2013年02月22日

「空海からの贈りもの〜天空の聖地・高野山〜」

空海 人生の言葉 [単行本] / 川辺 秀美 (著); ディスカヴァー・トゥエンティワン (刊)
空海 人生の言葉 [単行本] / 川辺 秀美 (著); ディスカヴァー・トゥエンティワン (刊)

いつもは見ないのですが・・・
あのまったり感があんまり好きではないのです。あせあせ(飛び散る汗)

「歴史秘話ヒストリア」です。
和歌山県の高野山のことだったので・・和歌山県人として見てみました。黒ハート


紀伊半島の中央部・高野山・・・標高800mを超える山の上に、100余りの寺院が・・・
およそ1200年前に弘法大師・空海が開いた真言密教の聖地です。

kuu.png

以来、たゆみなく信仰が受け継がれてきました。

参道には20万を超える供養塔があり、2004年に世界遺産に指定され、海外にも知られるようになりました。
日本人の心のよりどころです。

高野山の麓、九度山町・・・慈尊院には・・・
女性たちがお詣りした安産祈願や子育て祈願のお守りでいっぱいです。

言い伝えによると・・・
年老いた空海の母が、故郷の四国・讃岐から高野山にやってきましたたが・・・
高野山は女人禁制しかも厳しい修行の場・・・
そこで、空海はその麓で暮らしてもらいました。
そして、母を案ずる空海は、月に九度も高野山から下りてきた・・・
そこからこの地が九度山と呼ばれ、この寺が女人高野と与荒れるようになりました。

高野山にある大門・・・
高さ25メートルの大きな門、ここから先は女人禁制、真言密教の聖地への入り口です。

密教が中国からもたらされたのは平安時代の初め・・・
唐に渡った空海が・・・
「生けるものすべてが その身のまま 仏となる」
新しい考え方を広めようととしました。
朱色に色どられた「根本大塔」
この中には、空海がもたらした密教の世界を目で見て感じることが出来ます。

曼荼羅・・・密教では大切なものです。
2枚一組とされ、仏の教え、悟りの境地を現したものです。
私たちの世界の成り立ちが表現され・・・また、悟りに至るまでの道のり・境地を示してくれています。
曼荼羅を通して、仏の教えを感じとり、正しい修行を行えば、人は誰でも生きている間に悟りを開けるという”即身成仏”の教えを説きました。

空海の弟子たちは、寺を建て・・・そこは現在・宿坊となっています。
そこでは修行や精進料理が体験できます。
空海の時代は、僧侶は一汁一菜の粗末な食事でした。
肉や魚の他、ニラ・ネギ・にんにく・生姜・ラッキョウなど…匂いのキツイ野菜は禁じられていました。
そのうちに皇族や貴族達の高野詣でで料理の工夫が始まりました。

東西5q・南北3qに広がる高野山の中でも、神秘的なのが奥之院。

oku.png

奥之院に向かう2qの参道には・・・平安時代からの供養塔が立ち並び・・・
その中には武田信玄・勝頼親子・上杉謙信の霊屋・・・樹齢数百年の杉木立の中に立つ奥之院・燈籠堂。。。
空海を拝む場所です。

そして弘法大師への信仰は、全国に広まり・・・高野詣でや四国八十八か所を巡礼するお遍路さんが根付いてます。

空海の仕事のひとつに・・・
仏像や仏具、経典を整えて密教の布教の土台を作ったことです
漢頂暦名・・・祈祷・・・法具・・・曼荼羅・・・仏像・・・立体曼荼羅・・・

空海の残した言葉・・

「あなたの心が暗闇であれば
  出会うものは
   ことごとく禍いとなります

 あなたの眼が明るく開かれていれば
  出会うものは
   すべて宝となります

 正しい道は
  遠くにあるものではありません
 あなたの心ひとつで
  目の前に開かれるのです」

理知的で前向きな空海・・・

しかし・・・

「哀しい哉 哀しい哉 復哀しい哉
 悲しい哉 悲しい哉 重ねて悲しい哉」

という言葉も残しています。
この言葉にはあるエピソードが・・・
空海が数多くの弟子の中でもかわいがっていたのが智泉。

平安時代の初め、20代の空海は仏教を志し、山林修行に明け暮れていました。
この頃、このような僧は私度僧と呼ばれ、正式な僧侶としてみとめっれていませんでした。
しかし、修行を続ける空海。
その頃弟子となったのが、智泉。姉の子で、弟子になったのは14歳のときでした。
最初の弟子だったのです。
いつも光と影のように寄り添っていました。

