2013年01月24日

神保修理さんです。

神保修理長輝は・・・

会津藩家老・神保内蔵助の長男・名門のおぼっちゃまです。

幼いころから容姿閑雅、学問に優れ「秀才」とうたわれています。
ちなみに閑雅とは??
しとやかで優雅なことです。
つまり、美男子???
でも、当時の男の人に褒め言葉だったかどうかはわかりませんね。。。たらーっ(汗)


でも、とても賢い人で、京都守護職では公用方(外交官)として活躍します。
つまり、会津メンバーではなく、京都に赴いて・・・幕末の京都で容保を守り戦う・・・国事に奔走するメンバーです。

容保は、修理をかっていて、藩兵組織と教練方法を西洋化に改革を命じ。。。その改革によって教練を受けて生まれたのが、白虎隊なのです。

坂本龍馬や伊藤博文などとも交流が深く、軍事奉行添役に任じられた後も、大政奉還や王政復古など激動する政局に揺るぐことなく、多くの人々が主戦論を掲げる中、不戦恭順論を徳川慶喜に建言、江戸に帰り善後策を練ることを説きます。
が・・・会津藩の主戦派急先鋒だった佐川官兵衛らと激しく対立してしまいます。

で・・・
鳥羽伏見の戦いが勃発・・・
戦況が不利な上に、討幕軍が錦の御旗をたて・・・賢かった修理は朝敵となることを怖れます。
その上・・・戦争の最中、修理に黙って慶喜や容保などが兵を見捨て江戸へ逃走。。。すると、兵士の士気がダダ下がり・・・あせあせ(飛び散る汗)

恭順を進言した修理に批判が集中し、そのことから、敗戦を招いた張本人として、弁明の機会も与えられぬまま切腹を命じられるのです。


本当に、可哀想な・・・賢かったゆえの悲劇です。
知識がない方が助かっていたかもしれませんね・・・あせあせ(飛び散る汗)


ちなみに、八重の桜では斎藤工さんが演じてくれます。
syuri2.png
きりっと聡明そうな、修理になりそうです。

私の好きな白虎隊では・・・

syuri.png

国広富之さんでした。
ちなみに・・・白虎隊のドラマでは、井上家の人々を中心に描いていて・・・
井上丘隅にとっては、かわいい娘・雪子の婿ということになります。
前編・後編に分かれていましたが、この”白虎隊”の前編の主役は、神保修理ではないか?と思えるほど描かれています。

前編の最後に、父である神保内蔵助(丹波哲郎)に・・・「会津のために死んでくれ・・・」と、切腹して終わるのですが・・・雪子も健気で美しく、涙を誘いました。
syuri3.png
ここに、2人とものってますね。黒ハート

って、国広富之さん、横山主税として出てるのね黒ハート
役どころとしては、江戸詰めですが、賢いところは修理とおんなじかも黒ハート


↓ランキングに参加しています。るんるん
↓応援してくれると嬉しいです。黒ハート
にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ
にほんブログ村

幕末・明治(日本史) ブログランキングへ
posted by ちゃーちゃん at 20:21| Comment(0) | 八重の桜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鹿児島の城下町 前編

島津800年の歴史の城下町です。

鹿児島の有名人は・・・西郷隆盛。
NHK大河 翔ぶがごとく 総集編 [DVDーBOX]
NHK大河 翔ぶがごとく 総集編 [DVDーBOX]
西郷どん・・・軍服をびしっと着こなした軍人です。

jyo.png

明治維新最大の雄藩となった薩摩藩・・・その魅力と不思議は・・・???

鹿児島県鹿児島市 人口60万7800人、面積547.07㎢、特産は黒豚に芋焼酎・桜島大根です。
薩摩藩・・・居城は鶴丸城・外様大名島津氏・72万石でした。

島津家の始祖は、鎌倉幕府御家人・惟宗忠久です。
鎌倉幕府により、九州南部にあった島津荘の地頭に任じられたので、島津と改称し、島津家を開きました。秀吉・家康にも恐れられ・・・外様としてこの地に押し込められてきました。
それが、島津800年の歴史の始まりでした。

この鶴丸城・・・鹿児島城は、島津家第18代当主・島津家久によって作られました。この場所が鶴が嶺と呼ばれていたことから鶴丸城と呼ばれたのです。
高層の天守や高石垣などはなく・・・大大名とは思えないような質素な城でした。

鹿児島では雨は吉兆・・・それは・・・
島津家800年の歴史の中の・・・初代当主島津忠久は、雨の日に生まれたと言います。
そこには、鎌倉幕府を開いた源頼朝の御落胤だったという説までついてきます。
言い伝えによると、鎌倉幕府御家人・比企能員の妹・丹後局との子が忠久だったというのです。
北条政子の嫉妬を恐れた丹後局が西国に逃れる道中に、住吉大社で産んだのが忠久でした。
その時が、大雨だったのです。
ちなみに・・・鎌倉にある頼朝の墓も、平成14年まで島津家が所有していました。

