2012年12月28日

西郷頼母さんです。

西郷頼母は、いろいろな俳優さんがやっています。

私の大好きな”白虎隊”では、里美浩太朗さんです。

tanomo3.png

井上丘隅翁と一緒に会津の行く末を思案しているのでしょうか???

時代劇スペシャル 白虎隊(DVD) ◆20%OFF!
時代劇スペシャル 白虎隊(DVD) ◆20%OFF!

他にはこんな人も。。。

テレビ東京系列でも、来年の新春ワイド時代劇「白虎隊〜敗れざる者たち〜」で、この人がやるようです。
tanomo.png

”八重の桜”では、この人が・・・
tanomo2.png
やってくれます。

俳優さんの顔ぶれを見ても、ホント、重要なポジションの人だということは、解りますよね。黒ハート

私は、西田敏行さんは大好きです。黒ハート
この人のおかげで、「八代将軍吉宗」のおかげで、和歌山にはたくさんの人が来てくれました。
この観光客の記録は、今も抜かれていないそうで・・・
そう思うと、何年前の話よ!!まだ私が独身の頃じゃないの!!
和歌山も不甲斐ない・・・たらーっ(汗)って、思ってしまうのですが、大好きです。

でも西田さんは、白虎隊で萱野権兵衛をやっていました。
軍事奉行として責任をとって、切腹したんですよね。。。
この記憶を・・・いい意味で西田さんに消してもらいましょう黒ハート

で・・・どうして萱野権兵衛が責任をとったか???
それは、おエライさんがもうこの人しか残っていなかったから。

幕府から京都守護職就任を要請された容保に対して、頼母は「政局に巻き込まれる懸念から辞退するように」進言したために、容保の怒りを買いました。

その後も、藩の請け負った“京都守護の責務”に対して否定的な姿勢を覆さず・・・
禁門の変が起きる直前に上京して藩士たちに帰国を説いています。

でも・・・これも賛同されずに帰国を強いられました。
しかも、家老職まで解任された上に、蟄居させられていたからです。


1986年の白虎隊では、あんなに反目し合っていた容保と頼母が・・・最後の最後に和解をします。

「あの時、お前の言うことを聞いて、京都守護職を断っていればよかった・・・
 お前は生き延びて・・・会津のことを伝えてほしい・・・
 こんなことを頼めるのは、頼母しかおらぬ・・・」

「殿は、私に行き恥を晒せとお言いになりますか・・・!!!」

うろ覚えですが、・・・みたいな感じだったような気がします。

ま、これはドラマですから、本当のところは解りません。
容保が逃げた頼母に対して刺客を差し向けたとも言われています。

本当のことは解りませんね。
だって、第二次世界大戦のことでもみんな言わない頑固な日本男児たちの国ですから・・・

そう思うと、永倉新八って、すごいなあ・・・黒ハート

あの人がいなければ、こんなに新選組がとり上げられることもなかったでしょうし、そう思うと、飯沼貞吉が生き残らなければ、白虎隊の悲劇も解らなかったことでしょう。


西田敏行さん、そういえば会津の人ですね。
どんなふうに出来上がるのか、楽しみです。黒ハート

白虎隊 DVD-BOX [ 山下智久 ]
白虎隊 DVD-BOX [ 山下智久 ]

↓ランキングに参加しています。るんるん
↓応援してくれると嬉しいです。黒ハート
にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ
にほんブログ村

幕末・明治(日本史) ブログランキングへ
posted by ちゃーちゃん at 17:42| Comment(0) | 八重の桜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月27日

松平容保さんです。

松平容保さん・・・

k1.png

激動の幕末の悲劇を全部背負った、会津藩主です。

”八重の桜”では、綾野剛さんです。

k3.png

が・・・
私の中では、この人・・・銀ちゃん

k2.png

ではなくって、風間杜夫さんです。
この人のイメージを払拭してくれるのか???
それが、私の中のキーポイントです。
でも、風間杜夫さんも林権助で出ているのですね。
気をつけて見なければ黒ハート


なかなか線の細そうで、生真面目な松平容保さんが出来そうですね。黒ハート

容保は、美濃高須藩主松平義建の6男として生まれ、会津藩主松平容敬の養子となりました。
養子だからこそ、・・・藩祖・保科正之(徳川家光の弟)の遺訓を固く守り、最後まで徳川幕府に忠誠を尽くした人でした。

藩主がそうあれば、その家臣もまたそういう時代でした。。。たらーっ(汗)

