今から150年前、まだすべての生命は神が作られたと信じられていた時代に、「進化論」を打ち出しました。
世界を新しい時代へと導いた人物です。
天才・偉大な化学者と称賛されるダーウィンです。
そして、そこにあったのは、オタクの力でした。

ダーウィンの母方の祖父は、高級陶磁器メーカー創業者のジョサイア・ウエッジウッドです。
父方の祖父は、有名な医者であり生物学者のエラズマス・ダーウィンです。
ダーウィンは、イギリス有数のお金持ちと学者の間に生まれた上流階級の出身です。
ジェントリーに位置したダーウィンは、上流階級で、時間とお金、自由に恵まれていました。
ダーウィンは、植物・昆虫・生き物・・・いろいろなものを研究していました。
自分の進化論を発表したのは、49歳の時です。
その大発見をどのようにして見出したのでしょうか???
@東京ドーム3個分の広大な屋敷。
イギリス南東部にある自然豊かなケント州。
ダウンハウスで、73歳で亡くなるまでの40年間、ここで規則正しい生活をしていました。
1日2回12時と16時に犬の散歩。雨が降ろうが時間厳守です。
広大な屋敷の中を散歩します。
そこでは・・・
ダーウィン専用の温室も。。。
植物をコレクションし、お気に入りは食虫植物でした。
世界各地からいろいろな、モノを収集していました。
植物と動物の間の不思議な生き物・・・。
自然環境に合わせてどのように雑草が育つのか・・・の研究もします。
これが、後に進化論になります。
親の財産で暮らせたので、人にも会わず、常に屋敷の中で・・・
引きこもりのようで・・・好きな研究だけをしていました。
お気に入りは“フジツボ”。
毎日フジツボ観察をします。
どうして???
それは、形が多様だからです。
フジツボは、エビやカニの仲間です。
ところが・・・成長すると、殻が張り付いたところから離れられなくなります。
その姿は、環境によって様々です。
世界中から集めたフジツボは・・・1万個に及びます。
そんな、オタク生活の集大成を発表したのが50歳の時・・・
「種の起源」です。
すべての生き物は、環境に合わせて形を変えていく・・・
誰も、考えの及ばなかった化学の真理です。
この「進化論」の何が衝撃的だったのか???
それは、人間が不変の存在ではないということです。
人間も特別な存在ではないと、言い切ってしまいました。
当時の社会から見れば、進化論は、考えてはいけないこと・・・
つまり、反社会的なものなのです。
A5年間の大航海
広大な屋敷での生活は30代からです。
1809年ダーウィンは、シュルーズベリーで生まれました。
小学校時代熱中していたのは、昆虫採集でした。
父は、医者か牧師にとケンブリッジ大学に入れましたが・・・
ダーウィンは、自然科学の教室に入り浸って、教授から“質問魔”と言われていました。
無邪気でわが道を行っていました。
大学を卒業した22歳・・・
世界一周をする船、海軍測量船・ビーグル号に乗る機会を得ました。
南米大陸の航海ルートの調査をします。
何年かかるかわからない・・・=名のある教授は乗せられない。。。
当時の大学を卒業するとき・・・グラウンドツアーという大規模な卒業旅行(=ヨーロッパに)を行く人もたくさんありました。
父を説得し、1000万以上のお金を払ってもらい参加します。
1831年出発し、南アメリカを一周。
ダーウィンは夢中です。
これといった仕事のないダーウィンは、5000点以上の標本を収集しました。
目につく珍しいものを片っ端から集めます。
最初の2年間は夢中で採集しましたが・・・
観察、推理するようになっていきます。
3年半たった1835年9月・・・運命の島、ガラパゴス諸島・・・。
此処には、大陸にはない生き物がたくさん住んでいました。
注目したのが、ゾウガメの甲羅。
ドーム型、鞍型・・・住む島によって違います。
観察するとドーム型は、下に生える草を食べる
鞍型は、首を伸ばしてサボテンを食べる・・・
どちらも、環境に適した形になっていました。
フィンチは・・・
全部で13種類、色や大きさも様々です。
くちばしの形は・・・
大きいくちばしは固い実を食べ、小さいくちばしは小さな虫を・・・
その中間のくちばし・・・
太いものから細いものまで・・・食べるものによって違うくちばしでした。
「互いに近い種類の鳥の間に。こうした体の構造上の違いが現れるということは、「同一の種類」から環境に合わせて異なる形になったのではないか・・・。
1836年イギリスに帰国した翌年・・・
仮設をたてました。
全ての生き物は、共通の祖先から枝分かれし・・・現在の姿になったのではないか???
と。
この大発見のひらめきは???
問題を解決しないと気が済まない・・・そんなオタク心が発見を呼んだのです。
素直で先入観のない柔軟さ、常識にとらわれない心がありました。
しかし、当時の世の中に逆走することになります。
B世界を動かした手紙
1839年29歳で結婚。幼馴染の従姉、エマ・ウエッジウッドでした。
しかし、結婚するかしないかで悩んでいましたが・・・
エマは・・・
「彼は、とても率直で隠し立てがなく、本当の事しか口にしない人です。
愛情も人一倍。でも、ちょっとねえというところも・・・
無頓着だとか、動物に優しすぎるとか・・・」
オタクっぽいところが少し不安だったようです。
そして、もう一つ悩んでいたのが・・・
進化論を発表するか否かです。
友人のジョセフ・フッカーに手紙を送っています。
「これは、殺人を告白するようなものです・・・」と。
当時のヨーロッパは、人々の生活はもとより、化学の世界にもキリスト教が大きな影響を与えていました。
全ての生き物は神が創った・・・それ以来、姿かたちは変わっていない・・・
特に人間は、神が自らに似せて作った特別な存在・・・
しかし、ダーウィンの考えは、他の動物と同じように枝分かれして進化した生き物なのです。サル・・・?
