2013年01月25日

ナポレオン“我が輩の辞書は不可能だらけ?”

ナポレオン・ボナパルト・・・一介の軍人から、自由と平等を旗印にヨーロッパと戦い続け、フランスの皇帝・・・ヨーロッパの覇者となりました。

時代を振り回す圧倒的な力を持っていた?
いえいえ、女性に振り回される・・・自分に振り回される一生だったようです。

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「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」
1800年にアルプスを越えてイタリアに進軍する姿です。
荒馬を乗りこなす英雄の姿です。

もう一つは・・・
1814年敵の連合軍にパリを占領されてしまい敗北寸前・・・失意のナポレオン
「フォンテーヌブローでのナポレオン」です。

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召使いの回想録によると・・・
「閣下には、たとえ前の夜に寝る時間がどんなに遅くても、朝7時から8時の間には起こすよう言われていました。」
召使いコンスタン・・・
1日3時間の睡眠と数々の伝説を残すナポレオンの30歳の頃・・・
9時には仕事を始めます。
当時すでに第1執政という最高権力者。
新しい国造りの為に・・・
法の整備・軍事・外交・道路・学校の建設まで一人で決めていました。
12時・・・お昼ご飯は食べられませんが、いつ食べると言われるかわからないので、料理人は、鶏肉料理を作り続けます。23回も作り直したこともあったとか。

シャンブルタン・・・水で割って一気飲み。
とてつもない早食いで、8分で食事終了。
フランス人なのに・・・グルメ度はゼロ。


絵のモデルは15分で終了。
芸術のフランスなのに・・・

仕事をこなし、軽い夕食の後・・・
ナポレオンが最も大事にしていたのは、お風呂の時間。
フランス人は、一生に3回しかお風呂に入らないと言われていた時代に・・・ナポレオンは、1日に2,3回入ることもありましたが・・・仕事はしながらでした。

22時・・・仕事を終え、妻が本を読んでくれるのを子守唄代わりに寝るのでした。

午前1時・・・側近を呼び出して・・・仕事を始めることもありました。

「閣下は夜中に仕事を始めると、帰宅した者まで呼び出します。
 私たち召し使いは、閣下が執務室から出てくるまで寝ることも出来ません。」

人生を楽しまずに・・・仕事中毒です。

5時・・・再び眠り・・・
7時に起こしに行くと・・・再び寝るのでした。
3時間睡眠は伝説で、2回に分けて6時間眠っていました。
そして・・・仕事に追われる生活をしていたのです。

世界では、近代の創始者と呼ばれているナポレオンは、軍人であり、政治家であり、外交官でした。
ナポレオンがこの世に残した物は・・・
軍服・・・ナポレオンコート・・・
機能性と合理性が備わっていました。
戦場の風向き次第で合わせを左右変えられるようにボタンが2列あり、手袋をしてもボタンがとめられるように、大きなボタンをつけました。

他にも・・・1804年制定のナポレオン法典。
身分・家族制度・財産について、近代社会を表現し・・・結婚や離婚など、女性の地位に関することも書かれています。
これは、日本をはじめ、世界各国の民法に多大な影響を与えました。

そんなナポレオン・・・フランス革命で謳われ自由・平等・友愛を具現化した男です。
未だ封建社会が続くヨーロッパを次々と打ち破り・・・新しい世を作ろうとしました。
天才的軍人は、数々の名言を残しています。

標高2400mのアルプス山脈を越え、オーストリアに奇襲をかけた・・・
1800年マレンゴの会戦では
「我が輩の辞書に不可能という文字はない」
と、豪語したと言われています。

エジプトへの遠征の際には・・・ピラミッドを望みながら
「兵士諸君!あの遺跡の頂から4000年の歴史が諸君を見下ろしている」
と、全軍を鼓舞したとか。

政治の世界でも・・・
クーデターを敢行し、30歳で第一執政に就任します。
たった一人でフランスを・・・ヨーロッパを振り回しながら、近代へと導いたのです。

「ナポレオンの戴冠式」
皇帝として冠をいただく・・・戴冠式の絵には、母と妻が写っています。
フランス皇帝となったナポレオンが、お抱えの絵師が書いたものです。
ここに写っている母と妻がナポレオンの運命を決定づけました。

