2013年01月21日

「名古屋の城下町」

1/350 DX城 名古屋城 / 童友社
1/350 DX城 名古屋城 / 童友社

名古屋の城下町・・・
この尾張名古屋・・・戦国の風雲児・織田信長をはじめ戦国を代表する大名を数多輩出する金の鯱に代表される尾張名古屋は城で持つ・・・の東海随一の大都市・名古屋の城下町です。

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愛知県名古屋市・人口226万8423人、面積326.4㎢、特産は名古屋コーチン・名古屋友禅・きしめんです。
織田信長をはじめ、豊臣秀吉・前田利家・加藤清正・柴田勝家・福島正則・山内一豊・佐々成政・・・など歴史を彩った武将を数多く輩出しました。

戦国の世が終わるころ・・・徳川家康が江戸と大坂を結ぶ東海道の要衝として整備し、初代藩主は9男・徳川義直と・・・明治になるまで徳川家御三家のひとつです。
城主は徳川御三家筆頭・尾張徳川家。石高61万9000石、家紋は三つ葉葵です。

そして・・・戦国の風雲児・織田信長の足跡があちらこちらにある町です。


大きな名古屋城・金の鯱で有名です。
天守閣は五層五階・地下1階で高さ55.6mです。
昭和20年までは、本丸御殿を含め建物がのこっていましたが、戦時の空襲で焼失してしまいました。
現在の天守閣は、昭和34年に再建されたものです。
名古屋城、建てたのは家康です。
豊臣方に目を向けて、西の最前線として作られました。
関ヶ原の戦いで勝利した家康は、1610年名古屋城の築城を開始。
この城を造ったのは、豊臣方の武士でした。
築城を命じられたのは、細川忠興・福島正則・加藤清正・池田輝政・黒田長政他20名。
工事費用や人足は外様大名側で用意し、何か不都合なことがあればそれを理由にお取り潰し・・・できなくても、懐具合を悪くして弱らせるためです。
あまりにも過酷なものでした。

それは家康にとっては天下統一のための最後の布石だったのです。
大阪城は、当時最高の36mでしたが、名古屋城はそれをはるかに上回る55.6m・・・まさに徳川の時代が到来したことを世に告げました。

金の鯱は、北が雄・南が雌・・・雌雄一対なのです。
徳川の権力の象徴として作られ、当時として慶長大判1940枚分の金量(約270キロ)の金が使われていました。現在は2代目です。
江戸時代には、凧に乗って鱗を剥いだ泥棒も・・・昭和12年にもそんな泥棒がいました。

そして・・・その名古屋城の中に・・・もう一つ那古屋城がありました。織田信長の父・信秀作り信長が住んでいた那古屋城です。元服するまでこの城で育ちました。そう、うつけの頃は、ここに住んでいたのです。

名古屋城を知るためには清州・・・を知ることが必要だそうで。。。
清州城・・・若き日の信長が活躍したころ・・・尾張の政治・経済の中心は清州で、京に次ぐ大都市でした。
この大都市を手に入れることが出来た信長は、圧倒的な経済力も手に入れることになったのです。
そして・・・清須は名古屋のルーツとなりました。
桶狭間の戦いの出発点はここでした。

敦盛を舞った後、街道一の弓取りと詠われた今川義元を破り、天下統一へと突き進みます。
そんな信長出世の原動力となった清州城は???
最盛期は人口7万人で、今よりも大きかったようです。
信長が治めていたころの清州城下には、秀吉・利家・清正・勝家・正則・一豊・成政・・・そうそうたるメンバーが住んでいました。
三重の堀があり、川が流れていて・・・。

この清州の町の全てを持って行ったのが名古屋城。
世紀の大引越し・清須越しです。
当時尾張の中心地であった清須から人のみならず建物もすべて大移転したというのです。7万人の人と共に、100以上の神社仏閣・橋や城の櫓・・・およそ2700戸の町屋も引っ越しました。

それを行ったのが徳川家康。
大坂の豊臣方に対して作る場合、川に近い清州城だと豊臣得意の水攻めに合う可能性が・・・水に弱い地形で心もとない・・・ということで引越ししたのです。


熱田神宮・・・三種の神器の一つに数えられる草薙神剣が祀られ、1900年以上の歴史を誇る神社があります。
信長が桶狭間の戦いに出陣する際に熱田神宮に立ち寄って戦勝を祈願したと言われています。
此処には、桶狭間の戦いに勝利した信長が、戦勝のお礼として奉納した瓦葺の塀・・・信長塀が残されています。

万松寺は織田家の菩提寺です。・・・信長の父・信秀の葬儀で抹香を投げつけ、うつけ者と呼ばれる所以になった場所で・・・織田信秀のお墓があります。

信秀のお墓はあまりにも小さいのですが・・・
もともとは大きかったお墓、信長が安土城を造る際に石を集めたものの・・・
集まらなかったので、“親父の墓石を持って来よう”と言い出しました。

そうなると、周りもビビッて自分の家代々の墓石を持って行かれては困る!!
と、必死に石を探し始めまたと言います。


この織田信長、奇抜な行動からうつけ者と呼ばれています。それは、敵を欺くためとも天性の激しい気性からとも言われています。
しかし、それこそが比類なき天才の証なのです。

名古屋友禅・・・7代藩主徳川宗春が招いた江戸の絵師から伝えられました。
京友禅や加賀友禅は、たくさんの色を使った鮮やかなものですが、名古屋友禅の特徴は、淡彩濃淡です。
宗春のドハデ文化の源は、織田信長にあったのかもしれません。


数多くの戦国ヒーローを生んだ名古屋・・・
そこは、風雲児な信長の革新的な精神を受け継ぎ、ドハデな文化の中に心意気を感じる活気のある町でした。

名古屋城 (PHPムック) [ムック] / 西ヶ谷 恭弘 (著); 西ヶ谷 恭弘, 西ヶ谷 恭弘 (監修); PHP研究所 (刊)
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posted by ちゃーちゃん at 08:44| Comment(0) | 城下町へ行こう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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