになります。そこで、コンクリートの壁が45キロにわたって作られたのです。国境の壁は、他国が攻めてこないようにするために作るものですが、この壁は、自国民が逃げ出さないようにするための壁。西ベルリンをぐるっと囲んでしまうほどの壁でした。
悲しい歴史の1ページの始まりでした。358万人が脱出をはかり、239人が犠牲となりました。
しかし、行き来するポイントはありました。(サイボーグ009で、ハインリヒが脱出したゲートかしら?)
チェックポイント・チャーリーといわれる東西ベルリンを陸路で行き来できた検問所です。外交官や外国人専用の東西の通路です。ここも、逃げようとする人が、車の中に潜んで脱出を図ったりしていました。
他にも、飛行機・気球、アリとあらゆる工夫をして逃げようとしました。
1963年の西ベルリン、東西対立の象徴となっていたベルリンの壁の前で、ケネディ大統領が市民に演説をしました。
「これほど強い意志を持ち続けている街は西ベルリンをおいて他に知りません。自由世界において、誇りを持って言えることがある。「私もベルリン市民だ!」」
東西が分断されている、このような非人道的なことはいけない、私たちも同じ思いを共有している仲間である。と、演説したのです。
これに対し、2001年9月11日、同時多発テロの追悼集会がベルリンで行われたとき、「私たちもアメリカ市民だ」という看板が上がりました。
1987年レーガン大統領が、またもや西ベルリンで演説をします。
「ゴルバチョフ書記長、もし、あなたが平和を望んでいるなら、
ソ連邦と東ヨーロッパの繁栄を求めているなら、
もしあなたが、自由化の道を歩むなら、
この門まで来てください。
ゴルバチョフ書記長、この門を開けてください。
この壁を壊してください。」
東ドイツであっても、ソ連の忠実な僕でした。だから、親玉ゴルバチョフに語りかけたのです。
こんな非常事態は、いつまでも続きませんでした。
農業生産は落ち、工業生産も落ち、次第に経済力に差が出てきます。
東と西でどれだけ差があったのでしょうか?
西ドイツが生産した自動車は、世界に誇るベンツ・アウディ・BMWと、トップクラス。
東ドイツは、昔と同じ「トラバント」を作っていました。小っちゃくっておんぼろで、部品が段ボールで作られていたものもありました。
同じ国民が作ったとは到底思えませんでした。
その昔、1956年のハンガリー動乱の時は、ソ連軍が戦車で無差別攻撃、1968年チェコのプラハの春の介入では、ワルシャワ条約機構軍20万で押さえつけたソ連軍、ソ連から離れようとすると弾圧されていました。ハンガリー動乱では、20万人が亡命しました。
ゴルバチョフは、ソ連の立て直しをしようと思っていました。しかし、昔のように、東ヨーロッパまでは手が回りませんでした。
そこで、「それぞれの国の意思で、民主主義になるのは構わない」と、発表。
アメリカではこれを、「シナトラ・ドクトリー」(マイウェイだから)と呼びます。
自分たちで独立しても、ソ連軍の介入はないかも?
まず、1989年8月、もともと民主化が進んでいたハンガリーが自由化を進めます。
オーストリアとの間に鉄条網があるのはおかしい!!恥ずかしい!!なくすべきだと、撤去しました。やっと、自由への扉が開かれました。これが、ベルリンの壁崩壊へとつながるのです。
当時、東ヨーロッパは、ソ連圏なので出国ビザがあれば東ヨーロッパ内はどこでも行けました。ハンガリーに行けば、オーストリアに行ける!!と、東ドイツ→チェコ→ハンガリー→オーストリアにある西ドイツ大使館に駆け込みました。
東ドイツの人たちが、西ドイツに逃げていくようになります。
東ドイツは、焦ってチェコに行くことを禁止、出国ビザを出さなくなりました。共産党に対し、東ドイツ各地で反政府デモが続出、国内が、騒乱状態になってしまいました。
東ドイツは、国として、出国を認めざるを得なくなりました。
テレビ放送でこれを告げましたが、市民は誰も動きません。だって、本当のことを言わないから。それを傍受した西ドイツ側が、西ベルリンで放送。それをこそっと聞いていた東ベルリン市民が、壁に殺到、壁を壊し始めたのです。
1989年11月9日深夜、自由を求める市民によって、ベルリンの壁は壊されました。
ここに至るまでは、東西冷戦が続いていました。
「鉄のカーテン」を引いたソ連とどう付き合うのか・・・。
1946年モスクワ代理大使ジョージ・ケナンが分析しています。
「ソ連とは同盟国になりえないが、妥協をすればするほどつけ入る。こちらが強硬に捨て場、妥協するだろう。長期にわたって封じ込め、圧力をかけていけば、内部崩壊するだろう。」と。
ケナンは、その後この分析が評価され、国務省・政策企画室長となって、世界戦略に携わります。
広大なソ連を、アメリカの同盟国によって、封じ込めなければ・・・。封じ込め政策です。
東西冷戦の始まりを受けて、トルーマンが、「トルーマンドクトリン」アメリカの国際戦略を発表。世界は、悪の巣窟・共産・社会主義を選ぶのか、正義・自由主義を選ぶのか?2つに分けて戦う!
