2012年11月07日

「マリ・アントワネット」

マリ・アントワネット・・・

「マリー・アントワネットと子供達」
「マリー・アントワネットと子供達」

史上一番有名な王妃です。
14歳でフランス王室に嫁いだときは、パリッ子のかわいいアイドル。
革命の激動の中で、民衆の敵になり・・・
わがままで贅沢な裏切り女になってしまいました。
その悲劇は、ベルサイユから始まりました。


ギロチン・・・フランス革命で発明されました。
残酷ですが・・・それまでの方法よりは、痛みもなく人道的なものでした。
1981年まで使われていました。
マリ・アントワネット、その最期は無言で挑発的なものでした。

マリ・アントワネット・・・身長 154p・バスト 110p・ウエスト 58p
だそうです。

@大変身した髪型

アントワネット14歳
実家のオーストリア・ハプスブルク家は、質実剛健な家風、名門に育ちます。
16人兄弟の15番目、のびのびと自由に育ち、誰からも愛される少女でした。
1770年14歳の時にフランスの王子と結婚。
パリでも大歓迎が起きました。
住まいは、ベルサイユ宮殿。
朝起きてから寝るまでの間、全てのことを公開するのがフランス王家の掟でした。
それは、食べるのも、着替えるのも・・・
力のある貴族を取り込み、王家の権力を維持するためでした。

アントワネットの育ったオーストリアは、シンプルな生活だったので、実家の穏やかに家族だけで過ごす生活に慣れていました。
しかし、ベルサイユでは、常に人々の目に晒され、劇場の舞台に立っているようでした。

imageCAQRQ1S8.jpg

1775年アントワネット19歳のとき、夫が戴冠式を行い、ルイ16世となりました。
王妃となったアントワネットの髪型は・・・
少し豪華に。

20061026_206654[1].jpg

しかし、アントワネットには悩みがありました。
実家の母からの手紙によると・・・

“あなたはお世継ぎのことを
 重大だと考えていますか?
 真剣に取り組んでいないのではないでしょうか?“
とあります。

最大の仕事は、お世継ぎ問題でした。
嫁いで7年・・・妊娠の兆しさえなかったのです。

そもそもこの結婚は、オーストリア・ハプスブルク家とフランスのブルボン家がプロイセンに対抗するための政略結婚だったのです。
つまり、お世継ぎを作ることが最大の目的だったのです。

が、ルイ16世の趣味は、一人黙々と錠前を作ること。
派手なアントワネットとは合わなかったのです。
これはアントワネットにとって、大変なストレスでした。


髪の高さはどんどん高くなります。90pにも!!
エスカレートしていきます。

1775年8月王室に男子誕生。
しかし、産んだのはアントワネットではなくルイ16世の弟アルトワ伯爵の妻でした。
悔しくて仕方のないアントワネット・・・

“自分の子供ではない男の子の跡継ぎを見て
 私がどんなにつらい思いをしたか
 申し上げるまでもないでしょう“
と、実家に手紙を書いています。

積み重なるストレスが爆発します。
宝石20億円・ブレスレット12億円・ドレス代年間32億円・・・
公費の年間予算をはるかに超えてしまいました。
世間では、“赤字夫人”とうわさされました。

2[1].jpg

そして髪型も・・・船盛りに・・・
これは、宮廷の貴婦人たちの間で大流行します。


このストレスは???
ベルサイユ宮殿には、見えないルールがたくさんありました。
そんな中で、自分の存在意義を見つけたかったのかもしれません。

A離宮 プチ・トリアノン
1780年に完成したベルサイユ宮殿、700の部屋に4000人以上が生活していました。
そこから2qほどのところにあるのが、プチ・トリアノンです。
10部屋ほどの小さなお屋敷です。
ここに、つかの間の幸せを求めていきます。

1778年23歳で子供に恵まれました。
しかし、その出産がまたもやストレスとなります。
50人もの貴族の前での公開出産となったのです。
赤ん坊のすり替えなどが行われないように、公開とするのはヨーロッパではあることでした。

img_1018169_31009766_3[1].jpg

でも・・・フランスでは、究極の公開イベントになっていました。
人々は、どっとなだれ込み・・・
アントワネットにとって大きな屈辱でした。
しかも、生まれたのは女の子・・・
貴族たちの中に失望感が流れます。

