2012年11月26日

“メードインUSA”奇跡の復活か???

今回も、池上彰さんです。

ニューヨーク5番街。高級ブランドが立ち並ぶ中・・・
新名所となっているのがアップル・ストアです。
iPhoneの組み立ては・・・中国で行っています。
アップルの商品は、中国にあるフォックスコンで作られています。
その担い手は、100万人とも言われる中国人たち。

ジョブズ氏はオバマ大統領に言っています。
「工場の国内回帰は不可能」と。

それでも、製造業の国内回帰に執念を燃やしているのがオバマ大統領です。
アメリカの製造業は今どうなっているのでしょうか?


アメリカの大統領選挙は・・・オバマ大統領の勝利となりましたが、その中の重要課題には雇用問題がありました。失業率を下げるために。。。
「2016年までに製造業で100万人の雇用を創出すること」を、公約しています。

そもそもアメリカの製造業って???
かつては「世界一のものづくり大国」だったアメリカ。
メードインUSAの商品は・・・
1953年世界初のカラーテレビを発売(RCA)
1983年世界初の商用携帯電話(モトローラ)
1888年世界初のロールフィルムを発売(コダック)

こんなに製造業が盛んだったのに・・・衰退してしまいました。
そこから今、蘇ろうとしています。

ミシガン州・デトロイトは、アメリカの自動車産業の中心地です。
アメリカの魂・自動車ビッグ3の街は今・・・廃墟と化した工場が立ち並んでいます。
ここにはGM・フォード・クライスラーの三大自動車メーカーの本拠地です。
アメリカの産業の崩壊を象徴しています。

住宅ローンが払えなくなって家を手放す人もたくさんいます。


クライスラーは、1925年創業。
GM、フォードに次ぐアメリカ第三位の自動車メーカーです。
新技術を次々と開発してきていました。
オイルショック後も、再建をし、1987年にはジープを傘下に。
しかし、日本車に押され・・・人件費も経営を圧迫し、リーマンショック後の2009年4月30日連邦破産法の適用を申請しました。そして、GMも・・・
アメリカ産業の危機が訪れました。

オバマ大統領は、税金を投入し、GMとクライスラーを救済。
“メードインアメリカ”を作るために。。。

そして今、再建に向かって動き始めました。
クライスラーの組み立て工場では・・1日約1000台を生産しています。
解雇された従業員が、再建後に再雇用されました。
しかし、従業員は有給休暇・冬のボーナス・奨学金などがカットされました。
それでも、会社再生のために頑張っています。

そこには“KAIZEN”の文字がありました。
日本式の生産工程・・・目安箱ですね。
この改善の積み重ねによって作業ミスが8割減少、その結果、1年間で1千万ドル以上のコスト削減となりました。
クライスラー200(150万円)の売り上げは好調で、新しく1100人も新規採用しました。
無駄を省き、生産性を上げること・・・これが、アメリカの製造業を復活させるヒントになるかもしれません。


また、アメリカから中国に出ていった工場を、アメリカに呼び戻そうという考え方もあります。
イリノイ州オーロラには・・・中国から国内回帰してきている工場がありました。
ピアレス社です。この会社が作っているのは、壁掛けテレビを壁に取り付けているの“マウント”です。全米一位、シェア4割の会社です。

インターネット通販でも買えるのですが・・・
価格競争の結果、2000年から中国で委託生産を開始。
しかし、2年前中国から国内回帰してきました。
その理由は・・・アルミ加工でした。

中国工場ではチェックが思い通りにいかず不良品が10%近くもありました。テレビが落下することは絶対に許されません。
クオリティにこだわっていたのに、中国では手順を踏んだ品質チェックが出来ていなかったのです。

一番不満に思っていたのは、中国企業に委託したら製品の偽物が出回るようになったというのです。
製造方法が漏れていたのです。

おまけに中国の工場労働者の労働賃金も初めに比べると4倍にもなっていました。

いろいろな不安材料への対応をコストと考えると、国内回帰したコストでもやっていけると判断したからでした。

アメリカ企業の国内回帰は・・・
GE(電気)・フォード(自動車)・マスターロック・(錠前)・キャタピラー(建設機械)・エレメント・エレクトロニクス(家電)などで起こってきています。