このことを、ウォルター・リップマンが、「冷たい戦争」と本を書きます。
核を持ってしまった今、今更戦争をすることはできない。
しかし、周辺の国では、戦争が起きました。
朝鮮戦争
ベトナム戦争
イエメン戦争
さまざまな国で、大国はしない代理戦争が行われました。
アメリカの封じ込めに対する対抗策として、
1947年ソ連は、「コミュンホルム(共産党・労働者党・情報局)」を作ります。
これは、我々も組んで対抗しよう!!と、西側にある共産党に対して、支持が出されました。
アメリカはこれを、資本主義の内部から、「赤化」しようとしているのではないか?と、神経をとがらせます。
軍事的な対立では・・・。
1949年 NATO北大西洋条約機構・西ヨーロッパの国々が、ソ連に攻撃されるとやられてしまう!!仲間の国が攻撃されたとき、自国が攻撃されたのと同じように戦おうという、集団的自衛権を持つ、安全保障体制が出来上がります。一緒にソ連に備えよう!!
これに対し1955年 ワルシャワ条約機構でソ連が対抗します。実態はソ連軍でしたが。
世界が激しく対立します。しかし、両方の国が衝突して戦うことはなくなります。このワルシャワ条約機構、ソ連の崩壊と同時になくなります。
他の国は、NATOに入ることになります。
冷戦のために作ったNATO軍。冷戦では1発の弾を撃つことなく・・・。その後、ユーゴスラビアに介入し、軍事攻撃をすることになります。また、リビアに介入し、カダフィに対して攻撃をしました。
これが、東西の冷戦と、ベルリンの壁崩壊の歴史です。
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(「日々のニュースや、私たちが生きている現代のさまざまな出来事を理解するためには、その少し前の歴史を知る必要があるのです」(「はじめに」より)。本書は NHK「週刊こどもニュース」キャスターの池上彰が、大学生、新社会人に向けて第二次世界大戦後の歴史をやさしく解説した「現代史の入門書」だ。ただし入門書とあなどることなかれ。「中国と台湾はなぜ対立する?」「イスラエルが生まれ、戦争が始まった」「『ひとつのヨーロッパ』への夢」など、今日のニュースの背景を解く全18章は、「今さら人に聞けない」社会人にとっても救いの連続である。大戦後に生じた数々の争いを陰で操る大国、核戦争の縁に立った人類の危機…。現代史ゆえに、当時の軍事作戦が詳細かつ正確に記述されていたり、当事者の語った言葉そのものが書かれている点も興味深い。 <p> 高校の歴史の先生を思い出させるわかりやすい語り口に加え、数多くの報道写真と図説で視覚に訴える作りは、まさにニュース・キャスターならでは。小見出しを多用したコンパクトな文章、人物や用語解説のミニコラムも便利。ただし地図に関しては、必要以上に大きかったり、不要と思われるものもあるなど工夫がほしいところだ。巻末の「もっと知りたい人のために」では、役立つ本やビデオが豊富に紹介されている。単なる専門書の羅列ではなく、おすすめスパイ小説、自伝、戦争取材ものなど、各章に関連してジャンルにこだわった選がうれしい。(岸田晴子))
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