2012年01月19日

幕末維新前夜のナンバー2〜坂本龍馬〜

幕末維新前夜のナンバー2〜坂本龍馬〜です。

幕末の龍馬は、時代のナンバー2として奔走しました。

1853年黒船が来航。アメリカ・イギリス・フランス・オランダが開国せよと圧力をかけてきました。
 54年日米和親条約締結
 64年禁門の変

尊王攘夷に包まれていた時代でした。

「日本を今一度洗濯いたし申候」

龍馬も日本を変えたいと土佐を飛び出します。

勝海舟に学び、No,2として成長、西郷と桂の間に薩長同盟を成立させます。

また、山内容堂・後藤象二郎と組んで、無血開城、大政奉還の立役者となります。しかし、志半ばで暗殺。

龍馬の描いた日本の未来とは?

坂本龍馬、日本人なら誰もが知っていて、大好きですが、少し前までは誰も知りませんでした。
その人気は・・・ご存じ「竜馬がゆく」、司馬遼太郎さんの小説によって火がついたのです。

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その実像は、掴み難く、しかし、吸収意欲が旺盛で、垣根を越えて人と付き合える人物であったことには違いないようです。

身分制度の厳しい時代、どうしてフリーに動けたのでしょうか?それは、隠密(諜報活動)に従事した下級武士だったから?脱藩浪士は普通は貧乏で、長屋で傘の内職をしているというのです。

龍馬にはNo,2のイメージはありませんが、いろんなグループのNo,1と付き合いがありました。

その中でも一番影響力があったのが、勝海舟です。

1835年今の高知県土佐藩、下級武士の子として生まれ、幼少は、落ちこぼれで弱虫でした。19歳で江戸へ剣術修行に行き、今の時代は剣術よりも大砲だ!!ということに気づくのです。

1853年黒船来航によりあっさり開国。砲術を学び、河田小龍の下で学び、ジョン万次郎を調査、アメリカの民主主義・身分差別のない世界にびっくりします。日本も平等な国に・・・。

1862年脱藩して勝の元へ。勝は、海軍を作って貿易し、商売をしようとしていました。世界の7割は海。龍馬は勝に弟子入りします。

1864年幕府は神戸海軍操練所
      神戸海軍塾を開設、龍馬は塾頭にまでなります。

「日本を今一度洗濯いたし申候」

しかし、勝に紹介したのは松平春嶽でした。福井の殿様が龍馬を紹介するというのは不思議?やはり、山内容堂が松平春嶽にお願いしたのではないか?と思われるのです。

勝は謎の人物です。

5年間の長崎生活で、後の人生の人間関係を作り上げました。特に、長崎の豪商・小曾根英四郎は、土佐海援隊誕生を支援しています。また、松平春嶽を通じて島津斉彬・グラバーなど、ほとんどの人脈を築いたのです。

この操練所、兵士を訓練するための施設で、これからは海軍だ!!と、下級武士を集めます。しかし、禁門の変に操練所の学生が入っていたとされ、閉校となります。

その時、すでに薩長同盟の下地は勝が作っていました。

その後、龍馬は、西郷隆盛が面倒を見ることになります。長崎には出島があり、龍馬は日本初の貿易商社亀山社中を作ります。蒸気船のお金を用立てたのは、西郷でした。
西郷に認められた龍馬。薩長同盟の成立に向けて奔走します。

薩摩と長州、どちらも討幕派、しかし、憎い敵同士・・・。

長州が第二次長州征伐に向けて武器が必要となります。そこで、龍馬は、武器を以て手を結ばせるのです。こう書くと、なんか、死の商人みたい・・・。たらーっ(汗)

薩長名義で購入した7000丁の銃と軍艦1隻を、亀山社中を通して長州が買うというもの。三角貿易です。

1866年1月22日会談し、薩長同盟成立。討幕へと舵が切られます。

下級武士の龍馬が、藩のTOPと会えたり、武器を購入できたのは、武器商人・グラバーのおかげです。グラバーのバックにはイギリスがついているし、薩摩藩の軍事顧問のような存在でした。そんなグラバーのNo,2だったのです。

つまり、亀山社中は、グラバー紹介と銃器の取引を開始するペーパーカンパニーだったというのです。言わずもがなですが、この二人を引き合わせたのも勝海舟です。

龍馬の考えた武器なき討幕。

龍馬は、平和による討幕を望んでいました。そこで、土佐藩の力を借りようとしました。山内容堂・後藤象二郎とは対立していた龍馬、大政奉還を話し合い、その方向で話は進んでいきます。

亀山社中は、土佐藩お抱えの海援隊となります。龍馬の示した「船中八策」、これを案にして山内容堂が将軍へ・・・。

1867年10月14日徳川慶喜・大政奉還を行い、天皇を中心とする政治に・・・。
しかし、岩倉具視は快く思っていませんでした。
西郷・桂をけしかけ「討幕の密勅」を。。。これは、薩長に密かに手渡された慶喜追討の勅書です。これは、偽勅という説もあります。

これを持ち、錦の御旗、官軍として戊辰戦争に突入するのです。実のところ、どちらも官軍だったのに・・・。

武力討伐を防ごうとする龍馬。

1867年11月15日33歳の誕生日でした。
    近江屋で、中岡晋太郎と一緒のところを急襲され、龍馬は即死、晋太郎は2日後に亡くなりました。

その犯人は、新選組・見廻り組(今井信郎)とか。。。真相はわからずですが・・・。

新説として・・・。

加治将一さんの「竜馬の黒幕」という本には、中岡晋太郎が実行犯となっています。中岡が実行犯で、黒幕は岩倉具視というものです。

@まず、龍馬が正面から一太刀の即死というのは、顔見知りの犯行でしかありえないということ
A龍馬が一太刀なのに、中岡が27太刀というのはおかしいということ
B中岡が岩倉具視と会っていて、その時に密命をおびているのかも?

ということなのですが、どうでしょう?

その説では、やはり、岩倉や大久保は武力討伐して、自分たちの独裁政権にしたかったのではないだろうか?ということでした。

「あいつさえ消せば!!」という大きな存在に龍馬はなっていたのです。

自由で平等な世の中に・・・

1868年江戸城無血開城
   五箇条の御誓文には船中八策が使われ、亀山社中にいた岩崎弥太郎が三菱財閥を創設。龍馬のアイデアは、後に引き継がれ、死んでなお、影響力を残したのでした。


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posted by ちゃーちゃん at 18:07| Comment(0) | THE ナンバー2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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