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親王の誕生!!最後の切り札を手に入れた清盛さん、もう止まりませんよ

そして、清盛VS法皇は最終局面へ!!
1179年、伊豆の源頼朝は妻・政子と前年生まれた娘とともに幸福な日々を過ごしていました。
東国武士たちは、頼朝の義父となることは清盛の怒りにふれるのではと北条時政を心配するが、時政は平家の世は長くは続かないという予言めいたことを口にしました。
そう、時政は、その平衡感覚だけで執権となった男。
なんの土壌もないのに、戦を起こさず暗殺だけで140年間も執権の座にあった一族の長ですから・・・
そこんところの気の入れようが違ったんじゃないかしら???
平重盛はわが身をていして、父・清盛が後白河法皇を幽閉する計画を阻止するが、その後心労がたたり病に伏す。
「重盛様のご容体、芳しからず。
長年の心労が積み重なったのでござりましょう。
何とぞ法皇様といがみ合われる事なく、国づくりを進められますよう。
何とぞ…。何とぞ!」
一方、清盛のたくらみに感づいた後白河法皇は、平家の力をそごうと画策。
法皇「平家が途方もない財力をつけたは、基実の遺した摂関家領を盛子を通じて横取りしたゆえ。
本来なら藤原氏長者のそちが引き取るべきものであろう。」
藤原基房まろまろと手を組み、清盛が嚴島詣でに行くようにしむけます。
清盛の留守中、その娘・盛子が病死

ばく大な財産を失った平家一門は、棟梁・重盛の病状を心配し・・・
棟梁の代理を立てるべきではないかと話し合います。
時忠は重盛の弟であり、正妻・時子の子である宗盛を推します・・・相変わらず言いたいことを言っとります。でも、重盛の子・維盛を推す声もあり・・・。なかなか一枚岩にはなれません。
結論が出ない。。。
重盛は宗盛ら弟たちや維盛ら子たちを呼び、そう遠くない自分の死後、清盛の国造りと一門の将来を支えるため力をあわせるよう諭しました。
清盛を苦しめるためには、清盛の子がねらい目・・
後白河法皇は、病床の重盛を訪ねました。
法皇「そのままで良い…
重盛…かようにやつれおって…。」
重盛の手を取る法皇様。。。何か企んでおりますよ。
法皇「いつぞや清盛がわしを攻めようとするを命懸けで止めてくれたそうじゃのう。
そちの忠義にはわしも頭を垂れるよりほかない。」
重盛「勿体のうございます。」
忠臣重盛は、有りがたく涙を流します。
法皇「今のうちに言いたい事あらば、何でもわしに託すがよい。」
重盛「わが父清盛となにかとぶつかる小事かと負います。
しかし、王家に対する忠義に二心ござりませぬ…
なにとぞ平家の安泰を・・・
そして、我が父清盛の国づくりを見守って頂けることをお約束頂ければ・・・
重盛、思い残すことなく死ねましょう…!!」
法皇は…
「あい解った。約束しようぞ。」
「ただし…。
これに勝ったらの。」
悪魔のような囁きです。
と、双六を持ってこさせました。
嬉しそうです。やはり博打好きの法皇様です。

重盛の、命を懸けた双六が始まりました。
法皇「ほれ。早うよい目を出さぬと負けてしまうぞ。
平家の安泰は望めぬぞ。

法皇でなければ、外道のようです

重盛、頑張れ

重盛のもとへ駆けつけた清盛が見たのは・・・
病床に倒れる瀕死の状態の我が子・重盛が、法皇様と双六を。。。
朦朧とした状態で駒を動かす重盛。
「何をしておる!」
清盛は思わず床に走り寄って、か細くなった重盛を抱きしめます。
清盛「お戯れが過ぎましょう。」
法皇「懐かしゅうなってのう…。
ちょうど40年前じゃ。
そちと双六をした。
わしが勝ったら、重盛、そちをもらうという約束での。
幼いそちが賽を振り、清盛は負けを免れた。
そう。
そちの身を守るは、そち自身しかおらぬ。
母を亡くし、弟を亡くし、父は修羅の道をゆく物の怪。
そちは生まれた時から一人で生き、一人で死んでゆくのじゃ!
そう定められておるのじゃ。!!」
ほんと、悪魔のようです。あ・・・怪物か。。。
「立ち去れ!」
と、叫ぶ清盛。
高笑いする法皇。
そんな怪物二人の間で・・・
重盛「とく…死なばや。
早う…死にとうござります。」
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ほんと、生気を吸い取られてるんじゃないの?もののけに!!
意識が朦朧とする中・・・重盛はそう呟いていました。
そして・・・衰弱した重盛はすっかり生きる力を失い、一か月後に42歳の若さで亡くなったのです。
42歳の若さって・・・当時は普通ではないの?
敦盛でも「人生50年だし・・・」
ここに出てくるみんなが長命なのでは???
悲しみにくれる平家一門に、さらに後白河法皇は追い打ちをかけます。
盛子の養子・藤原基通を権中納言にするという平家の推挙が無視され、基房の子が権中納言となりました。
それは後白河法皇が取り上げた盛子の所領が将来的には、基房の子に奪われることを意味してました。
さらに亡き重盛の所領・越前を後白河法皇が召し上げてしまいます。
清盛「重盛の知行国・越前を召し上げた一件。
盛子の所領に関する処置。
いずれも法皇の過ち。
法皇は関白とたばかって国を乱しておる。
即刻処断すべし!」
とうとう清盛は怒りが頂点に達し、数千騎の兵を率いて上洛、兵力を以て高倉帝に直訴します。
そうなのよね。平家は肥沃なとか、とにかくお金になる地域をもらっていたので、そりゃあ、とっても大打撃

そして、清盛はまずは関白・基房を左遷、反平家勢力を一掃して、彼らの知行地をわがものにするという暴挙にでました。
そうそう、そうすればいいのよね。
こうなってくると、どちらが偉いのか、全く解りません。
そして、後白河法皇を鳥羽離宮に幽閉。ついに清盛は治天の君を退け、武士が頂点に立つという悲願を成し遂げました。世にいう「治承三年の政変」です。
よく解りませんよね、武力を持っていない法皇様がこんなに力があって・・・
でも、お願いするだけで幽閉できるなんて・・・でも、ここまで逆らえなかった現実。。。
「ついにここまで来た。
ついに、武士がこの国の頂に立ったのじゃ。」
そうかあ・・・
足利義満のように天皇になりたかったんじゃなくって・・・清盛は武士としてTOPになりたかったのね。
まあ、天皇は高倉さんですし、法皇は院政だったからややこしくなったんでしょうね。

清盛は内裏に行き、娘であり高倉天皇の后である徳子に謁見する。妹・盛子や兄・重盛に対する後白河法皇の所業を憂いていた徳子は、清盛を激励しました。そ
の帰りに清盛は祇園女御に会います。祇園女御はついに頂にのぼった清盛に、
「いかがでございますか?そこからの眺めは・・・?」
上機嫌に答える清盛に、二度と会うことはないと言い祇園女御は去っていきました。
死んでいなかったのね?
あ・・・なんだか清盛も年とった感じ。
今回は、何だか難しかったです。
とにかく、所領をたくさん没収されたことに怒った清盛が反撃したって感じでしょうか???
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