大宮殿から逃げ出したアントワネット、プチ・トリアノンへ。。。
これは、アントワネットが王妃となった時にお祝いに与えられた離宮でした。
ここを自分好みに変えていきます。
自分と家族だけの時間・・・

1781年25歳で王子ルイ・ジョセフ誕生。
離宮の広さを4倍にして・・・農村を作りました。
ストレスからの解放空間。。。ここで子供たちと一緒に過ごしたのです。
人目を気にせず、愛する子供たちと過ごす・・・
これが、アントワネットの悪い噂を呼びます。

アントワネットがプチ・トリアノンに仲良しだけを読んだことが発端です。
ベルサイユでは、階級の高い人に愛想よくするのがルールです。
友人は、階級が高い人とは限りません。
その態度が問題となりました。
貴族たちとの関係に亀裂に入ります。
おまけに、大改造費を秘密にしたことが噂に拍車をかけます。


B風刺画
1874年の風刺画です。

marieantoinette_exhibition_16[1].jpg

ハーピーというギリシャ神話に登場する怪物です。
口にくわえているのは、好物のウナギで、プチ・トリアノンの鍵を表しています。
アントワネットは、国民の目を盗んで、国民の血税を浪費を続ける怪物だと批判されるようになっていました。
その噂の主は、アントワネットに遠ざけられた貴族たちでした。
彼らが黒幕となって誹謗中傷するビラがまかれました。

その噂は、ベルサイユからパリまで・・・すぐに流れました。

その頃、フランスでは、農作物が不作で、深刻な食糧不足が発生していました。
有効な手段を取らない王家・貴族への不満は頂点へと達します。

1789年7月バスティーユ監獄の襲撃・・・フランス革命の始まりでした。
ベルサイユ宮殿も襲われ、国王一家はパリへと移されます。
市民の監視のもとに置かれます。

アントワネットは、故郷オーストリアへの亡命を訴えます。
が。。。これが悲劇を生むのです。

ある夜、パリの宮殿を脱出、国境付近まで行ったものの革命軍につかまります。
パリに連れ戻された国王一家・・・アントワネットは、非難の的となります。
初めは政治的だった誹謗中傷は、革命が進む中で、年々攻撃的なものになっていったのです。
国民から見捨てられたアントワネット・・・

1792年8月タンプル塔に幽閉されます。
あてがわれたのはわずか2部屋、従者は3人でした。
今までにないみすぼらしいものでしたが・・・

家族で一緒に食事をし、王は子供たちとトランプに双六・・・
テーブルを囲んで、王妃は本を読み聞かせました。
一つの部屋で思い思いに過ごした時間・・・それは、生まれ育ったオーストリアの生活そのものでした。

5か月後・・・
1793年1月ルイ16世処刑。
この半年後には、子供たちと引き離されて一人、重犯罪者を収容する刑務所に送られます。
14歳で見知らぬフランスに嫁ぎ、なれない暮らしで楽しみを見出し、王妃としての暮らそうとしただけなのに・・・
10月16日マリ・アントワネット・・・処刑。
アントワネットが公開処刑されたのは、コンコルド広場です。1万の民衆が詰めかけました。
かつて歓声を持って王妃を迎えた民衆が、広場を取り囲む中・・・
最期の時を迎えます。35歳でした。

風刺画によって、わかりやすい仮想敵にされてしまったのかもしれません。

最期は、毅然としてすべてを受け入れ・・・
王妃としての責任を全うして亡くなったマリ・アントワネットでした。

処刑の数時間前、自分の義理の妹に遺言を残しています。
そこには、国家の反逆者として殺されることに対し、反抗する姿勢が伺えます。

「私にとってこの死刑は屈辱ではありません。
 なぜなら死刑は、犯罪者にとってのみ屈辱的なもの。
 良心に何の咎めもない人間が
 全てそうであるように
 私の気持ちはいま平静です。」