文久2年京都守護職を拝命し、尊皇攘夷派に対抗。
将軍家茂の上洛、公武合体の推進等で功績を上げ、孝明天皇の信任を得ます。
そうなのよね・・・信任を得ていたからこそ、賊軍となった時は理不尽な思いを多分にしたとでしょう。。

文久3年薩摩藩と同盟して長州藩を始めとする尊王攘夷派を宮中から一掃。
翌年の元治元年、禁門の変では長州藩兵を撃退しました。

大政奉還後は将軍慶喜と行動を共にし、っていうとカッコいいけど・・・
大坂をほっぽり出して、江戸で再戦を説きます。
が容れられず、会津で征討軍と死闘を繰り広げましたが降伏。。。
捕われて永禁錮となりますが、明治5年許されて日光東照宮宮司となります。
そう、当時としては珍しく、行き恥をさらしてしまうのです。。。
ちなみに、家老の西郷頼母も行き恥を晒してしまいます。


松平容保を想うとき、いつもこの歌を思います。

風の流れの 激しさに
告げる想いも 揺れ惑う
かたくなまでの ひとすじの道
愚か者だと 笑いますか
もう少し時が ゆるやかであったなら

雲の切れ間に 輝いて
空しい願い また浮ぶ
ひたすら夜を 飛ぶ流れ星
急ぐ命を 笑いますか
もう少し時が 優しさを投げたなら

愛しき日々の はかなさは
消え残る夢 青春の影


気まじめ過ぎた まっすぐな愛
不器用者と 笑いますか
もう少し時が たおやかに過ぎたなら
愛しき日々は ほろにがく
一人夕陽に 浮かべる涙

愛しき日々の はかなさは
消え残る夢 青春の影

小椋桂さんの作詞したこの歌は、私的には白虎隊というよりも、この人のことを代表とした会津の人々を歌ったのでは???と、思っています。


実際に、生真面目でなければ、偉大な保科正之の言いつけ(徳川を守る)を守らなかったかもしれないし、京都守護職を断ったかもしれません。


この人についていつも思うのは、こうも馬鹿なまでに愚直にカッコよく生きた人なのに、テレビの歴史番組で取り上げられるのは少ないことです。失恋
メジャーじゃないのexclamation&question

今の時代は、官軍の作った時代が続いています。
こんな後の時代でも、彼は賊軍の汚名をかぶってしまっているのでしょうか???


↓ランキングに参加しています。るんるん
↓応援してくれると嬉しいです。黒ハート
にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ
にほんブログ村

幕末・明治(日本史) ブログランキングへ
posted by ちゃーちゃん at 15:57| Comment(0) | 八重の桜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

最終回 「遊びをせんとや生まれけむ」

最終回 「遊びをせんとや生まれけむ」

突然の熱病に倒れた清盛は生き霊となって、遠く伊勢・二見浦にいる西行の目の前に姿を現しました。

はじめはひどく驚く西行でしたが・・そこは坊主・・・???

「恐らく、お手前は間もなく死ぬのでござりましょう。」


「あるまじき事ぞ!!

 今死ぬという事は、皆の志を捨てるに同じぞ。
 父上や叔父上。弟・家盛。家貞。我が子・重盛、基盛。
 信西殿。義朝…兎丸。
 みなの志を継ぎ、武士の世を作ることが・・・!!
 わしの背負うた使命!!
 頼朝を倒し、再び福原に都を作るまでは死ねぬ!」


「その方々も皆、そうだったのではござりませぬか?
 やり残した事がある。
 果たせなかった思いがある。
 皆、無念であった事でしょう。

 されど、皆に等しく訪れるのが死というもの。
 それゆえにこそ、人は命尽きるまで存分に生きねばなりませぬ。
 そして、お手前ほどそれを体現したお方を・・・私は他に知りませぬ。

 うれしい時、楽しい時もつらい時、苦しい時さえも・・・いついかなる時も、
 子どもが遊ぶようにお手前は生きた。
 生き尽くした!

 お手前の生きてこられた平清盛の一生・・・
 まばゆいばかりの美しさにござりまする。」



話を聞くうちに事態を理解したのか、清盛。。。泣いています。
富、地位、権力を手に入れた誰しもが、最後に行きつく”生”への執着ですね・・・バッド(下向き矢印)
やはり、坊主・・・っていうか、出てきたときから兄のように意見してくれたのは、この人だけでした・・・たらーっ(汗)
それが、とっても残念です。失恋

京では高熱にうなされている清盛を、平家一門が祈るように見守っていましたが、手の施しようもありません。
読経はしないのかしら???