この考えは、神を侮辱し、人間を貶めるもの以外の何物でもありませんでした。
進化論を考えれば考えるほど不安になるダーウィン。。。
ダーウィン自身は、正しいと思っていましたが・・・人から拒絶されるかもしれないという恐怖。。。。
エマは、敬虔なクリスチャンでした。
神を冒涜するような夫の考え方に・・・
「愛しのチャールズへ
神という一番大切な事柄について2人の間で考えの違いがあると思うと不安があります。
今は、信仰に関する考えは、いろんな面で違っているかもしれません。
でも将来、同じ方向に向いてともに進んでいくことは出来るのではないかと思っています。」
と、手紙に書いています。
結婚3年目・1842年の秋、ダウンハウスへ引っ越します。
めまいや嘔吐などの症状の出てきたダーウィンは、引きこもり始め・・・あの、規則正しい生活が始まりました。
夜8時に、妻と音楽やゲームをするのが楽しみとなりました。
10人の子供に恵まれて・・・
子供たちは、研究に勤しむ父が大好きだったようです。
引きこもっているダーウィンの屋敷を訪問するのは郵便局員・・・
1日に2度3度とやってきます。
ダーウィンが生涯で書いた手紙の数は、15000通以上。手紙オタクでもありました。
相手は世界各地・・・1000人以上です。
研究者以外にも、外交官、商人から標本や最新研究を手に入れていたのです。
面識のない人からも情報を得ていました。
しかし・・・「進化論」を明かしたのは数人・・・手紙では一人です。
世間の常識に反することを発表することは、周りのことを巻き込んでしまう・・・
「私は“進化論”を学会の会報や一般の雑誌に発表するのは嫌です。
その編集者や出版に協力してくれる人たちが攻撃されるような事態を招きたくないからです。」
と、フッカー宛ての手紙に書いています。
発表することにない研究をすること20年以上・・・
1858年49歳のダーウィンに運命の手紙が・・・!!
差出人は、14歳年下の友人アルフレッド・ラッセル・ウォレス・・・
ラッセルが自分の論文の発表できる出版社を紹介してほしいということでしたが・・・
その論文を読んでびっくり!!
自分の考えとそっくりだったのです。
「私が以前に書いた論文の下書きを彼が読んでいたとしてもこれほど的確にまとめることは出来ないでしょう」
若い研究者が、進化論に届きつつある・・・
自分の進化論は日の目を見ない???
2か月後の1858年リンネ学会の学会誌に進化論の概論とウォレスの論文を共同論文として学会に発表します。
さらに翌年、1冊の本に・・・「種の起源」です。
初版本は、即日完売。衝撃が走ります。
イギリス生物学会の重鎮リチャード・オーウェンは、神が行った適切で絶え間ない作業の原則をこの本は無視している・・・と、痛烈に批判。
宗教界や、天地創造を信じる人から大バッシングを受けます。
自宅にも非難の手紙が・・・
助けの手を差し伸べたのは・・・友人たちでした。
トマス・ヘンリー・ハクスリー・・・彼は、オーウェンらに噛みつきます。
アメリカでも論争が・・・エイサ・グレイが立ち上がります。
彼らはダーウィンと手紙でつながっていた若い人たちでした。
あの手紙は、キャンペーン効果があったのです。
これは、進化論を受け入れてくれそうな人と、手紙で繋がろうとした結果でした。
若くて優秀な学者たちだったのです。
ダーウィンは「進化論」の衝撃に対して責任を取る・・・そんな気持ちがあったようです。
そして、ダーウィンは子供の頃の好奇心をずっと持ち続けている大人だったのです。
1882年チャールズ・ダーウィン永眠。享年73歳でした。
葬られたのは、イギリスでもっとも有名な寺院のひとつ・・・ウェストミンスター寺院。
神に背いたはずの進化論・・・その進化論が世界の真理と認められたのです。
![名著誕生 ジャネット・ブラウン 長谷川真理子 ポプラ社発行年月:2007年09月 ページ数:203p サイズ:単行本 ISBN:9784591099131 ブラウン,ジャネット(Browne,Janet)ハーヴァード大学教授。ダーウィン研究において世界的に知られる生物史家。著書『Charles Darwin』(全2巻)は広く一般読者にも読まれ、数々の賞を受賞長谷川眞理子(ハセガワマリコ)総合研究大学院大学教授。行動生態学、進化生物学において日本で最も注目される研究者(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 序章 起源/第1章 始まり/第2章 使える理論/第3章 発表/第4章 論争/第5章 遺産 「進化論」を高度な理論にまで高めた画期的な書『種の起源』誕生の経緯から、出版当時どのような賞賛と批判を受け、さらに今日に至るまで名著として輝きを放ち続けているのかを、わかりやすく解き明かす。 本 人文・思想・社会 哲学・思想 その他 科学・医学・技術 地学・天文学 科学・医学・技術 生物学 ダーウィンの『種の起源』 [ ジャネット・ブラウン ]](https://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/?pc=http%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Fbook%2Fcabinet%2F5910%2F59109913.jpg%3F_ex%3D160x160&m=http%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Fbook%2Fcabinet%2F5910%2F59109913.jpg%3F_ex%3D160x160)
ダーウィンの『種の起源』 [ ジャネット・ブラウン ]
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