2013年02月04日

第四回「妖霊星」

新島八重と幕末 会津に咲いた八重の桜
新島八重と幕末 会津に咲いた八重の桜
覚馬は、無期限の禁足でしたが・・・

安政五年。
西郷頼母は、容保に働きかけています。

yae2.png

「ごめんなんしょ。殿!
 ご無礼の段、ご容赦下されますよう、 申し上げまする。
 通商条約調印の件、不首尾となれば、あるいはメリケンと一戦交える仕儀となるやに聞き及びまする。
 かがる折に山本覚馬が兵制改革を献策したるは、武人として正しき振る舞い、
 禁足など一刻も早ぐお解きになられますようお願い申し上げ・・・まする。」

止めに入る他の者を制して殿はお聞きになってくれるようです。

一方、江戸では・・・紀州派(井伊直弼)と一橋派(水戸斉彬)の戦いが・・・
井伊は、通商条約の締結のためには、紀州藩の慶福様に、将軍になってほしいようです。
ああ・・・榎木孝明さん、やっぱりどう見ても、柳沢吉保黒ハート

八重の家に林権助がやってきました。
内々の話のようです。
覚馬の禁足が解け・・・西洋砲術指南役・蘭学所教授に復職できるようです。
軍事取調役・大砲頭取にも任じられるそうです。
西郷頼母が訴えてくれたことによるものでした。

軍事の改革に着手することになる覚馬。
無鉄砲なところを治すのにも、縁談が良いと勧められています黒ハート
yae1.png
そして、権助に洋式銃の腕を見せる八重。
鉄砲の良さを披露しています。

ここで権助に川崎尚之助を紹介、教授方に任命してもらいます。揺れるハート
って、尚之助・・・仕官できなかったんじゃあ・・・exclamation&question

兵制改革を進め、嫁とりも進め・・・順風満帆な感じ黒ハート
出仕し、頼母から忠義に励むように、万が一の時の為に鍛錬し、教授するように命じられます。

それから間もなく、うらが嫁いできました。

で・・・話していますよ。
やっぱり尚之助は仕官できなかったようです。。。
経緯、もっと書いて欲しかったのに何で???


その頃、勝海舟と島津斉昭が会談中。
斉昭はやっぱり国政に参加したいようです黒ハート
そして、西郷隆盛と会わせたいという斉昭。

そんな西郷は、公家のお相手をしています。みんな、将軍を誰にするかで画策しています。

あ・・・このドラマの慶喜さん、将軍になることに積極的です。黒ハート
あんまり、イメージないですね。いつも、将軍職から逃げ回っていたイメージが・・・あせあせ(飛び散る汗)

そんな中、井伊直弼が大老に就任るんるん
6月19日に幕府は、日米修好通商条約の締結に踏み切ります。
慶喜が怒っております!!あせあせ(飛び散る汗)
おまけに・・・帝の勅許を得ずに結ばれた条約と、御三家が押し掛け登城する騒ぎになりました。

「ところで、本日は御三家のご登城日ではござりませぬぞ。
 押しかけ登城は御法度である事、よもやお忘れではござりますまい。」

条約締結問題とお世継ぎ問題・・・揺れに揺れています。。。あせあせ(飛び散る汗)

しかし、御三家相手に・・・

「さしたるお話ではございませんでしたな」

井伊は、やんわりとかわすのでした。

翌日、後継者は慶福となり、斉昭は謹慎、春嶽は隠居謹慎、慶喜は登城停止に・・・。
一橋派は、政治の表舞台から去ったのでした。


そんな中、容保は井伊の元を訪れました。


井伊「物事の筋目は通さねばなりませぬ。
   ご家門であろうと法に背けば処分も受ける。
   その秩序が国を治めるのです。」

容保「なれど・・・厳しく出れば敵を作るばかり。
   勅許を受けず条約に調印した事不敬と難じる者もいる折にございます」


しかし、井伊は・・・
  「そもそも鎖国などは、幕府が定めた措法にござる
   天下の政は幕府が執り行うものと、朝廷よりご一任頂いておるのですぞ。
   臨機応変の判断を誤り国を滅ぼしては、かえって不忠となり申す。」

   無断調印の咎めは我が身一心に背負えば済む事。。。

容保「それでは、掃部守様の御身が危のうござります。」

井伊「宗観院殿柳暁覚翁大居士と授かりました。
   わが戒名にござる
   命を捨てる覚悟なくては国事には当たれませぬ。」

と、笑っています。

そう、謀殺されると解っていて、あの日登城したんですよね。井伊さん。
容保様は井伊の覚悟を聞いて・・・何も言えずに退出しました。
帰り道、空を見上げるとそこには大きな妖霊星が・・・。

え???島津斉昭って、自分の釣った鯖食べて死んだんじゃ・・・

時代は・・・安政の大獄の幕が切って落とされました。たらーっ(汗)

そう、吉田松陰ももうすぐ・・・あせあせ(飛び散る汗)

と、思っていたら、捕まったそうですよ。
次はどうなるのでしょうか???