一方、後白河法皇は清盛危篤の報に接し、狂ったかのように今様を歌い、踊り続けています。

「♪遊びをせんとや生まれけむ。戯れせんとや生まれけん♪」

・・・西行の言葉でようやく自分の寿命を受け入れた清盛は一門の前でむくっと立ち上がり・・・


平家のつわものたちよ!!(って、公家化しているのに兵???強者???)
比類なき我が一門よ!!
聞くがよい。

「―きっと、わが墓前に、頼朝が首を供えよ!」

と言い遺し、1181年の春、絶命しました。64年の激動の生涯でした。

kiyo2.png

西行は京の平家一門を訪れ、清盛の遺言を伝えます。
そして、西行の姿はいつしか清盛そのものとなり・・・遺言が。。。
ああ・・・なんだか最終回って感じがしますね。
ドラマって、最終回は終息に向かっていくのであんまり面白くないっていうのがよくありますが、もともと盛り上がりに欠けるからか、普通に見れちゃいます。揺れるハート
って、面白いってことですよ黒ハート
まあ、それは最期を知ってるからかなあ・・・。

一人一人への遺言ですが・・・みんな長生きしてるな・・・なんて思っちゃいました。
でも、清盛さんは人情に厚い人でしたから、きっとこんな感じだったんでしょうね黒ハート
だからこその一蓮托生・・・
その後も、平家は一連托生の強い絆のもとにそれぞれ戦います。

源氏軍の侵攻により、都落ちを余儀なくされたのは1183年。。。
この都落ちはそれぞれの行く末に多大は影響をもたらしました。

頼盛は清盛の遺言を受けて、平家の血を守ろうと考え鎌倉の頼朝を頼ります。
う〜ん・・・平家の血を守る???
って程、篤いものがあったかどうか・・・って気もしますが。。。

侍大将の忠清は伊勢平氏の乱を起こしで戦っいましたが・・・捕縛され、斬首。。。

その後、態勢を立て直した平家でしたが、一の谷で重衡は捕らえられて斬首。。。
逃亡した維盛は後に那智の沖で入水して果てました。

壇ノ浦でも多くものが散ります。
怒涛のような紹介です。
永井大さんの”新選組血風録”を思い出してしまいました。。。たらーっ(汗)
あの時は、”新選組”というとで思い入れもあって、もっと、一人一人にスポットを!!!と思いましたが、今回は、これでも十分かと思っちゃいました。たらーっ(汗)

清盛が世を去って4年後・・・そう、まだ4年後のこと・・・雌雄を決する壇ノ浦の戦が・・・!!
って、”雌雄”って言っていいの???一時男尊女卑とかって言われてなかったっけ???


総大将の知盛は勇猛果敢に戦い、最後は錨を体に巻きつけて海に沈み・・・
宗盛は死にきれずに海でもがいているところを捕縛、のちに斬首されました。

建礼門院徳子は捕らえられ、のちに出家して一門の菩提を弔う生涯を送ります。
時忠は、御神鏡を守った功績で・・・抜け目ないですね。黒ハート
死罪を免れ・・・しぶとく配流された能登国で生涯を終えました。

kiyo1.png

そして時子は・・・安徳天皇を抱き、「海の底にも都はござりましょう」と言って海に身を投じました。
ああ・・・時子、可哀想ですが美しいですね・・・。綺麗だし、なにより潔いです。黒ハート

kiyo4.png


鎌倉のとある館では捕縛された盛国の姿がありました。
盛国はひと言も発せず、飲食を断ち、餓死による自害を選んだのです。
う〜ん・・・何で諸ともじゃないの???とも思いますが、そこは、武士ではなかったから???

みんな、斬首です。。。あせあせ(飛び散る汗)
切腹が武士の権利???みたいになっていなかったからかもしれません。
ちなみに最初に切腹したのはこの人。

tame.png

ガンダム・・・ではなく、前半の保元の乱に出てきていた崇徳上皇の最終兵器”源為朝”です。
保元の乱から30年・・・まだまだ切腹はしなかったのかも???