ペンシルベニア州では・・・“シェール革命”が起きています。
フラッキングという技術によって、シェールガスを取り出せる技術が開発されたからです。
全米各地にシェールガスが埋蔵されています。世界一の天然ガス大国なのです。
その量100年分。これによる雇用を60万人とオバマ大統領は換算しています。

そしてその場所には労働者が集まってきていました。
この地域は、シェールガスの掘削が始まって失業率が8%を切って全国平均以下となりました。
現代版ゴールドラッシュがそこにはありました。強いアメリカへ!!

池上さんの未来予測では・・・
チャイナプラスワン。中国以外に生産拠点を作るということ。
それは、アメリカかもしれません。
アメリカの州の中には、日本に対してもっと工場を進出してくださいという誘致合戦をしているところもあります。

そして・・・日本回帰・・・中国に対するリスクや賃金を考えると、日本回帰も視野に入れてもいいかもしれません。
日本には、メタンハイドレードも見つかっています。
アメリカと同じように、自国の資源を利用して復活できるかも???

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2012年11月24日

第45回 「以仁王の令旨」

第45回 「以仁王の令旨」

個人的にはもっと戦って欲しかった後白河法皇を軍事クーデターによって鳥羽離宮に幽閉し、清盛は武士として初めて天下の頂に君臨し。。。わが世の春を謳歌していますよ。
っていうか、ちょっと狂ってきているようで・・・盛国もなんとなく解っているようですあせあせ(飛び散る汗)
清盛は福原にいながら朝廷の人事権を掌握し、1180年、高倉天皇に譲位を迫り、孫の東宮・言仁を即位させようとします。

mochihito21-1[1].gif

一方、今回の政変で長年の所領を奪われてしまったのは、後白河法皇の子・以仁王。。。
もう、30歳になってしまいました。

「私は、何のために王家に生まれてきたのでござりましょう。
 いや、何のために…生まれてきたのでござりましょう。」

ふさぎ込む彼の様子を見かねた猶母の八条院ワ子は、源頼政を呼びだし、この源氏随一の武者に、武力決起して平家討伐をせよとたきつけますが。
しかし老いた頼政は、平家に逆らうなど愚の骨頂と言って断りました。

「いささか買いかぶっておったようじゃの。
 源氏の魂とやらを。。。」

って、これが序章なんでしょうね・・・立ち上がるのでしょう?頼政揺れるハート


東宮・言仁の即位に際し、朝廷で何かと物入りになると、伊豆には早速増税の命が下ります。
国のためのはずの租税が・・・平家のためにばかり使われている現実に、北条時政は、いよいよ平家への不満が爆発するときがくると源頼朝に示唆します。
さすが、時代を読むのが上手いですね。たらーっ(汗)

頼朝には徐々に武士としての心構えがよみがえりつつありました。
でも・・・決めるところで決められない・・・弓は苦手なのね???頼朝。
とっても可愛いですが・・・だから、みんなに神輿って言われるのよ失恋
ちゃんと、政子に教えてもらってください黒ハート

そのころ、義経と弁慶は奥州平泉で藤原秀衡のもとにいました。
秀衡は、近頃の清盛の動きを警戒し、もし今後平家が平泉に押し寄せることがあれば、平泉の武力と財力を好きに使って応戦するがよいと、義経に言い含めます。

でも、秀衡・・・秀衡のところに押し寄せて来るのは・・・清盛ではなくって頼朝よ失恋たらーっ(汗)


各地で反平家の動きがさかんになる中、言仁が正式に即位して安徳天皇となりました。
高倉帝は・・・もう、上皇になってしまいました。あせあせ(飛び散る汗)

清盛は慣例をやぶり、新院となった高倉上皇の嚴島神社への参詣計画を進めます。

盛国も前例に無いと諌めますが・・・

「法皇様も建春門院様と共にご参詣なさった。
 何より厳島は交易を要とした新しき国の守り神となるべき地。
 上皇様の初のご参詣は厳島の社でなくてはならぬ!
 それが分からず異を唱える者あらば、解官してしまえ!」

と、言うことを聞きません。
小兎丸がもうこんなに大きくなっていますが・・・
小兎丸もキーマン???


