第48回「幻の都」
富士川の戦いで平家軍は大敗した。平家はすでに武門ではないという忠清の言葉
「殿。。。平家はもはや、武門ではござりませぬ。。。
殿御自身も、もはや武士ではござりませぬ。。。
殿が目指した武士の世は、武士のままでは作れぬ物にござりました。」
は、清盛や一門の心に強く刻まれました。
カッコよかったですね。忠清。。。
やはり最右翼って感じでしょうか???
この一言に、”公家”のようになってしまった兵平家を長年憂いでいたのが解ります。

辛酸なめてたもんな・・・

ぼう然と部屋にたたずむ清盛に盛国は声もかけられません。
このドラマでの盛国の立場・・・
っていうか、”動かなさ”すごいですね・・・。

殿を修正する気は毛頭ないんでしょうね。
毒を食らわば・・・主と一緒に諸とも・・・って感じでしょうか???
でも・・・介錯を願う忠清に、盛国は平家の危機である今、忠清がいかに重要かを説き、思いとどまらせました。

ありがとう、盛国

「平家の”武”の軸は、忠清殿・・・ そなたじゃ
これよりいよいよ、平家にあらがうものを討ち、平らげねばならぬ・・・
その時・・・そなたがおらんでなんとする・・・!!
生きて・・・平家を・・・殿を・・・お守りいたそうぞ・・・!!」
やっと、活躍してます

忠清、嬉しかったでしょうね。
生き延びられたっことよりも、平家に尽くせる道が、まだ残っていたから・・・

。
一方、富士川の戦いから無事帰還し、鎌倉に入った源頼朝・・・。
頼朝らしい非情さも出てきました。

そのうえで、戦で手柄を立てた者に領地を与える・・・。
”一所懸命”ですね。
領地を与えるって・・・そんなこと、約束していいの???
貨幣経済についていけなかった田舎者武士の東国武士、を配下につけていきます。
リーダーとしての風格が出てきましたね、頼朝。

その上、各地で源氏が蜂起!!寺社勢力にも謀反の兆しが見えています。
福原では高倉上皇が病に倒れ・・・快方に向かう様子がありません。
清盛が見舞いに訪れると、徳子が高倉上皇の心労を告げ、上皇の病の理由が遷都にあるのではと訴えます。
お・・・ここにも、清盛に反対勢力が・・・

公卿たちも不安にかられていました。
藤原兼実は、都を京に戻すべきと強く主張。
ほかの公卿たちも重盛存命の折は秩序が保たれていたと愚痴を言いだす始末。

いつも、この方の演技には公家っぽいものを感じて・・・大好きです。
それを平家の棟梁・宗盛は黙って耐えながら聞いていました。
後日、宗盛は一門を集め、清盛に還都を申し出ます。
当然のごとく拒否する清盛・・・。しかし、宗盛も一歩も引きません。
そして、ふがいない自らの半生を省みながら、自分の役目は、今父上をお諫めすることだと涙ながらに訴えました。
ちょっと、棟梁として目覚めたのでしょうか???
「私は・・・重盛の兄上とは比べ物にならぬ出来の悪い男子・・・
つたない棟梁にござりましょう・・・
それでも私は、平家の棟梁でござります。
平清盛の子でこざいます。
私が一門の役に立てるとするならば・・・
今!!この時!!父上をお諫めすることにござりまする!!
父上・・・!!
平安京に・・・!!
福原に、平家が孤立してしまわぬうちに・・・!!
今はこらえて都がえりを・・・!!
何とぞ都がえりを・・・決めてくださりませ!」
悲痛な宗盛の叫びが聞こえたのでしょうか???
さすがの清盛も返す言葉がなく、ついに京への還都を決めたのでした。

幼き安徳天皇のために清盛が建てた福原の新内裏では、五節の舞が安徳天皇に献上されました。
華やかな宴の中、さまざまな思いを胸にひとり涙する清盛。。。
本拠として10年あまりを過ごした福原を、ついに清盛は後にしました。
清盛が夢みた福原の都はわずか半年で幻となったのです。

