2011年09月22日

水戸光圀さんです。

水戸光圀さんです。
昨日見たのは、THEナンバー2、天下の副将軍、水戸光圀です。

水戸光圀(1628〜1700)は、黄門様として知られています。知られているのは、水戸漫遊記という、幕末・講談師によって広まったとされる光圀を主役とした物語です。

この物語が、映画・テレビにまでなり、今の世の中でも愛される作品となったのです。しかし、光圀が全国を旅したという記実はありません。これは、フィクションなのです。おまけに、副将軍という役職は存在しないのです。
私は高校時代、社会の先生に「副将軍って何?」って聞いたものの、教えてもらえなかったことを思い出します。先生、知らなかったのかな・・・。Σ(T□T)

では、何故このような物語が出来たのでしょうか?

それは、五代将軍徳川綱吉に物申せる唯一の人物だったから、天下のご意見番にまつりあげられたのです。

御三家とは、家康の
      九男  義直 尾張徳川家
      十男  頼宣 紀州徳川家
      十一男 頼房 水戸徳川家
                     をさします。

この御三家は、徳川本家に跡継ぎがいなかった場合、御三家から選ぶというのが、暗黙の了解でした。ちなみに、これによって、紀州藩から将軍となったのが、八代将軍吉宗です。吉宗も御三卿、これは、吉宗が、田安家と一橋家を、家重が清水家を作りました。御三家と御三卿の違いは、御三家は大名と同じでお城や領地、たくさんの家来がいるのに対し、御三卿は江戸城の近くに住み、10万石、お城や領地はなく、家来も少なかったのです。

で、水戸藩は、御三家で唯一江戸につめ、小石川後楽園に滞在し、上様を補佐する役目でした。

光圀は、そんな水戸藩に生まれます。水戸藩主頼房は一番弟です。
出生は恵まれたものではなく、兄・頼重共々、父に喜ばれることなく誕生しました。これは当時、尾張藩、紀州藩共に男子が生まれておらず、その兄達に頼房が遠慮したものでした。「水にせよ」と、いわれた光圀は、5歳まで家臣の家で育てられます。

そして、三代家光に拝謁し、「これぞまことの良君なり」と、物怖じしない性格から跡継ぎとなるのです。しかし、兄・頼重は、この時まだ、認知すらされていませんでした。光圀よりも6年も早くに生まれていたため、養子に出されていたのです。光圀は三男ながら跡取り、自分は格下の松平の姓。複雑な思いがあったでしょうが、出来た兄で、優しかったといいます。

光圀は、大きくなるにつれて激しさを増し、傾奇者(かぶきもの)としての悪評が、江戸中に広がります。家臣は「御三家水戸藩の世継ぎとも思えぬ。言語道断の傾奇者、行く末は笑止千万」と言われてしまいます。それに比べて品行方正の兄。

しかし、18歳の時、運命の書と出会います。その書とは、中国前漢の史家・司馬遷が記した歴史書「史記」でした。これは、国史と個人の伝記集でまとめられています。この様に、個人の伝記は日本にはまだありませんでした。この史記に衝撃を受けるのです。

特に殷代の公子・叔斉の話に心打たれます。これは、中国では伝説的な有名なお話で、三男であるにもかかわらず公子であることを申し訳なく思った叔斉が、兄・伯夷に位を譲ろうとしたものの、兄はこれまたそれを申し訳なく思い、自ら国を去る・・・。というお話でした。

この国を譲り合う姿、話で、兄の思いに気付き、兄を超えて後を継ぐことに自責の念を持つようになるのです。そして、水戸藩をわが子ではなく、兄の子に継がせることを決心します。

この決心は揺るぎなく、小石川後楽園の得仁堂に伯夷と叔斉の銅像を祀り、毎日のように拝んでいたといいます。このことで、息子や家臣に兄の子に継がせることを認めさせたのです。

そして、日本に未だかつてなかった人物別の歴史書を完成させようとします。そこで、長崎から朱舜水を、三顧の礼をもって迎えます。朱舜水は、1659年に民から亡命していました。何故亡命をしたのかというと、中国は明から清へと変わり明の文化や朱子学が軽んじられていたためでした。

二代藩主となるも、兄の子を養子に向かえ、自分の子は兄の養子とした光圀は、海外の学問を取り入れて、政治を始めました。朱子学、特に忠義を重んじるようになります。

1680年、4代将軍家綱が危篤になります。そこで老中、御三家が集まって、跡継ぎ相談がなされます。大老・酒井忠清は、鎌倉時代に習って皇室から将軍を迎えることを提案します。ですが、鎌倉時代にあったとはいえ、たった二歳の赤ちゃんが、1回あっただけでした。これは、酒井忠清が幼い将軍を擁立して、傀儡政権をすることになりかねませんでした。