しかし・・・804年空海は、仏教を学ぶ留学生として遣唐使船に乗り込み、唐の国に渡りました。
密教を2年間ですべて学んで、帰国します。
が・・・空海は、国から20年間の留学命令を受けていたので都に入れません。
この窮地にかけつけたのが智泉。
力強い味方になったようです。

智泉に密教を教えます。
そして・・・嵯峨天皇が即位します。
密教に強い関心のあった天皇で、許され都に入ることが出来ました。

嵯峨天皇に書を献上・・・天皇の信頼を得るために!!

嵯峨天皇には子供がいなかったので祈祷を命じられます。
智泉は昼夜問わずに祈祷をし・・・翌年男の子あ誕生。
後に皇太子となりました。
これは、空海をかなり助けます。


高野山に修業道場を作りたいと申し出る空海。

「紀伊の国に幽玄で静かな平地があります。
 その名を高野と言います。
 荒地の草木を刈り、平らげて
 修行のできる一院を建立したいのです。」

それは許され、寺院の建立が始まります。
忙しい空海の手足となって働く智泉・・・
しかし、高野山は標高800m・・・冬には雪が!!!


825年・・・智泉が37歳の若さで亡くなってしまいました。
その時に言ったのが・・・
「哀しい哉・・・・・」だったのです。

「悟りを開けば この世の悲しみ 驚き
 すべて迷いの生み出す
 幻に過ぎないことはわかっています
 それでも あなたとの別れには
 涙を流さずにはいられません」

832年空海は高野さんで最初の法要を行います。
その流れをくむ万灯会はいまも続いています。


平成27年高野山は空海の開創から1200年目を迎えます。
高野山大伽藍・・・唯一の弱点は落雷。
高野山は幾度となく落雷に遭い、江戸時代だけでも4回も焼失しました。

しかし、多くの人の努力によって復活してきました。
そして、空海の密教への想いは受け継がれ、今もその信仰は衰えることはありません。
今現在、1200年に向けて江戸時代の火災で焼失した中門を、最古の記録に基づいて復元しています。

空海が高野山開創に託した願いはいまも大切に受け継がれています。


高野山、和歌山人にとっては本当に身近で、でも聖地です。
ここに行くと背筋がしゃんとするというか、下界とは違ったピンと張った空気感がたまりません。
例えば、「帽子脱がなくっちゃ揺れるハート」みたいな。

奥之院へと通じる道には、武田信玄以外にも・・・
豊臣秀吉、織田信長、石田三成、薩摩島津家、伊達政宗、武田信玄、大岡越前・・・なんかのお墓もあります。他にも前田とか、いっぱいあったような・・・
神を神とも思わない織田信長もあるなんて、お墓の前に立つとちょっと不思議な気分になります。あせあせ(飛び散る汗)

紀の川筋には、真言宗の信者さんが多いです。
わが家のお寺の上は根来寺ですが、もちろんその上は高野山です。揺れるハート
何かあると、高野山に行きたくなります。
気持ちが引きしまります黒ハート
本当に今も庶民に親しまれている弘法大師さんです。

知識の中の仏教はこちら。 

空海の風景〈上〉 (中公文庫) [文庫] / 司馬 遼太郎 (著); 中央公論社 (刊)
空海の風景〈上〉 (中公文庫) [文庫] / 司馬 遼太郎 (著); 中央公論社 (刊)
空海の風景〈下〉 (中公文庫) [文庫] / 司馬 遼太郎 (著); 中央公論社 (刊)
空海の風景〈下〉 (中公文庫) [文庫] / 司馬 遼太郎 (著); 中央公論社 (刊)

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posted by ちゃーちゃん at 10:11| Comment(0) | テレビ番組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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