しかし、寺社勢力は猛反発。

重盛が亡き後、平家の棟梁となったのは清盛の三男・宗盛ですが、この事態に狼狽。。。棟梁の器ではなさそうです。たらーっ(汗)
弟の知盛や重衡に対処を任せオタオタしてます。結局、平家の武力を恐れた寺社勢力は兵を挙げることはなかったものの、高倉上皇の嚴島参詣は遅れ、清盛の不満は募ります。
清盛は、新しき帝が誕生するとともに福原へ遷都することを画策するが、思うように進まないことにいらだっていました。


その上、今度は清盛は・・・

「新帝即位の儀は、ここ、福原で執り行う。」

と、言いはじめました。もう無茶苦茶です。たらーっ(汗)


清盛「言仁様が帝となられた今、速やかに都をこの福原に遷す!」

盛国「ご承知のとおり、既に都では即位の儀のための大極殿の建立が進められて…。」

清盛「さようなものに財を投じずともよいと宗盛に念を押せ!
   よいか?11月の大嘗会だけは何としてもこの福原で執り行う。
   さよう都にしかと伝えよ!」

盛国「承知つかまつりました。」

清盛、もう駄々っ子のようです。
おまけに、盛国、何を呆れ顔???・・・ナンバー2は、頑張って苦言を呈するものですよ!!
頑張れ!!!


「あってはならぬ。
 我が意のままにならぬものなどあってはならぬ。」


先日やっていましたが、蘇我入鹿もこんな感じだったようで・・・中大兄皇子にやられてしまったわけです。

そこへ美しい白拍子の姉妹・祇王と祇女が目通りを願い、優美な舞を披露しました。清盛は現実逃避するかのように祇王にひきつけられていきます。

こんな感じは、秀吉???
人間って、今も昔も根本では変わらないの???失恋


頼朝は・・・腕を磨いておりますが・・・
清盛にまだ武士の魂が残っていると思っているようです。

「きっと、通らねばならぬ道なのであろう・・・
 武士の世を創るために・・・」

って、すごくものわかりが良いんですけど!!!


でも、息子は解っていないようですよ。やっぱり、重盛が死んだのが駄目だったのよね・・・あせあせ(飛び散る汗)
京では宗盛が宴三昧の日々を送っています。母・時子は叱りますが・・・。今まで重盛の下で鬱屈していた宗盛は。。。兄・重盛の冥福を祈る宴だといい時子をあきれさせます。
でも、時子・・・若すぎでないの???

また、源頼政の子・仲綱の愛馬を奪ったうえ、馬の名を仲綱と呼んで辱めます。
人間って・・結局こんな感じに崩れていくのね・・・
浅はか・・・ていうか
失恋

仲綱は頼政に怒りをぶつけます。

「父上。
 我ら親子は木下のようなものにござりますね。
 平家の犬と焼き印を押される辱めを受けても、源氏の魂を捨てて
 生きてゆかねばならぬのですゆえ!!」

頼政は・・・
どうする??


福原で宴を行う清盛の元へ、時忠が帝の即位の義の日にちを報告しにやってきました。
女を抱えて酒におぼれる清盛をなにを思って観ているのでしょうか、時忠?

時忠「いやはや果てしのないものにござりますな。人の欲というものは。
   莫大な財を操り、国の頂に立ち、御孫君を帝になさっても
   まだまだ欲しゅうござりますか?
   酒も若い女子も。」

清盛「欲こそが男子の力の源。
   …と言うたは家貞であったな?盛国。」

盛国「はっ。」

清盛「わしは手に入れてみせる。
   この世の全てを。
   よ〜し、こっからじゃ。」

時忠「頼もしや。では、これにて。」


そんな欲・欲・欲の清盛を少し冷やかに時忠が見ていましたが・・・
けっこう時流を読むのが上手い時忠・・
最後は配流されますが、これからどんなふうになっていくのでしょう???