そして・・・この雨を島津雨・・・と今でも言っているのです。

1877年の西南戦争の舞台となった鶴丸城。

jyo2.png

新政府に対し、西郷を中心とした薩摩藩士1万3000人が反乱を起こしたもので、国内最後の内戦として記録されています。

弾痕の痕も石垣に残っています。
これは、新政府軍が、西郷隆盛に対して撃ったものです。
抵抗をしていた薩摩軍は、追い詰められ・・・この地で49年の生涯を閉じ・・・武士の世は終わりを告げました。

普通は、一国一城ですが。。。
薩摩藩は、113の城・・・外城制度がありました。
113の城・・・関ヶ原の合戦で外様大名となった島津藩は、完ぺきな防御を求めました。藩内の領地を113に分けて、城(地頭仮屋)を配置、その近くに武家屋敷を造り・・・城下町のようになっていました。
“人をもって城となす”という考えのもと、113人を配置したのです。

外城・・・薩摩藩最大の外城は出水市にあります。
しかし・・・武家屋敷はあるものの・・・お城はありません。
武家屋敷全体がお城なのです。

この登城制度を知るためには、豊臣秀吉の時代にさかのぼります。
島津が九州統一を目指していたころ・・・富国強兵の結果、領土を拡大。
当時の薩摩藩は、4人に一人が武士の超軍事国家でした。

しかし・・・秀吉の九州征伐・・・敗れた島津は小さく閉じ込められますが、兵力はそのままに、温存していました。
この国全体の防衛力を高めること・・・それは、戦乱の世が終わった江戸時代も続いたのです。
“人をもって城となす”明治になるまで国を守ってきたのです。
そして、郷士・城下士という身分が出来上がってきました。

西郷や大久保は、城下士でした。
郷士は半農半士の生活をしていました。
戦にいつでも出ることのできるように、甲冑や武具なども用意し、鍛錬を怠らなかったと言います。


野間之関では・・・肥後との藩境にあったので、人の出入りも激しかったので・・・警護も厳しかったようです。坂本龍馬も1か月留め置かれたことがあるそうです。

その厳しい取調べは・・・
「行ったら最後 帰って来れない 薩摩飛脚」
と言われたそうです。

どうしてこんなに厳しかったのか???
それは、打倒・徳川幕府という秘密を持っていたからです。

関ヶ原の合戦で・・・成り行きで西軍についてしまった島津義弘。
西軍の敗戦が決定するや否や・・・薩摩軍が殲滅される前に・・・
敵のど真ん中を突破・・・島津の敵中突破をし・・・壮絶な退却戦を演じ。。。
しかし、島津勢の生き残りはわずか80人・・・
この時から、対・徳川の負けない国づくりを造ろうとしたのです。
負けん気の強さがそこにはありました。
明治維新は、薩摩の維持で成し遂げられたのかもしれません。


薩摩藩に伝わる・・・示現流・・・侍魂を知ることが出来ます。
一撃必殺の秘剣です。これは、東郷示現流・薬丸自顕流の二つの流派を有し、明治まで他藩の者には教えない・・・という門外不出の件です。

東郷藤兵衛備前守重位の東郷示現流は、薩摩藩公認のお留流として上級武士を中心に兵法と学ばれ、今もなお、奥義は秘密とし、血判状によって守られています。

下級武士は薬丸自顕流、より実践的な初太刀にすべてをかける!!一刀両断という戦い方は、新撰組・近藤勇でさえ・・・薩摩の初太刀は外せ!!と、恐れたほどでした。

1860年桜田門外の変で井伊直弼を討った有村次左衛門、1862年の寺田屋事件・生麦事件・・・いずれも薬丸自顕流の者が起こしていました。実践の剣法です。
出来るか出来ないか、やれるかやられるかの剣法なのです。

門外不出の秘剣・・・どうして門外不出なの???
それは、命を懸けた真剣勝負において相手に太刀筋を見せないための・・・勝つための剣法なのです。

名勝・仙巌園は、1658年島津家の別邸として、光久によって作られました。
桜島を望むその雄大な庭園は、28代斉彬がこよなく愛し、篤姫・勝海舟・・・外国の要人をも魅了し続けてきました。

秘密の国・・・薩摩。その扉の向こうには、時代を切り開いた先人たちの教えが今も息づき、郷土愛があふれた町でした。

〈新訳〉南洲翁遺訓 [ 西郷隆盛 ]
〈新訳〉南洲翁遺訓 [ 西郷隆盛 ]

↓ランキングに参加しています。るんるん
↓応援してくれると嬉しいです。黒ハート
にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ
にほんブログ村

歴史 ブログランキングへ
posted by ちゃーちゃん at 14:43| Comment(0) | 城下町へ行こう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。