「母には正しい判断力が備わっている。
 王国ひとつを統治することも出来るだろう。」

ナポレオンが生まれたのはコルシカ島。
この頃、ジェノバ共和国から売り飛ばされフランス領となっていました。
母は、島一番の美人と言われ、名士に嫁ぎ8人の子供を生しました。
次男だったナポレオン。島で有名な腕白小僧でした。

9歳で本土に渡り、ブリエンヌ軍学校に入学します。
しかし・・・厳しい現実が・・・
待ち受けていたのは、裕福な貴族の子供・・・
「コルシカから来た下級貴族!!」
フランス語がろくに話せず、いじめられます。
この経験が、新しい時代を造らせるのです。

海に育ったナポレオンは、海軍を志望します。
しかし母は・・・
「フランスの海軍は弱いし、何かあったら海だと逃げ場がないから陸軍にしなさい!!」
母の言いつけは絶対でした。
14歳でパリの陸軍士官学校に進学。
わずか1年で卒業し、砲兵士官となります。

そして・・・19歳の時にフランス革命が!!
革命派となったナポレオン!!
1795年王党派の反乱を・・・街中で大砲をぶっ放すという大胆な作戦で鎮圧。
天才的軍人ナポリオーネ・ブオナパルテの名前は一躍有名になりました。
陸軍を薦めた母は正しかったのです。

26歳でナポレオン・ボナパルテに改名。
時を同じくして出会ったのが・・・ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ32歳。
6歳年上の2人の子供を持った未亡人でした。

政財界に広い交友関係を持つ優雅な貴婦人。
その立ち居振る舞いにとりことなったナポレオンは・・・
押しの一手で出会って半年後に結婚します。

結婚から2日後・・・司令官としてオーストリア軍との戦いに出陣。
再びパリにもどってくるまでの2年間、日に3度もラブレターを送りました。
その数1000通以上。

しかし・・・ジョゼフィーヌは浮気三昧な生活を送っていました。
この頃、ジョゼフィーヌは。。。
友人への手紙に
「彼を愛しているの?と、あなたはお尋ねになるでしょう
 いいえ、愛してはおりません」

当時の貴族社会では、妻を愛する夫などいませんでした。
ナポレオンの本気の愛は、ジョゼフィーヌにとって全くの予想外だったのです。
夫婦になったのはあくまでも形式・・・なジョゼフィーヌでした。

早くジョゼフィーヌに会いたい!!不利な戦況をいくつも奇跡的に覆すナポレオン!!司令官でありながら、危険を顧みずに先陣に建つ男!!
兵士の支持を得ていきます。

パリに帰ってから・・・
ナポレオンの偉大さに気付き始めたジョゼフィーヌは・・・夫を尊敬し、支える妻となっていきます。
彼女の幅広い人脈が、ナポレオンの政界進出へ・・・つながります。
まさに、勝利の女神だったのです。

1804年皇帝の座に上り詰めます。

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それまでの戴冠式は・・・ローマ教皇から国王などが戴冠するものでしたが、この絵は、ナポレオンが妻・ジョゼフィーヌが冠をいただいています。
絶対的存在となったナポレオンがそこにはいました。

しかし母は・・・戴冠式には出ていません。
「あの子が皇帝になど・・・なっていいのだろうか・・・
 分不相応ではなかろうか・・・」

ナポレオンは、兄弟を支配下の国に配置し・・・(長男・ナポリ国王/スペイン国王、長女トスカーナ大公妃、四男・オランダ王、三女・ナポリ王妃、五男・ヴェストファリア国王)母はこれを、明らかにやりすぎだと思っていたのです。だからこそ・・・出席しなかったのでしょう。


母は、字も読めないし教養はなかったのですが、賢く、賤しいことするのを嫌がる潔い人でした。ナポレオンは後に言っています。

「私の偉業は母の教えの賜物だ」と。

1806年エトワール凱旋門は、皇帝ナポレオンの命令にとって造られ始めました。
しかしそれは。。。1836年ナポレオンの死から15年後に完成することとなります。
つまり、ナポレオンが、この門をくぐって凱旋することはなかったのです。