アントワネットの遺体は、他の囚人たちと同じように、共同墓地の穴に投げ込まれました。愛する家族と離れ離れに、王妃としての誇りもすべて奪い取られたのです。

しかし今、200年の時を経て女性たちに愛されています。

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第42回 「鹿ヶ谷の陰謀」

第42回 「鹿ヶ谷の陰謀」

さあ・・・いよいよ鹿ケ谷の陰謀です。揺れるハート
この清盛で、一番の見せ場ですねるんるん
一年間の集大成を見せてくれると嬉しいです。揺れるハート

1177年4月のある夜更け、とっても山奥の・・・京・鹿ヶ谷の山荘。。。

「機は熟した・・・これよりわれら・・・平家を討つ!!」

後白河法皇のもと、成親や西光など、平清盛ら平家打倒を企てる不満分子たちが集まっています。
でも・・・やっぱり自前の兵のない法皇さんは、武士を利用していますよ。揺れるハート

そこへ招かれたのは・・・摂津源氏の武士・多田行綱。
企てを知り驚きますが。。。西光と成親の説得により平家を撃つことを決意しました。

わが世の春を謳歌している平家は隙だらけ?!


成親は・・・多田行綱に、源氏の旗・・・白旗をつくるように生地を渡しています黒ハート
そう、昔は、鯉のぼりじゃなくって、家の繁栄を望む・・・これが本当ののぼりだったのよね。黒ハート


成親「おや、瓶子(へいし)が倒れましたぞ」
俊寛「平氏(へいし)が倒れたですと? これは幸先のよい」オホホホ・・・黒ハート
西光「平氏の首級は……こうしてやればよい!!」バキ!バキ!ガシャーン!!
と、有名なシーンですね。
西光、相当怒ってております失恋

本当は?成親が瓶子を倒して、西光が瓶子の首をもぎ取るのですが・・・
これはこれで・・・多田行綱が緊張して・・・ビビッて倒したとしても、流れ的には良いですよね。

法皇「まず、福原の清盛を都へおびき出す!!」

やる気満々の法皇様ですが・・・どうなるのでしょうか?

一方伊豆では、北条時政が娘・政子を平家配下の山木兼高へ嫁入りさせることを決めていました。
そう、頼朝に揺れるハートなのを、父上も気がついているようです。るんるん
政子は源頼朝の過去を深く知り・・・
「捨て置けない」
と打ち明けると時政は政子の頬をたたき、必ず山木のもとに行けと厳命しました。
「輔殿にはかかわるな!!
 父の気持ちが解らぬのか?!」
と・・・。

う〜ん、本当は父が神輿にしたかったのかもしれませんよ。
頼朝を黒ハート
なんてったって、孫を殺すほど、権力に執着する時政ですからねあせあせ(飛び散る汗)

img_434569_9931217_1[1].jpg

京では後白河法皇らの陰謀が始まっていました。
まずは、根も葉もない言いがかりをつけて、清盛と盟友関係にある比叡山の明雲を流罪にしました。
領地も没収・・・前代未聞のことでした。
詮議も何もないこの所業に、いつもの麿たちも何だか腑に落ちないようです。。。あせあせ(飛び散る汗)

清盛「どこか、いつものあのお方とはやり口が違う・・・」

清盛も、怪訝な表情です。

怒った比叡山の山法師たちが、力ずくで明雲を奪還すると・・・法皇は平家に山法師たちを攻めよと命を下しました。


上皇側に、比叡山へ攻めよと命令された重盛は・・・
「直に比叡山への攻撃など、聞いたことがない・・・」
と、二の足を踏みます。
やはり、まじめな重盛ですが・・・これも、上皇側の清盛をおびき出す策のようですね。

判断をゆだねられた清盛はほどなく福原から上洛。
清盛は今回の後白河法皇のやり口には裏があるのではと、いぶかっています。


多田行綱は源氏勢を結集させようと源頼政を訪ねて平家打倒の陰謀への協力を請います。
その陰謀とは・・・後白河法皇を訪ねて御所にきた清盛を捕らえて人質にし、六波羅にいる平家を攻め滅ぼすというものでした。