彦根城散策 〜埋木舎〜はこちら
幕末。日本外交は弱腰にあらず。はこちら
井伊直弼〜死によって歴史を変えた大老〜はこちら

幕末動乱 NHK大河ドラマ「八重の桜」の背景
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posted by ちゃーちゃん at 13:12| Comment(0) | 八重の桜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鹿児島の城下町 後編

秘密の国・薩摩です。
NHK大河ドラマ 翔ぶが如く 完全版 第壱集
NHK大河ドラマ 翔ぶが如く 完全版 第壱集

鹿児島が生んだ英雄・西郷隆盛・・・
薩長同盟や江戸城無血開城・・・維新の功労者となった鹿児島最大のヒーローです。

幕末最大のヒーロー・西郷隆盛は、下級武士の長男として鹿児島城下・下加治屋町に生まれました。
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侍の身分としては、御小姓与。藩の政治にかかわるどころかお城に入れるギリギリでした。
西郷の石高は、わずか41石。年収200万だったと言われています。
しかし、家族は10人だったとか。
客間を除いて1LDK。畳もそろわない板の間の家に10人も住んでいたのです。
そして、この下加治屋町には、大久保利通・大山巌・東郷平八郎・山本権兵衛・・・日本を牽引するそうそうたるメンバーが住んでいました。

ここで行われていた教育は・・・郷中教育。
郷中とは、城下で暮らす武士の子を区分分けしグループ化した組織。
稚児・6〜14歳、二才・15〜24歳、長老・25歳以上とし、子弟たちは、朝から晩まで薩摩精神を語ります。
教え教えられ・・・英雄が英雄を生む・・・そんなシステムでした。

その教育の筆頭は・・・負けるな!!
その始まりは、関ヶ原での敗北にあるようです。
毎年10月には妙円寺参りが行われています。
関ヶ原の合戦の苦難を偲び、城下から20km離れた徳重神社への詣でをしています。

イギリスのボーイスカウト・・・その原型は郷中教育と言われています。
薩英同盟が結ばれ・・・明治維新に・・・薩摩とイギリスが仲良くなり・・・そんな中、薩摩の教育がイギリスへ渡ったものだというのです。
リーダーが後輩のメンバーを見る。。。それは、グローバルスタンダードとして世界で英雄をつくっています。


幕末の名君・島津斉彬。
薩摩藩という一国の領主でありながら、世界情勢に精通し、世界に負けない国へと導いた名君と言われています。
薩摩藩の近代化を進めます。日本初の近代工場・集成館事業に携わり、日本初の写真撮影、日本初の洋式軍艦製造、日の丸を船尾につけたのも斉彬。
日本の近代化をはじめ、富国強兵・殖産興業を推し進めました。
さらに。。。西郷を取り立てたのも斉彬。
斉彬こそ、新しい日本を造った負けない名君なのです。

この斉彬。自らが釣ったサバにあたって当日に亡くなったと言われています。
その5年後、薩摩藩に最大の危機が・・・
1863年イギリス艦隊7隻が襲来。
生麦事件をきっかけのことです。

この戦いは、スイカで始まり蜜柑で終わったと言われています。
その薩摩の仰天作戦は???
西瓜売り決死隊。
その任務は、西瓜売りに扮した薩摩藩士80名がイギリス艦隊に乗り込んでそのまま奪おうというものでした。
しかし・・・作戦は中止。
その2日後に薩英戦争が始まります。

鹿児島城下が火の海に・・・それを救ったのは、斉彬の富国強兵でした。
負けない国づくり・・・
大砲でイギリス艦隊を砲撃・・・撤退させることに成功します。
この和解交渉が行われ・・・イギリスに温州ミカンを送ったと言われています。
ちなみにこの温州ミカン、イギリスではSatsuma Mandarinと呼ばれ、今でも愛されています。
そして・・・負けない国づくりはイギリスをも味方にし、ついに悲願の打倒徳川、明治維新へ。。。

kago.png

鹿児島のシンボル桜島。
桜島は、鹿児島と呼ばれていたことがありました。
南方の人が、籠のような船に乗ってきたから籠島。ということです。
しかし、火山が噴火するさまが桜の花びらが散ることに似ているから桜島と呼ばれるようになったとか。

関ヶ原の合戦でやぶれた島津義弘が、徳川家康に恭順の意を示すために謹慎していたのが桜島。
荒れた火山島での生活・・・ではなく、天然温泉と海の幸、山の幸の悠々自適の謹慎生活だったようです。

この桜島は宝の島。
火山灰が島に恵をもたらします。桜島大根と桜島小蜜柑。
桜島小蜜柑は、17代当主島津義弘が戦国時代に朝鮮半島から持ち帰ったと言われています。

薩摩切子。
天璋院篤姫に嫁入り道具に持たせたのが薩摩切子。
西洋からガラスの技術が入って間もないころ、この嫁入り道具は、藩の技術力を誇示すためのものでもありました。

島津斉彬が集成館事業を始め・・・近代化を進める一方で、薩摩の特産品を造ることにも貢献します。
しかし、斉彬が急死し、薩英戦争となり・・・薩摩切子は消滅。
いつしか幻の切子細工と言われるようになりました。

資料にも乏しく、復元は難しいとされてきましたが・・・
復元に成功しました。
透明のガラスの上に色つきガラスをかぶせた二重構造に、繊細なカット技術を使ってグラデーションを出す・・・江戸切子などにはないぼかしを世界初・・・開発しました。
製造期間はわずか20数年・・・現存するのは百数十種点・・・だからこその幻の切子なのです。

そして、最も特徴的なのが、薩摩の紅ガラス。
当時は日本にはまだ赤を発色させる技術はなかったのです。
斉彬公の自慢の紅ガラスでした。

様々な苦難をばねに、薩摩の人たちの心に刻まれていった“負けない精神”。
今も愛する伝統や文化にもしっかりと受け継がれた城下町でした。

西郷隆盛 第一巻 [単行本] / 海音寺 潮五郎 (著); 朝日新聞社 (刊)
西郷隆盛 第一巻 [単行本] / 海音寺 潮五郎 (著); 朝日新聞社 (刊)

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posted by ちゃーちゃん at 08:09| Comment(0) | 城下町へ行こう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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