35歳の若さで皇帝となったナポレオン、その後も連戦連勝・・・
しかし、40歳を境に転落の人生が始まりました。
絶対的な権力者として君臨していたナポレオン・・・唯一手に入らないのが・・・子供でした。ジョゼフィーヌとの間には、10年以上たっても子供が出来ませんでした。
原因は、自分?と、悩んでいたナポレオン。。。
愛人・マリア・ヴァレフスカとの間に子供が出来ました。
ナポレオンは決断しました。ジョゼフィーヌとの離婚を!!

しかし、別の女性・・・22歳も年下のマリ・ルイーズ18歳・・・ハプスブルク家の令嬢と結婚したのです。
1810年ルーブル宮殿で結婚式を執り行いました。
これには、ナポレオンの計算がありました。
ハプスブルク家・・・名門王家との世継ぎを得ることで、王侯貴族の周辺国に対抗できる!!と。
しかし、この結婚に反対したのが、今までナポレオンを支えてきた兵士や市民でした。
マリ・ルイーズは、マリ・アントワネットの姪だったのです。
ナポレオンの再婚は、旧体制に屈するかのように映りました。

しかし、その声は、ナポレオンには届かず・・・
戦場のヒーローだったのに・・・マリがお願いすると、戦場にも出なくなってしまいました。
結婚から1年・・・ナポレオン2世が誕生。
息子を溺愛します。
ここから、転落の人生が始まるのです。

1812年ロシア遠征。
60万者大軍を連れて・・・片道2500qという無謀なものでした。
厳しい冬将軍の前に、兵士たちは次々とやぶれ・・・ナポレオンは大敗北を喫するのです。

ナポレオンの勢いに陰りを見ると・・・周辺国が連合軍を結成し、フランスに侵攻を始めました。
そこには、マリ・ルイーズの育った・・・オーストリアも。。。
1813年オーストリアが連合軍に参加、フランスに戦争を仕掛けてきました。
オーストリアとは姻戚関係にあるので、同盟を結び守ってくれると信じていたナポレオン。。。

しかも・・・フランス軍も士気は上がりません。1814年春パリ陥落。
ナポレオンは、国民議会によって連合軍に差し出され・・・エルバ島へと流されます。
翌年・・・島を脱して再起を図るも、ワーテルローの戦いで敗北。
二度と戻れないようにと、アフリカ西海岸のセント・ヘレナ島へと流されるのです。
ナポレオンは・・・

「あの結婚は・・・花に覆い隠された奈落だった・・・」

しかし、その結婚は、ハプスブルク家に罠を仕掛けられていたのかもしれません。

守るべきものが出来たと同時に、王族と対等になったと、勘違いしたことで自分の実力を発揮することを辞めてしまったのでした。

1821年5月5日ナポレオン・ボナパルト51歳で永眠。セント・ヘレナ島で孤独な死を迎えました。
終の棲家には、彼の運命を左右した3人の女性の肖像画が飾られていました。
第1の妻ジョゼフィーヌ・・・離婚してもなお、生涯ナポレオンを愛し続けました。
第2の妻マリ・ルイーズ・・・オーストリアの将軍と再婚しました。
そして、母・レティツィア・・・87歳で大往生します。

ナポレオンはこんな言葉を残しています。

「余は 余がかくも愛したフランス国民に囲まれて
 セーヌ川のほとりに眠ることを願う」

2世ができて人生が変わる。
個人的には、豊臣秀吉に似てるのかなあなんて思いながら。。。
とても人間的なナポレオン・・・だからこそ今もなお魅力的なのでしょう。

ナポレオンの戦役 [単行本] / ローラン ジョフラン (著); Laurent Joffrin (原著); 渡辺 格 (翻訳); 中央公論新社 (刊)
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ナポレオンの生涯 (「知の再発見」双書) [単行本] / ティエリー レンツ (著); 福井 憲彦 (監修); Tierry Lentz (原著); 遠藤 ゆかり (翻訳); 創元社 (刊)
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