反平家の勢力を募り始めていた以仁王と八条院ワ子のもとへ、反平家への決意を固めた頼政と仲綱が訪れました。
やっと重い腰をあげました。。。やる気になったようです。

そこで八条院は源義朝の弟・源行家を引き合わせます。
ドロドロで・・・苦労したのが一目でわかります。あせあせ(飛び散る汗)
行家は平治の乱に敗れた後、熊野で身をひそめていたとのこと。
八条院はこのように諸国に潜む源氏に向けて、平家打倒の令旨を!!!
だすよう以仁王に迫ります。

治承4年4月。

安徳帝の即位の義が福原で行われる中、ついに以仁王は平氏追討の令旨を全国の源氏に発したのでした。

「東海東山北陸三道諸国 源氏ならびに軍兵らに下命する
 清盛法師ならびに宗盛らは 権勢に任せて凶徒に命じて国を滅ぼし 百官百民を悩ませ
 五幾七道の国々を不当に支配し 法皇を幽閉し 延臣を流罪に処し 王家を叛き 
 仏法を破滅させている
 そのため 天地はみな悲しみ 民はみな憂いている
 そこで私は 法皇様の第三の皇子として 天武帝の昔にならって 王位を奪う ものを追討し 仏法を滅ぼすものを打ち滅ぼそうと思う
 そこで 源氏の者 藤原氏の者やさきざきより 三道諸国に勇士として名高い者は 追討に協力せよ!!

 もし 同心しなければ清盛に従う者に準じて死罪 流罪追討 拘禁の刑罰を行う
 もし 特に功績のあった者はまずは 諸国の使節に伝えおきご即位後に 必ず望みどおりの褒章を与える
 諸国はこの命令どおりに実行せよ」

そうなのよね・・・貨幣経済について行けない普通の人々・・・
不作に飢饉に疫病に・・・
まさに崇徳上皇様の怨霊かの如くに負のスパイラルが続く中、やっぱり貨幣ではなく土地にしがみつきたい人々が、この令旨に立ち上がったのです。るんるん


そして、不当に権勢をふるう平家を追討せよという以仁王の令旨は、行家の手によりついに伊豆の頼朝のもとに・・・!!!
驚きながら令旨を読みあげる頼朝を時政や政子が見つめ。。。再び源氏が立ち上がる時が迫っていました。

4月、内裏では安徳天皇の即位の儀が行われていました。
こんなのには清盛は参加しないのね・・・。

福原で浮かれて舞い踊る清盛の前に新たな白拍子があらわれました。その白拍子の美しさに清盛はたちまち虜になり、祇王らを置き去りに・・・
やりたい放題の清盛です。

寝所で清盛は「仏」と名乗るその女性に向かい福原への遷都の夢を語り、「ここはわしの世じゃ」と告げます。
清盛はたったひとりで暗闇の中にいました。


「君を始めて見るをりは 
 千代も経ぬべし姫小松 
 御前の池なる亀岡に 
 鶴こそ群れ居て遊ぶめれ」

これは、仏御前が清盛の前で即興で詠んだ歌だとか・・・。
白拍子=遊女みたいな感じですが、貴族の家に出入りすることも多かったので、見識深い人が多かったとか。

きっとこの仏御前も、いろいろな意味で魅力的な人だったのでしょう。黒ハート

まあ、落ちるとこまで落ちそうですね、清盛!!
どこまでドラマにしてくれるのか、楽しみです。黒ハート

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posted by ちゃーちゃん at 10:59| Comment(0) | 平清盛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月23日

「ジョン・F・ケネディ “弱さを力に変えたジャック”」

アメリカ大統領と言えばこの人、というくらいに人気は高く、世界的にも知られています。
テレビ時代の申し子と言われていました。
その在任期間はわずか、1036日。3年足らずです。
悲劇的な暗殺・・・その死もテレビが伝えました。

どうして今もなお、カリスマ大統領とされているのでしょうか?