そこで、忠清の勢力拡大を防ぐため、反対を押し切って、ひとり綱吉を推すのです。そうして5代将軍綱吉が誕生します。

いい将軍だった綱吉も、1683年徳松が5歳で夭逝したことで、変わってしまいます。ここで、天下の悪法「生類憐れみの令」が出来るのです。生類憐れみの令という名前はなく、たくさん出されたおふれの総称です。

これは、綱吉の母桂昌院の寵愛していた隆光僧正によると言われていますが、初めておふれが出た時、まだ江戸にいなかったという説もあるので、わかりません・・・。

将軍様が戌年だったため、犬がオーバーラップされますが、とにかく「動物を大事にしよう」というおふれです。「犬を大事にすれば子が授かる・・・。」

31万平方メートルの犬囲い、犬屋敷を中野に作り、10万頭を飼いました。億単位のお金が必要になり、財政は逼迫、庶民は困窮していきます。そんな時、光圀は綱吉を批判するのです。が、綱吉は止まりませんでした。

では、本当に、生類憐れみの令は悪法なのでしょうか?
確かに、財政は逼迫し、庶民は困窮しますが、それまでは切り捨て御免の世界でした。つまり、人であろうと犬であろうと、武士には切ることが出来たのです。この生類憐れみの令で治安が良くなったという説もあります。

が、絶対君主の将軍様が言うと、一言言ったことが、末端に行くとかなり大事となり、エスカレートしていった結果であるのは確かでしょう。

晩年、隠居をし、黄門様になってからはどんな人だったのでしょうか?

水戸の黄門様として親しまれる基となるのは、やはり大日本史の編纂となるのでしょう。この日本史の編纂の目となり足となったのが、助さん、格さんなのです。特に助さんは、東北から九州までくまなく歩き調査に当たりました。その資料を基に人物別に編纂していくのです。

そうして、庶民は「うちにも来てくれないかな〜」と、思って、漫遊記へとなっていくのです。

光圀の考え方は、「史実を包み隠さず記述すれば、勧善懲悪の道理が現れる」というもので、その理論でいくと、中国では王朝は途絶え、新たな王朝が出来る。しかし、日本では、皇室という王朝がずっと続いている。この王朝が途絶えていないことは凄いことではないか?と考え・・・。

主君は天皇であり、天皇を守るのが徳川の使命。そしてそれを盛り立てるのが大名、旗本でありひいては国民だ。というところにたどり着くのです。

光圀のすばらしいところは、南朝を認め、後醍醐天皇の呼びかけに応じて幕府と戦った楠木正成を忠君であると称えたことです。この頃の楠木正成は、鎌倉幕府に弓をひいた悪党とされていたのに・・・。

1700年なくなりますが、世間の人は
「天か下
  二つの宝尽き果てぬ
   佐渡の金山 水戸の黄門」といってその死を惜しんだそうです。

大日本史の編纂は、明治まで続きます。

根底に流れているのは朱子学で、「忠義の対象は武力で天下を取った将軍ではなく、この国を昔から治めている天皇である。」というものですが、これは幕府にとってはなかなかの危険思想。とりようによると、天皇に忠実ならば、将軍に逆らってもいいととりかねられません。

大日本史は、「日本は天皇を中心とした国である」ことの証明が編纂目的だったのかも知れません。

幕末、慶喜は水戸家から一橋家へ入ることになります。かれはこの水戸の幼児教育を受けていました。だから、全員玉砕などすることなく、江戸城を無血開城出来たのかも知れません。つまり、光圀の思想が大政奉還をさせたのです。

おまけにこの大日本史、水戸学といわれ、幕末の志士に大きな影響を与えたといわれています。影響を受けたのは、吉田松陰、西郷隆盛いわずもがなの人々です。そうして、明治維新へと突き進んでいきます。

慶喜は将軍就任の折、「家康公は、日本国の為に幕府を開き将軍職に就かれたが、予は日本国の為に幕府を葬る任に当たるべし」と言ったと言われています。

大日本史は1906年(明治39年)に完成します。かかった時間実に、250年、全402巻に及びます。

たくさんの人に大きな影響を与えました。

光圀は、徳川は天皇に仕えるNO,2だと言いたかったのかもしれません。

本当に、ビックリしました。すごい方だったのですね。幕末好きの、新撰組好きの私としては、慶喜公は物足りなく、いまいちだったのですが。そんな覚悟で臨んでいたなんてね。いろいろ考えさせられます。

やっぱり、勝てば官軍、負ければ賊軍。なのね。公平に物事を見るって難しい。<(; ̄ ・ ̄)=3 フゥ...


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posted by ちゃーちゃん at 12:22| Comment(0) | THE ナンバー2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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