六波羅で各地の反乱への対応を自ら指図していた清盛は、ある日自分がしてきたことや武士の世とは何だったのかを思い返していました。
「何をしてきたのかと思うてな。この何十年。
武士の世とは何だったのかと思うてな・・・」
そして、鎌倉でも・・・頼朝も、清盛が目指した武士の世とは何だったのかをはかりかねていました。
「まことの武士とは如何なるものであったのか・・・!!」
って、過去形ですけど・・・!!
まだ滅ぼしてませんよ、清盛さんを!!
そんな頼朝と政子のもとへ義経と弁慶が訪ねてきました。
ホントはあんまり仲良くない2人なんですけどね・・・。
歳も離れてるし・・・

きっと、頼朝は、位の低い母を持つ義経を、家来ぐらいにしか思っていなかったようですが・・・

。
義経は頼朝に今回の挙兵の理由を尋ねると、頼朝は父・義朝の武勇を知らしめるためだと答えます。
そして義朝と清盛が切磋琢磨してきたいきさつを語り・・・
敗れてしまった父に代わり、力で平家を倒して真の武士の世をつくるという決意を打ち明けました。
それを聞いた弁慶は激しく感動しています。
う〜ん、弁慶の立ち位置って、なんか、胡散臭いような気もしますが・・・

ま、存在自体、胡散臭いですから

弁慶は源氏と少なからぬ因縁があり(ホント???)、義朝や清盛の若き日を知っていたのです。
そして清盛が若き日、故意に神輿に向けて矢を射た祇園闘乱事件の真相を語ると一同は驚がく。。。
そして、清盛のすさまじい生きざまを知り、よいしょする、ヨイショする・・・!!
弁慶の胡散臭いお話で・・・その志を理解した(?)頼朝は、自らの進むべき道を改めて定めるのでした。
ホンマかいな!!って感じもしますが、まあ、清盛とお父さんとは強敵(とも)だったんだから、相通じるものがあるのでしょう。
それって、清盛を許せるってことと=でないのが、複雑だよなあ・・・。
そのころ、大事件が起こっていました。
南都の僧兵の反乱を鎮圧するために向かった清盛の五男・重衡が、あやまって東大寺の大仏を含めた南都の寺たちを炎上させてしまったのです。
正倉院、よく残っていたものです。

平家一門が緊張した面持ちで集まり、清盛も、
「それこそが、もはや運が尽きたということよ。
天は平家を見はなしたのじゃ。」
と珍しく気弱な発言・・・神輿を射た男が・・・弱気な発言です

。
重衡さんのなんてない演技、心に引っかかっていました。
そう、新選組血風録の”沖田総司”です。
あの時の演技も、なんてないのに飄々として、上手いなあ。。。って、思ってたんですけど。

そこへ鎧兜姿で意気揚々と帰ってきた重衡は、悪びれもせず・・・
「われらが焼いたは仏に非ず!
暴徒に御座います。」
自分の戦果を語り。。
事態の深刻さと屈託のない重衡の笑顔に清盛は困惑しつつ、
「ようやった…。
ようやったな、重衡…。」
とほほ笑んだのでした。
でも・・・この南都焼き討ちの代償はあまりにも大きかったのです。
歳とったな・・・清盛・・・
この微笑んだ時点で、滅亡を受け入れた・・・って感じでしょうか?
今回は、回想も多くて・・・
重衡のこの行為を印象付けるために、回想・・・特に、”神輿を射る”話を思い出していましたね。。。
あなたもそうだったのよ・・・清盛・・・。
宗盛と重衡・・・
傀儡政権ではなく、本当に若いものにバトンタッチする・・・そんな回でした。
諸行無常のために・・・回想しているからなのか???
年末の総集編が、1日、3時間っていうのも、ここで回想しているからなの???
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