ケネディがホワイトハウスで愛用していた机・・・
カーター、レーガン、クリントン、オバマ・・・歴代大統領が使ってきました。

ケネディが好きだった言葉

「神よ あなたの海は
 あまりにも広大で
 私の船はあまりにも小さい」

どうして今も昔もケネディは人を惹きつけるのでしょう?

@ホワイトハウス・・・大統領の生活は???

大統領一家が過ごします。地下三階、地上三階、132もの部屋があります。
1回には大広間が、2階は居住スペース
この場所で、生活し、仕事をします。
かっこいいイメージですが、小食でちょっとひ弱。
分刻みのスケジュールをこなしながら、お昼寝をしたり、自分の時間も大切にする・・・そんなジャックがそこにはありました。

AVOTE(投票)

43歳にして大統領となった男。
選挙によって史上最年少大統領となったジャック。
生まれ故郷ボストンで1917年5月29日に生まれました。
先祖はアイルランドからの移民、プロテスタントが政財界のボストンにあって、敬虔なカトリック信者でした。
父・ジョセフは、実業家として大成功。
でも、差別や偏見を受けた父は・・・勝負には絶対に勝て!!なんでも一番になれ!!と、育てます。

やがて、兄を追って名門高校へ進むものの・・・
あまり賢くはなかったようです。
ちなみに兄は、スポーツ万能・成績優秀で、将来は政治の世界で活躍することを期待されていました。
しかし、やんちゃなジャックは先生に怒られてばかり・・・
生徒同士の人気投票で・・・最も成功しそうな生徒に選ばれています。
勉強も、スポーツも得意ではないのに、魅力にあふれていました。

第2次世界大戦中海軍にはいったジャックに悲劇が・・・
1944年に兄・ジョーが戦死したのです。
ジョーを大統領に!!と、夢を描いていた父は、その思いを次男のジャックに!!

ケネディは、父の全面的な支援を受けて、29歳の若さで下院議員に・・・
それ以後も負け知らずでした。

議員としての成績はあまりでしたが・・・人気はぴか一でした。

そして、大統領選挙へ・・・
実力者を抑えて・・・43歳という若さで、民主党の大統領候補に選ばれます。
共和党の候補は、副大統領を2期も務めたニクソン。
下馬評ではニクソンが圧勝する予定でした。。。

ジャックは、若さと新鮮さを全面的に押し出します。
みんなとともに・・・気さくに話しかけ、人々の心を掴んでいきます。
そして、史上初の生放送の大統領候補のテレビ討論で・・・

ダークなスーツに身を包み、身だしなみに気を付けてカメラ目線で話しかけます。
一方、ニクソンは・・・落ち着きがなく、汗をかき・・・視線が泳ぎます。

この討論をラジオで聞いた人々の判定は五分五分・・・
しかし、テレビで見た人たちの印象は・・・二人の差は明らかでした。
7000万人が見たといわれるこの討論、最初の15分で決まったといいます。
ケネディは国民に向けて討論し、ニクソンはケネディに対して討論していました。
討論前はケネディ47%・ニクソン53%が、討論後はケネディ51%・ニクソン45%となったのです。

その後ニクソンも必死に頑張りますが、わずか10万票の差で大統領の座についたのはジャックでした。
大統領就任式での国民への呼びかけは、後に有名な演説となりました。

そんなジャックの人気は???
人の心を掴むのが上手だったようです。
気取らない性格で、ハンディ、痛みのわかる人物だったようです。

そして、ジャクリーンと二人でホワイトハウスを変えていきます。
聡明なジャッキー、親友のチャールズ・バートレットが引き合わせました。

ケネディがホワイトハウスの主となると・・・
ジャッキーは知性的な女性で、芸術作品をそろえ、華やかな部屋へと変えていきます。
ホワイトハウスが人々の間に開かれた存在となるように・・・努力を惜しまなかったのです。
機知にとんだ受け答えをする二人の改革は、大統領を人々の身近な存在にさせていきました。