でも・・・頼政は断り、
さらに「簡単に倒せるほど平家はもろくない」と忠告され。。。

白旗・・・いっぱいできていますよ。
平家と源氏の戦いを頭で考えていますよ。黒ハート
頭でっかちのお公家様たちですから。。。

そんな緊張感がみなぎる後白河法皇の御所に、重盛の妻・経子が訪ねてきました。
計画が露見したかと不安になる成親だが、経子は父・家成の法要の相談にきただけでした。
成親は平家を引き立てていた父・家成のことを思い出し、自分が親不孝だと述懐するが、西光はただ清盛への恨みを募らせるばかりでした。

う〜ん・・・この二人は兄弟だったのか・・・
全く知らなかったよ・・・。西光さんは、養子だったのね。


決行前日の夜、清盛を多田行綱がたずねてきます。

「平家打倒の企てが・・・密かに進んでおりまする!!」

平家打倒の計画の全貌を告白しました。
証拠として行綱が白い布を差しだし、これは成親に「六波羅攻めの折に掲げよ」と言われた源氏の旗を差し出しました。

怒りに震える清盛。。。

「頭目は誰ぞ・・・?」


1177年6月1日・・・
嫁ぐのか?政子!!誰のところへ?!

すぐさま成親と西光は平家に捕らえられ・・・

「成親と西光は何処じゃ!!??」

捕まっちゃいましたよ、清盛に。

後白河法皇にもそのことが知らされました。

清盛の前に引き出された西光はもはやこれまでと観念したのか、清盛に罵詈雑言を浴びせ始めました。

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「わが主、信西の目指した国づくり・・・そなたごときにあの方の代わりが務まると思うてか・・・!!
 聞こえたか!!無頼の高平太!!」

清盛さん、我慢してますよ黒ハート

政子はこんなに少ないお供で嫁入りですか???
雨も降ってきましたよバッド(下向き矢印)



「そなたの国づくりは志ではい!!復讐だからじゃ!!
 己を犬と扱う・・・王家への恨み辛みに突き動かされておるだけるからじゃ!!
 さようなものに付き合わされて・・・良い面の皮じゃ!! 
 民も・・・公卿も・・・うぬらもじゃ・・・
 どこから現れ、どこへ行くのかもわからぬ男の復讐に付き合わされておるのじゃからのう!!」

と叫ぶと、清盛は激高!!

怒り爆発して西光を蹴倒し、何度も踏みつけております。


伊豆では、輿入れの途中、逃げ出してきた政子が・・・頼朝の元へ。。。
きなり源氏重代の太刀・髭切を取り出して頼朝に向き直り!!

清盛が頼朝に太刀を渡した理由は・・・
配流先でも「武士の魂を忘れるなと言うことではないのか!?」と叫びました。

そう、ほら、今も、醜き世を生きてますよ!!
西光をボコボコにして!!
一人で頑張る清盛ですが・・・やっぱり清盛の強敵(とも)って、義朝になるのかしら?

志なかばで死んだ父・義朝への思いを自分に託していたのだと気付く頼朝。。。

立ち上がれ!!頼朝!!

政子「それをいっておこうと思っただけじゃ。御無礼を致しました」
頼朝「……連れて行ってくれ、私を明日へ! 昨日とも違う、今日とも違う、私の明日へ!」
政子「連れていけとは女々しい御方じゃ……共に参ろうぞ、まだ見ぬ明日へ!」

心を動かされた頼朝は政子を抱きしめ、二人で今とは違う明日を目指す決心をしました黒ハート

とうとう明日を見つけたね、頼朝揺れるハート

そのとき、清盛は明日を見失いかけていました。

「解ってておったことじゃ・・・
 わが主信西が死した時・・・天はこの国を見捨てた・・・!!」
「洛中引き回しのうえ、朱雀大路にて斬首せよ・・!!」

頼朝の・・若い力がぐんぐんと登りそうな勢いです。黒ハート
それって、歴史を知っているから思うのでしょうが・・・

腹黒い清盛が・・・悩んでいる清盛が・・・爆発していましたが・・・
次回は重盛が爆発しそうです・・・あせあせ(飛び散る汗)
頑張って!!


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posted by ちゃーちゃん at 10:50| Comment(0) | 平清盛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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