平家を滅ぼした頼朝が、次に退けねばならなかったのは、弟・義経でした。

無断任官した義経を許しませんよ、頼朝は・・・あせあせ(飛び散る汗)
身内同士で殺し合う苦しみをよく知る頼朝は、幾度もしゅん巡???ホント?って感じがします。
頼朝は、自分が情けをかけてもらっての返り咲きなので、情けをかけることの怖さを知っている人です。
おまけに、当時は母の位で決まった位。義経のことなんか、家来ぐらいにしか思ってないんだから・・・あせあせ(飛び散る汗)

そして、義経は、武士としての教育をされていませんから、名乗りをあげずに不意打ちしたり、奇襲戦法で勝ち進むわけです。
結局、官位を与えられたり、平家の娘を娶ったり・・・やられる理由も義経にはあったわけですが・・・やはり、それは後白河法皇の手の上で遊ばされていたのでしょう・・・。あせあせ(飛び散る汗)
あ〜怖い人ね・・・後白河法皇たらーっ(汗)

最後には弟の追討を決意します。


1186年、頼朝のもとへ西行が訪ねてきました。
またお前か・・・???て感じですが、この人が最初から最後まで・・・見てきてるから仕方なし???

西行は頼朝にも清盛の遺言を伝えます。

「まことの武士とはいかなるものか見せてみよ」

という言葉をうけ、頼朝は自分の進むべき道を定めました。


1189年、奥州藤原氏を頼ろうとした義経は衣川で兵に襲われ、孤軍奮闘するも、弁慶は多数の矢を受け立ち往生し、義経は自害して果てました。

kiyo3.png
って・・・本当??死なないんじゃないの???義経って黒ハート

ああ・・・神木龍之介君、勇ましいですね黒ハート
・・・痛そう・・・失恋
なんか、今までの透明な感じと違っていいです。黒ハート
いやいやドロドロでも、彼は透明です。黒ハート

でも・・・義経伝説はいまも生きています。
だから、きっと今も生きているのよ、義経は!!!


1190年、頼朝は上京し、後白河法皇と対面。
まだ生きてんのか???って感じもしますが、妖怪ですからね。。。黒ハート

頼朝と双六やっております。
その一年あまりの後、後白河法皇は66歳で亡くなり、頼朝もその9年後に死んでしまいます。
ただの落馬事故だったんでしょうか???

そして頼朝が開いた幕府が滅んだ後の足利の世となって清盛が目指した国と国との交易が行われるようになりました。
子兎丸いますが・・・何歳???あせあせ(飛び散る汗)
いやいや、そんなことはいいのです。
でも、生まれてくるのが早すぎましたね。。。清盛。
貨幣経済は、200年後・・・そんな、やはり天才だったのでしょう。
いまでいうなら、スティーブ・ジョブズ???

そして、海の中を落ちていく宋剣がある。その剣をつかんだのは、若き日の清盛でした。
清盛は兎丸の声に導かれ・・・海の中にある館に入っていきました。
すると清盛の前に平家一門が笑顔で待っていました。

「海の底にも都はありまする」

ああ・・・終わってしまいました。
なんだかんだと、視聴率を言われてきましたが、終わってみると、何年かぶりの満足した作品でした。

去年の”江”は、尻すぼみっていうか、江が成し遂げた大奥や、後水尾天皇への入内なんかは駆け足のように終わってしまいました。饅頭食べて、子供産んでる暇があったら、こんなシーンも織り交ぜて欲しかったなあって思ったものでした。

私の場合”龍馬伝”に至っては、途中で観るのもやめてしまいました。
「福山さんしか、カッコよくない!!」
っていうか、史実が全く解らなかったから・・・
これなら大河じゃなくって、偉人・・・って、龍馬さんが偉人かどうかは解りませんが、”人物伝”じゃないの???って、思ったから失恋

今回の平清盛は、ほんと、久々の”大河”だったんじゃないでしょうか?
時代を切り開いているように見えて、実は時代の大きな波にのまれ・・・大河の一滴でしかない・・・
そんな、諸行無常がたっぷり出ている作品でした。黒ハート
ほんと、楽しかったです。
みごとな”もののあはれ”でした。

皆様、1年間お疲れさまでした。るんるん


平重盛〜平家滅亡のキーパーソン〜はこちら
たった一言で世界は変わる!!暴言失言ヒストリーはこちら
平清盛・勝利のカギは経済戦略!〜武士とお金の意外な物語〜はこちら

源義経〜悲劇のヒーローはこうして生まれた〜はこちら

鎌倉ミステリー・北条一族の陰謀〜史上最大のNo,2〜はこちら
鎌倉ミステリー・北条一族の陰謀〜史上最大のNo,2〜つづき。はこちら

↓ランキングに参加しています。るんるん
↓応援してくれると嬉しいです。黒ハート
にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ
にほんブログ村

歴史 ブログランキングへ
posted by ちゃーちゃん at 11:13| Comment(0) | 平清盛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。