Bフルシチョフ・・・若き大統領だったジャックを本当の政治家へと導いたのが、ソ連の最高指導者ニキータ・フルシチョフ。
1960年代、それは、資本主義と共産主義が真っ向から対立した冷戦の時代でした。

大統領に就任してから半年で・・・冷戦構造の打開を図るためにフルシチョフと会談へ・・・
フルシチョフは、話せば全て味方につけてしまうような人でした。誰であれ、説得できる人だったのです。

会談で、共産主義を高らかに主張するフルシチョフ・・・
ケネディは、話し合いの糸口も掴むことが出来ません。
普段は葉巻しか飲まないケネディが、通訳の煙草に手を伸ばしたと言います。
腰の痛みと極度の緊張。。。2日間の会談で具体的成果はほとんどゼロでした。

壁のようにそびえ立つフルシチョフに阻まれたケネディ・・・
肩を落としたと言います。

しかし、フルシチョフはケネディのリーダーとしての素質を見抜いていました。
フルシチョフの息子は・・・
「父・フルシチョフは、ケネディをひ弱な青二才だと見くびっていたというのは、アメリカ人の神話です。ケネディは、しっかりしたビジョンを持っていたと・・・アイゼンハワーよりも実力があると認めていたようです。」

1962年10月のキューバ危機・・・
アメリカのわずか南100キロにある共産主義国・キューバ・・・
ここにソ連が核ミサイルを配備しようとしていました。
のど元に突き付けられた核ミサイルの恐怖、人々は混乱し、マスコミは第三次世界大戦を煽ります。

ホワイトハウスでは・・・
軍の幹部がキューバへの軍事侵攻を求めます。
しかし、ケネディは・・・フルシチョフとの外交交渉で決着をつけようとしました。
キューバ近海を封鎖、ソ連の武器を積んだ軍艦の阻止を宣言しました。

「キューバからのミサイル攻撃は、どの西側諸国に対してであれソ連からアメリカに対する攻撃とみなす」

13日間にわたる交渉が始まりました。
その結果、アメリカはキューバを侵略しないと約束、あとはソ連側が決断すべきだ、とフルシチョフに委ねます。
これに対しフルシチョフは・・・
キューバからのミサイル撤去を約束しました。

1963年ケネディは西ベルリンを訪れます。
冷戦によって東西に分断された町・・・ここでケネディは、有名な演説をします。

「どこに暮らしていても、あらゆる自由な人はベルリンの市民です。
 ですから自由な人間として私は誇りを持って言うのです。
 イッヒ・ビン・アイン・ベルリナー
 (私はベルリン市民である)」

外交での実績を積み上げていたケネディは・・・リンカーン以来国内を揺るがしていた問題・・・黒人差別問題に取り組みます。
公民権を確立するためです。
「これまで長年、放置されてきた問題の解決を会議に求めます。
 アメリカの暮らしと法律から人種差別をなくすことです。」

黒人の公民権確立への道筋をたてたケネディ。
海を愛し、家族を愛し、自由の国を愛したケネディ。

1963年11月22日ダラスで・・・
人種差別が色濃く残るこの街で、自由で開かれたアメリカを訴えようとしていました。
しかし、12時30分、一発の銃声が鳴り響きました。
何者かによって銃撃されたのです。

若き大統領の死・・・

フルシチョフは、ジャッキーに、心のこもったお悔やみを・・・
これに対してジャッキーは、
「ケネディは、あなたと一緒に世界平和を実現したいと考えていました。
 しかし、夫はもういません。
 これからはあなた一人で実現していかねばなりません。」

もしケネディが生きていたら・・・
底辺の人々に手を差し伸べたケネディ。。。

ダラスにある博物館には、毎年30万人の人が訪れます。

どんな人の心の中にもある弱さ・・・
その弱さとうまく付き合ったからこそ相手を知り、自分を知り、国を知る・・・
それが、ケネディの強さでした。


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posted by ちゃーちゃん at 15:28| Comment(0) | 追跡者 ザ・プロファイラー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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